8夜陰

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8夜陰

 見たんだ、この目で。  常夜灯のした、男は言う。  されこうべが重なり合い、けたけたけたと嗤うなか、たったひとつ肉づきの面があったということを。    お前が、にたりにたりと嗤っていたんだと。  ばからしい。熱でもあるんじゃないですか。    あからさまに、眼差しが怯えの色を見せつけた。  否定しながら、僕はおそらく「自分であるに違いない」と想像する。  されこうべにまぎれてでも、顔が見たいほど想いは募っていたのだから。  だからこそ、陰がひとり歩きするほどに、行き詰ってしまったのだから。 「異なる思想と国とで育ち、幼き頃より親しむ僕とはちがい、物の怪なんて類は、あなたにとってやや刺激が強く、血の気が引いたことでしょうね」  いつもより、濃く浮かび上がる姿に僕はそう言葉をかけ、口を閉じた。  戸惑い、部屋に大きく膨れ上がる僕の陰に気が気でない様子は、とてもではないが、威張り散らしていた魔術師とは思えない。  情けないさまではあるけれども、僕しか知らぬ姿でもある。  なんと幸甚、なんと果報者であろうか。  陰は相変わらず、しくしくとすすり泣いている。  ほかの誰でもない、僕の声をして。 「首から上……お前の顔しかなかった!ごろん、と転がってきたんだぞ?にやりと嗤い、先生と俺を呼んだ!どうしてだ?どうして、お前は……」  冷静でいられるんだ、と相手はさらに続ける。 「怖くないのか?慄いたりしないのか?今だって、今だって部屋を染めるかのようにぶわぶわと膨らんでいるじゃないか、見えるんだろう?あの陰が!」 「もっていくぞ、と言う声でしょう」  もちろん、聞こえていますよと僕は答える。 「移ってやる、なりかわってやるという意味でしょうね。ああこわい」  クスクスとわざと、含み笑いをしてみる。  チューベローズが香る部屋で、幼子みたいに怯える姿のなんと愛しいことか。閉じ込めておきたいと、大げさながらそう欲してしまうほど。 「あなたのことです、陰など俺には恐れるに足らんと血気盛んに胸を張ると思うておりましたが、なんとまあ、ずいぶんと……戸惑っていることか」  噎せるような、甘くてくらくらするかおりを吸い込みながら、僕は部屋にぶわぶわと広がる、陰に生えた一対の角を見る。  昨夜よりも大きく、鋭くなってきている。  触れればケガをするだろう、その傷口からは毒でも回るかもしれない。 「……答えろ」 「何をですか?」 「お前……何を隠している?追い詰めるな、自分を責めるなと顔を合わせるたびに諭してきたはずだ。それとも、涼しい顔でなりゆきにまかせ、やり過ごすつもりか?それが、この国がしがみつく『矜持』というやつか?」  肩をゆすぶられ、じっと顔を見下ろす目は心配の色が濃くなってゆく。  こうして、問い詰めている間にも陰は僕のうしろでゆらゆら、ぬめぬめと蠢いている。広がり、膨らみ、ふたりを取り囲むように増幅する。 「まさか、矜持なんて持っちゃいませんよ。まったく随分と昔の……」  ずるん。  背中に、病院で挿入される管、カテーテルのようなものが皮膚をすり抜けて入ってくる。  目の前がふっと暗くなり、ちりちりと頭の奥が熱くなっていく。  もう、嘘は嫌だ。  もう、だますのは嫌だ。  もう、辛いのはたくさんだ。  厭だ。厭だ。厭だ。厭厭厭。    ぐわんぐわんと、僕の声が四方八方から聞こえてくる。  卑しい熱が、ぶわりと身体中にひろがっていく。  内側から、口をこじ開けられ、舌を突き出される。  やめて、そんなことをしたら。  いいんだよ、もう耐えられないんだから。  あなたが、こまねいていた所為ですよ。  おかげで、僕はこうして陰に持っていかれてしまった。  しょうがない、しょうがないんです。  あれは「僕自身」なんだから。  欲しくて欲しくて、すすり泣きするしか能がない、臆病な僕の。  覚悟は……。  覚悟はもう、できていたんだな。  舌の絡み合う熱と、法衣ごしに伝わる指の感触に、僕と陰はようやく、安堵に呑み込まれていった。       
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