14.絹さんの涙

1/1
前へ
/140ページ
次へ

14.絹さんの涙

「分かった、そんな気にすることじゃないよ。ただ、絹さんが教室までわざわざ来たから何事かと思っただけで」 事情を話し、今日は一緒に帰れないことを伝えたら、ほたるは明るく答えた。 「私もクラスの女子とどっか寄って帰る。仲良くなっておいた方がいいから」 放課後、傘立ての所に絹さんはいた。 なるほど、圧倒的に美人なのか、と納得した。 コンクールに出てくる女子は、ドレスや髪型も決めてきてるし、お嬢様も多いからみんな綺麗だなと思っていたけど、特に何もしていなくて制服姿でもこれだけ目立つということは、相当美人なのだろう。 「ごめん、待たせて」 「ううん、相談する立場なんだから、私が早く来て待ってないと」 落ち着いた佇まいで、キリッと僕を見上げて言う。 「どこかに一緒に行って噂を立てられるのも迷惑でしょ。駅のイスでいいから、相談に乗ってもらえる?」 その方が目立つような気もしたけど、彼女なりに気を遣ってくれているのだろう。 「それでいいよ」 「良かったわ。まさかタケル君が同じ高校だと思っていなかったから。こういう相談ができる人ってこれまでいなくて」 歩きながら、絹さんはこれまでのことを話してきた。 「同じピアノ教室に通っている人たちって、ライバルみたいなのよ。課題曲の相談もしにくいし」 「へえ、話ししたりしないの?」 「しないわよ、前の先生のところでは、私は特別扱いみたいな感じで浮いていたし、今の先生のところはピアノ教室っていうより、門下生って感じなのよね」 「ああ、桃山先生に習ってるんだよね」 「そう、中学に入った時に、桃山先生についたんだけど、みんな凄い本気だし、なんかギスギスしててね、レッスン自体はいいんだけど。タケルくんは小宮山先生に習ってるんだよね?」 小宮山先生とは、はるか先生のこと。生徒や保護者は「はるか先生」と呼んでいるけど、コンクール会場では、「あの生徒さん、小宮山先生の生徒さんよ」などと話しているのをよく耳にする。 「うん、うちはみんな仲良くて。わりとアットホームな感じかな。課題曲も先生と話し合って決めるし」 「そう、課題曲迷ってて。先生がシューマンの楽譜があるから、それにしちゃいなさい、っていうのよ。でも、私あの曲はあんまり自分に合わないんじゃないかと思ってて」 課題曲は4曲あるうちから1曲選べる。僕は、その中の2曲であれば雰囲気も合うからどちらでもいいかな、とはるか先生に言われて、一週間悩んで決めた。 「そのまま先生に伝えたら?」 「タケルくんはいつもどうやって課題曲を決めてるの?」 「だいたい先生が、よさそうな曲を教えてくれるけど」 「いいなぁ、うちの先生、その辺いいかげんな感じなの。これでいいんじゃな?って感じで」 意外だった。はるか先生は「選曲でコンクール結果の7割は決まる」と言っていて、かなり慎重に決めてるからだ。 「いつもそんな感じでも、コンクールに入賞してるって、すごい」 つい本音が出た。 僕なんか、はるか先生が慎重に選んでくれた曲を演奏して、入賞できるかどうか、ってところだ。 「すごくなんかないよ。色々迷ってる。だから、音楽科の高校は辞めたの」 「絹さんは専門に進むんじゃないかと思ってたよ。はるか先生も言ってたし」 絹さんはふと立ち止まって「羨ましい」とつぶやいた。 「小宮山先生のこと、はるか先生って呼んでるんだね」 「小学校の頃から通ってるから」 「そうだよね、私も先生変わらなかったら、あのまま楽しくピアノ弾けてたのかなぁ」 「楽しくないの?」 「受験勉強でね3ヶ月くらい休んだの。そしたら楽しさとかやる気が戻るかなって思ってたけど、ちょっと分からないなぁ」 絹子さんは少し声を震わせながら言った。泣いているのかもしれない。でも彼女の顔を見る勇気もなくて、「いろいろあるよね」と言葉を濁した。 「それより、課題曲!シューマンのソナタより、ブラームスの方が合う気がするの」 「僕はブラームスかラフマニノフで迷って、ラフマニノフにしたんだけどね。駅のベンチでyoutubeで聴いてみようか」 「ありがと!」 絹さんは、気分を入れ替えるように早足で駅に向かって歩き出した。
/140ページ

最初のコメントを投稿しよう!

49人が本棚に入れています
本棚に追加