母校と恩師

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母校と恩師

 二年ぶりに道場に立つという彼女は、それでも堂々とした立ち姿で経験を積んだ者らしい風格を漂わせていた。  さすがは優等生といったところだろうか。いつだって周囲の期待を一身に背負い、それに応えるための努力を常に惜しまなかった彼女は、卒業してから稽古をまったく行っていないにもかかわらず、射術の基本を覚えているらしい。  物見の姿勢でしばらく的を見つめていた彼女は、深く息を吸い込むと静かに弓を構えた。  打起しから引分け、そして会の姿勢にゆっくりと移っていく。  しなる弓。普段は騒がしい生徒たちも今だけは突然現れた見知らぬ先輩の姿を黙って見つめている。  彼女はどんな気持ちだろうか。離れという言葉が示すとおり、弓道の最高潮に至る部分はそれを行う者の心が一番表れるところである。  構える指は自然な形になっているだろうか。弓の張り具合は問題ないだろうか。狙う角度は大丈夫だろうか。外すことなく的を射ることができるだろうか。  人は欲深いもの。逃れても逃れても欲はなくならないし、日常生活を送っていれば常に成果を求められる。  成果。結果を残すこと。  面白いもので、的に中てようとする気持ちが強ければ強いほど、矢は思ってもいない方向へと飛んでいってしまう。  だからこそ、ここで離れという言葉が活きてくる。  『放れ』ではなく『離れ』。技を磨き、的に中てようとする気持ちを抑えて無心の境地に至ることで、矢は自然と弓から離れて飛んでいくという。  アーチェリーと弓道の決定的な違いは的にあてるという行為の、成果の評価の違いである。いかに的の中央に当てて高得点を出すかよりも射の姿勢、自分の心との向き合いを重視する。弓道は求道であると全日本弓道連盟はスローガンとしても掲げている。  彼女の矢が飛んだ。  まっすぐに飛び出した矢は、見事に的の中央よりやや右に突き刺さった。  そして残身。心身の高まりをゆっくりと落としながら、自分の射の転末を見届ける行為。射の総決算にあたる部分である。  別に弓道に限ったことではないが、日本古来の『道』という考え方は、どれもそれを進もうとする者に高い品格と礼の精神を求めてくる。  一連の流れを見ていた私は、彼女の射がまだ生徒たちへの手本として十分に通用する域にまで達していることを理解した。 「なんだ。腕は全然なまっていないじゃないか」  道場を降りた彼女に、弓道部の顧問である井上さつきはちょっと悪戯っぽく話しかけた。 「そんなことありませんよ。久しぶりに射ってみて十分に分かりました。私の心のブレみたいなものに」 「そうか。でも、生徒たちには良い勉強になった。礼を言う」 「恥ずかしいです」  彼女、住倉沙織はそう言って微笑んだ。
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