教え子

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教え子

 やっぱり違う。  稽古を再開した部員たちの様子を眺めながら、さつきは思った。  弓道部の生徒たちは、顧問の私が言うのも変だが、皆真面目で真摯に稽古に取り組んでいる者が多い。  だから話しかければちゃんと聞いてくれるし、問題点を指摘すれば真剣に直そうと努力する。もちろんそれは良いことだし咎めるようなことではない。  だけど、そんな生徒たちの様子が今日は確かに違っていた。  熱意。いつも以上の真剣さがそれぞれから感じとれる。  原因はもう分かっていた。  住倉沙織が射術を行ったから。  どうやら彼女は、たった一回の射術で生徒たちに言葉で伝えられる以上のことを教えてしまったらしい。  スター性を秘めた人というのはいるものだと、さつきはそんなふうに考えていた。 「ありがとうございました」  射術を終えてからちょっとした騒ぎになり、さつきが一喝したことでやっと解放されて戻ってきた住倉は学生の頃のように頭を下げた。 「お疲れ様」  さつきが労いの言葉をかけると、住倉は恐縮しながら隣に座った。 「あれだけ覚えていれば上出来だ」 「そうでしょうか」 「見てみろ。生徒たちの熱意が違う」  住倉は生徒たちの射術の様子を眺めた。 「顔を出すなら道着を持ってこいって言われていたので覚悟はしていたのですが、やっぱり弓に触れるのって良いですね」 「自分と対話する時間が持てるからな。私なんかと話すよりもよっぽど早く問題解決の糸口がつかめる」 「すごい。やっぱりお見通しなんですね」  住倉は感心している。  さつきはかぶりを振った。 「まさか。私にそんな力なんかない。ただ何となくだ」  一目で人の気持ちが分かったらどんなに楽なことか。  自分でも分かってはいるのだ。弓道に携わることで成果主義から距離をおくことができる。弓道が自らの心の避難場所になっていることを。  でも、弓道にも大会があって世間的な評価を求められる。  評価が得られず、人気がなく、人が集まらなければ弓道部だって廃部になってしまうかもしれないのだ。 「教育に携わる仕事に就きたい。そう思って子ども教育学科を選んだつもりだったんです。それで幼児教育コースと初等教育コースに分かれていて、前者を選んだんですけど」 「まだ迷っていると」 「はい」  真剣に考えているからこそ悩む。正解なんてない。  他人が教えられるのは、それぞれの環境や現状が今どうなっているかぐらいだ。だけどそれは答えじゃない。 「始めるための動機なんて些細なものでもいいんだ。ご立派な動機を見つけて始めれば長く続けられるかというと、そんなものでもない。  考えて考えて、やっと選んだ道でさえ、すぐ壁にぶつかって辞めてしまう者だっている。  そういう者たちに限って、辞めるための言い訳ばかり山のように並べ立てる。立派な志望動機を誤魔化すためにご立派な辞める理由が必要になるからだ。  そうやって周りの人たちだけでなく自分自身に嘘を重ねていく。  真摯に自分に向き合うことなく自分で泥沼に嵌まっていくんだ。  大切なのはまずやってみること。そして続けることであって、やるやらないで悩むことではないんじゃないか」  そう。誰だって悩み続ける。自分の行動の一挙手一投足に責任を持つことができる人なんて絶対にいない。だから、大丈夫だと自分に言い聞かせて、何度だって挑み続けるし、やり直しを繰り返す。  そうすれば、いつの間にか高みに上がっている自分を、見つけられるかもしれない。 「やるやらないで悩むことじゃない、か。……確かにそうですね」  住倉から憂いを取り除けたとは思っていない。だけど、せめて彼女が納得するまでとことん付き合ってやろう。さつきはそう思った。 「じゃあ、そろそろ二回目の射術を見せてもらおうか」 「えぇー」  優等生の住倉をいぢめるのは楽しい。さつきは思わず笑みが溢れてしまう。 「おーい。住倉先輩がもう一度お手本を見せてくれるそうだぞ」  生徒たちの歓声が上がる。  御膳立てが整ったところで「さぁ、頑張ってこい」と、井上さつきは住倉沙織の背中を叩いた。
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