暴食祭司と癒しの歌姫

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 祭司――クルスは町から少し離れた丘の上の教会に住んでいた。週に一度だけ町へ訪れては簡単な礼拝を広場で行い、町の人の悩みや相談に乗った後、定期的に届けられる物資以外のちょっとした買い物と称して、商店街へ訪れていたのだという。 (運が良かったというべきなんだろうけど、僕はまだ生きているのか)  クルスに助けられてから数数週間が過ぎた今もイルテは平穏に暮らしている。  イルテが着ていた服はボロボロだったため、クルスは聖歌隊衣装である清潔な白いシャツと黒いパンツを渡し、イルテはそれを身に付けている。 聖歌隊衣装と言っても、この古びた教会にそんな立派な団体はなく箪笥の肥やし状態だったという。  クルスは彼自身が言った通り、イルテを小間使いのように扱った―――と言うよりもイルテが自ら勝手出るようになった。  教会の礼拝室以外の掃除と、食事の準備、洗濯、中庭の雑草抜き、運ばれた荷物の整理等々。最初は掃除だけを任せるつもりだとクルスは言っていたが、クルスの生活力の無さに恐怖を覚えたイルテは、助けた恩を返すように働くことを決意しただけでもある。 (牛乳のシチューが青色だったり、パンを焼いたら炭が出てきたり、もはや食事の暴力だよ。もう二度と味わいたくない)  パンの伸ばし棒で殴られていた方がまだマシだったと思う。あの一撃では気を失わなかったが、シチューを一口食べた瞬間、気が付くと翌日だった時の衝撃は今でも覚えている。 (更には二日ほど、舌の感覚が無くなったりしたし、……クルスさんはよく今まで生きていたよなぁ)  作った張本人だからだろうか。  コトコトと鍋の温度を調整していると、窓からひょいッとクルスが顔を覗かせる。 「良い匂い、今日のお昼ご飯かな?」 「……お昼ご飯はサンドウィッチを用意しています、これは夕飯用です。クルスさん、普通に扉から入って声を掛けてください」 「サンドウィッチ! 具は何かな? 卵かな? 卵とレタスとピクルスのものが私は好きだよ」 「クルスさんの好みは知ってます。それよりも、クルスさん……」  ジロッと睨むと、クルスは「分かったよ」と言い、ようやく窓辺から身を引いた。イルテの言葉通り、外から回ってくるだろう。 (全く、クルスさんの第一印象から、どんどんイメージが懸け離れて行っていくなぁ)  純白で清楚で可憐なイメージから、食欲旺盛なわんぱく少年というイメージに変わっていた。成人男性にこのような言い方は些かおかしいかもしれないが、クルスを形成する人格から、そういう他ない。  鍋に蓋をし、竈の火に炭を被せて処理をすると、イルテは戸棚から水筒を取り出し、別の鍋で沸かしておいたお茶を水筒に注ぐ。箱に詰めたサンドウィッチと水筒を編んだ籠に入れてランチマットを被せると、頃合いよくクルスが現れた。 「ご飯!」 「今日は天気がいいので外でいただきましょう」 「それはいいね。青空の下で鳥や花々の唄を聴きながらの食事なんて最高じゃないか!」  両手を合わせて喜ぶクルスに、イルテは思わず笑みを浮かべた。 「ふふっ」 「? 何ですか、突然笑い出したりして」 「イルテの笑み、私は好きだよ。あなたは笑っている顔がとても素敵だ。そうやって笑っていなさい」  頭を優しく撫でられ、イルテはこそばゆく感じてクルスの手を払った。 「意味が分かりません。さっさと行きますよ」 「ふふっ、照れている顔は可愛いね」 「かわっ!? ……もうクルスさんなんて知りません。サンドウィッチは僕一人で食べます」 「ええっ、何で! イルテの笑みは本当に可愛いんだよ?」 「~~~~っ、クルスさんの馬鹿!」  籠を持ったまま小走りして部屋を飛び出す。羞恥と嬉しさが入り乱れて心がめちゃくちゃだ。  貶めるような言葉を言うつもりはなかったが、揶揄うような言葉ばかり言うクルスが全て悪い。  イルテは教会から少し離れた場所にある。クルスが丹精込めて育てている畑までやってきて、畑を掻こう柵に背中を預けてクルスを待つことにした。 (許したわけじゃないけど、このお弁当はクルスさんのために作ったものだし、食べてもらいたい)  イルテの料理を食べるクルスは本当に嬉しそうに、美味しそうに食べてくれる。そんな姿の彼を見るのがイルテにとって楽しみの一つでもあった。  クルスはすぐにやってくるだろう。クルスはイルテを見捨てない。それはクルスがイルテの所有者である故なのだろうけど、イルテは“クルスが自分を見捨てない”と言う事実だけは信じている。  だからこそ、外で無防備に待っていた。  自分がどんな立場だったかと言うのも忘れてーーー。 「イルテ?」  クルスがイルテのいた場所を探し出せたとき、イルテはその場所にはいなかった。散乱したお弁当の中身と踏みにじられた畑だけがクルスの目の前に残されていた。
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