踏みきりのこと

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 青物横丁の駅のところに踏みきりがあったのはいつのころまでなのであろう。たいそうまえ、なにかしらのようじで青物横丁にきたときはあった記憶がある。その踏みきりの光景と横断歩道のけしきがあたまのどこかかしらにたしかに、うすぼんやりとしている気がある。ふっとよみがえる記憶もあるが、さだかではないのであろうか。  京急蒲田にもあった。たしか正月の駅伝などのために京急をとめていた。そういう映像もおぼえているが、あそこもりっぱな高架になり、電車にとってはどちらからでも羽田にはいきやすくなった。  高架になりはじめるまえにある、北品川の駅のところにも踏みきりはある。そばやその一にいくときにわたる踏みきりである。かんかんとなっていれば、むすめにとっては至福の時間、快特ではなく普通各駅であれば(快特であれば速すぎる)、京急電車の車体をまぢかにながめられるけしきである。この踏みきりもみぢかなそんざいである。あとは、北品川駅と京急品川駅のあいだにある八ツ山のふたつの踏みきりである。ひとつ北品川駅にちかい方は旧東海道にさしかかる、または起点になるのであろうか、そういう踏みきりである。道に対してななめにレールは走っていて、たいそうきゅうくつそうに見える。むりにでも、品川駅にくっつけてしまえ、というつくりにも見える。道に対して直角でない踏みきりということは、なんというのであろう、踏みきりのとじているときの電車の格好が、すぎる、というのではなく、くる、という感じがする。しかも、上りはどんな種類の京急でも京急品川にとまるわけであるし、下りもどんな種類の京急でさえも京急品川より出発したばかりで、スピードはでていないし、まして普通ならば、すぐ、また、北品川駅にとまるだんどりになっていて、もうそこには北品川のホームのはしっこも見えている。そんなとき、むすめは、車体というよりも、台車というものを感じとり、知らない言葉ではあるが、おそらく機関とか動力といったものとして見ているのかもしれない。 「たのしいね」 というと、 「うん」 と、電車の轟音、踏みきりの音にまけないくらいの高い声でいっている。さらに、 「あれ、ほせんマン」 ともいっている。踏みきりよこの小屋のようなもののところにずらっと仕事でもおえたようなたくましい保線マンたちがいる。みぎひだりみぎと3本の京急はそれぞれに通っていき、踏みきりはなりをひそめあがっていく。保線マンたちもうごきだし、わたしたちもわたる。踏みきりの向こうがわはちいさなロータリーになっていて、すくないこかげのところにタクシーやトラックの運転手がさぼっていたり、そのまわりのベンチにも何人かいてやすんでいるらしい。そして、このよこにも踏みきりがあって、第一京浜と旧海岸通りをつないでいて、都バスなんかが踏みきりまちをしていたりしている。そうしてきゅうくつそうに京急の快特は通り、踏みきりはなっている。ママチャリなのでふりかえることはないし、いきとかえりは別々なのでここをわたることはない。また踏みきりがなりだして、京急電車が通っている。  ここの踏みきりをむすめとわたることはほとんどない。それは電車にのって品川にいき、もどってくるからである。  京急線の高架になる前のところは踏みきりがもっとあったのであろうか。  京急にのって、ここを通り、踏みきりのしまっているけしきは、いくらかか、見ている。
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