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雪が降り積もる真冬の山中。そこに建っている小屋の中で、僕は暖炉の前に椅子を引っ張って来てはそこに座りウトウトとしていた。
この小屋は祖父がイノシシ狩りに山に入った際に使っていた作業小屋で、今は亡くなった彼の代わりに僕が一人で使っている。
夏に狩った獣の毛皮を冬の間ここで加工し、春に麓の街で売っては生活費を稼いでいるのだ。両親を早くに亡くしてからは街にあった家も売ってしまったし、今はここで、そんな作業をしながら一人暮らしをしている。
僕の1日の始まりは毎日が早い。なので、陽が傾き始めた今がちょうど眠気のピークであり、今日ももうそろそろ休もうと思っていた。けれど少し考え事がしたくて、こうやって暖炉の前に来た次第。でも、目の前でパチパチと火の粉を弾けさせる暖炉の炎が暖かくて心地良く、眠くて眠くて身体が船を漕いでいた。
毛皮を売る以外の、何か新しい稼ぎがないか考えるつもりだったのだが、これでは集中も出来やしない。
そうやってうつらうつらと睡魔と戦っていると、不意に玄関の方で物音がた。目の覚めた僕はその物音の正体を確認するために椅子から立ち上がり、ゆっくりと玄関横の窓へと近付いては外を覗く。
熊か、それとも他の何かか。
こんな山奥だからこそ、確認しておかなければ気が済まなかった。
「……あれ?」
しかし、外にはそれらしき影は見当たらない。
気のせいかと思い顔を引っ込めようとしたのだが、小屋の前に広がる雑木林の間から、こちらへと向かって何かが点々と雪上を染めているものが目についたのだ。良く目を凝らして見るとどうやらそれは赤色をしているようで、咄嗟に僕の頭に浮かんだそれは、血そのものだった。
なんだろう?
どうしても気になって、玄関の扉を少しだけ開けてみる。
冬の間、熊は冬眠しているからそれ程警戒する事はまず無い。しかし“もしも”があるから、一応の確認はしておきたいのだ。
押し開けた扉の隙間からは冷たい風と少しの雪が部屋の中へと舞い込んで来て、背筋がゾクリとする。
こんな寒空の下を移動するなんてよっぽどの事が無い限り有り得ないが、さっき見たのが本当に血で、誰かが困ってここへ辿り着いたのなら助けなくてはならないと思ったのだ。
僕は冷気が入らないようにと少しの隙間から外を見て、特に変化が無いように感じてホッと息を吐いた。
このまま扉を閉めて再び暖炉で温まろうと思っていた矢先、突然の突風に煽られて扉が外に向けて開いてしまう。と、その扉が何かにコツンと当たり、止まった。僕は地面に近い足元へ視線を下ろし、途端に目を輝かせる。
「わっ……犬?狼?なんだろ」
そこには、銀色の獣が横たわっていたのだ。そしてそいつの左前足は赤く染まっていて、どうやら出血しているようにも見受けられる。
窓から見えた雪上の点は、この獣のものだったのか。どこかで怪我を負って、偶然にもこの小屋まで逃げて来たらしい。
祖父は昔ここで、猟犬を数匹飼っていた事がある。その影響もあり僕は大の犬好きでもあったし、だから、怪我をしているコイツを見過ごす事が出来ずにいた。
怪我をしていた獣はここで力尽きたのか、どうやら今は気を失っているらしい。それを良しとした僕はソイツを毛布で包んでやると、そっと部屋の中へと運ぶ。そして脚の血を綺麗な布で拭ってやり、包帯を巻いては手当てをしてやった。
罠に掛かって無理矢理逃げて来たのか、又は何処かで脚を滑らせて怪我をしたのか。
「……目が覚めたら、暴れるかな……」
野生動物はなかなか人間には懐かない。だから手当てをしたらすぐに外へ帰そうとしたのだが、生憎と先程の雪が吹雪に変わり、こんな寒い中に怪我をした獣を出す訳にもいかないと、とりあえず一晩は暖炉の側で寝かせてやる事にした。
僕もそんな獣の隣りでいつの間にかうたた寝をしてしまい、その獣と一緒に一夜を過ごす事となる。
「ん……」
目が覚めたのはまだ陽が登る前だったと思う。
暖炉の火が消えてしまったのか、肌を刺す冷たい空気に無意識に被る物を手探りし、辺りに手を這わせていた。と、近くに毛布の感触を見付けては、そこにいそいそと潜り込む。
まだ眠いから、もう少しだけ……。
毛布の中は暖かくて、居心地が良かった。しかし……その違和感に目を開けると、僕は驚きのあまり「うわぁっ!」と大きな声を上げて毛布を放り投げてしまっていた。
「え?な、なんで……誰?」
「……ん、」
目の前の床には、見知らぬ裸の男が寝ていたのだ。
銀色の長髪に、左手には血の滲む包帯を巻いている。
それを見た僕は、昨夜の出来事を思い出していた。
「まさか……昨日のあれって、人狼だったの?」
良く見れば頭には獣耳と、尻の少し上あたりには立派なふさふさの尻尾が付いている。
この世界には人間以外に、貴重種と呼ばれる存在がいるという事は昔祖父から聞いた事があった。しかしそれらはおとぎ話の世界だと思っていたし、本当に存在するとは思ってもみなかったのだ。
初めて目にする、生きている人外。
僕は今だ寝ている人狼の顔を覗き込み、改めて近距離で観察する。
肌は白く長い髪の毛も美しかったが、どこか薄っすらと汚れている。やはり怪我をした時に暴れたりしたのか、あちこちにかすり傷も作っていた。
彼が目を覚ましたら、風呂にでも入れようか。いや、その前に食事か?
いろいろと考えていると、男の獣耳がピクリと動いた。そしてやっと目を覚ましたらしいその男は、僕と目が合うとびっくりしたように飛び起きては距離を取る。が、怪我をしている手で床を触ってしまったらしく、すぐに険しい表情をしては大声を出した。
「……痛っ!なんだ!どこだここ!」
壁に背を着けては部屋の中を見渡し、警戒心丸出しでキョロキョロとしている。そして先程の衝撃で手からは再び血が溢れ出し、包帯も解けてしまっていた。
僕が「あの、」と声をかければ男は鋭い眼光をこちらへと向け、犬歯を剥き出しにしては低く唸る。
「……なんだ、お前……ここはどこだ?」
血の滲む左手を抱え、男は今にも僕に飛びかかりそうな勢いだった。だから敵では無いと知らせる為に両手を顔の横に掲げ、優しく話し掛ける。
「ここは僕の家だ。安心して、ここには僕しかいない」
「……なにを安心しろと?」
「キミに危害は加えない。それより、その怪我の手当てをさせて欲しい」
「……信用出来ない」
「それでも、僕を信用して欲しい」
「………………」
男が気を許すまで、僕はその場でジッと待機して説得を続けるつもりだった。だが、自分の手に巻かれていた解けかけの包帯を見て、男は徐々に殺気を収めていく。
「……これ、お前がやったのか?」
「そうだよ。昨日、うちの玄関前でキミは倒れてたんだ。だから中に運んで、手当てした」
「……獣臭がしたから、人間がいるなんて思わなかった」
「昔は犬もいたよ。それに、イノシシの毛皮なんかも加工してる。……でも、今ここに住んでるのは僕だけだ」
「……お前は……俺が怖くないのか?」
男の目が細められる。だけど僕にとって貴重種は未知であり、大好きな犬に似ているからか興味しかそそられなかった。
「全然?キミ、見たところ人狼らしいけど……僕は平気だよ?それより、怪我の手当てをさせて」
もう一度優しく丁寧に言えば、彼はゆっくりと力を抜き、糸が切れたようにその場に倒れ込んだ。怪我で身体がダルいのか、額には薄っすらと汗さえも浮いている。
僕は近づくのを許されたと思い、昨夜出しっぱなしにしていた救急箱を持って彼の側に膝を着いた。それから手早く傷口の消毒をして、新しい包帯を巻き直し、ついでに着ていた上着の袖でソイツの汗を拭ってやる。
「……少し、熱もあるみたいだ」
「………………」
「立てる?向こうのベッドで休もう」
僕は男に肩を貸し、隣の寝室へと移動した。そしてこの小屋にひとつしかないベッドに彼を横たえると、直ぐに湯を湧かして濡れタオルで身体を拭いてやる。
「今はこれで我慢して……。熱が下がったらちゃんとした風呂に入ろう」
そう言うと安心でもしたのか、男はベッドに入るとすぐに眠りについてしまっていた。
相当疲れているんだろうな、と思いつつも、僕はいつ彼が目覚めてもいいように、お粥でも作ろうかと寝室をあとにした。
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