薄暮に沈む

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 途中で玄関ドアの隙間から差し込む夕陽が二人を照らした。その瞬間,真っ白に濁った瞳の奥に映る僕自身と目が合った。  かつて毎日ブラッシングをしてくれた僕の綺麗な毛は黄色く汚れ,血がついたところは毛が塊になって汚らしくぶら下がっていた。あの人に抱きしめて欲しくて力一杯飛び跳ねていた後ろ脚は感覚がなく,避けたお腹から腸が飛び出し床に散乱していた。 『ごめんね……痛くしてごめんね……』  泡を吹きながら震える唇を渇いた舌でそっと舐めた。血の味の奥に懐かしい,優しかったあの人の味がした。震える瞳が僕を殺して,あの男を殺してから一緒に死ぬつもりだと訴えている気がして,悲しみと寂しさで胸が潰れそうになった。 『ずっと僕のことを愛してくれたのは知ってるよ……大好きだよ……』  伝わらない想いを必死に伝えようと,グチャグチャになった顔を必死に舐め続けた。なんであんな男に捕まってしまったのか,僕は助けになれなかったのか,薄れゆく意識のなかで何度も自問自答した。夏の夕陽が僕たちを明るく照らし,微かに残る意識のなかで呟いた。 『大丈夫。きっと捜し出すから……僕が見つけ出すから……』   白く濁った瞳から一粒の涙がこぼれると,僕の口の中に幸せだったころの思い出が溢れた。  下半身の感覚がない重たい身体を寄せて,再びぐちゃぐちゃに潰された顔を舐めた。懐かしい匂いがし,ずっと昔にケージの向こうで優しい笑顔で僕を見下ろし,そっと抱きかかえてくれた瞬間を思い出した。純粋に抱っこしてくれたことが嬉しかったことを思い出した。  僕を選んでくれたあの日以来ずっと,一緒に布団で寝ていたこと,テレビを観ている間も身体を寄せ合っていたこと,毎朝,散歩に連れて行ってくれたこと,大嫌いなお風呂でさえ懐かしく,あの幸せな時間が壊れて消えてゆく寂しさに,時間が巻き戻ってほしいと願った。  一緒に過ごした毎日を思い出しながら,僕の目の前も真っ白な世界へと包み込まれていった。舐めたくても舌が動かず,全身から力が抜けていった。  微かに聞こえる電車の音が,これから僕がすべきことを教えてくれた。そして,ゆっくりとすべてを消し去るように目の前が真っ白になっていった。 『一緒に電車に乗らなくちゃ……僕が見つけるから……』
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