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Lesson 30 大好きです!
結局、文化祭1日目は、とにかく松永とカップルであることをアピって仲良しだよということを徹底的に見せつけることにしたんだけど、どこにいてもラブラブなかんじでいなければならないというハードすぎる内容に、思いっきり疲れて終わってしまった。
そして二日目。
今日はファッションショー。
全校生徒の前で、ペアでコスプレしてアピールする。
ちなみに私と松永が選んだのは『王子様とお姫様』の格好。
学校の『王子様』と呼ばれる松永が王子様になれば、確実に票は取れるだろうなという思惑があっての衣装なんだけどね。
問題は私。
私が『お姫様』でいいのかということ。
でも、選んでいた松永はそれは、それは嬉しそうで。
この笑顔のためにも着なくちゃならないんだろうなと……そう思ってはみるものの、ただただため息が漏れる。
そんな私に隣に立つ『王子様』が気遣うような視線を向ける。
「大霜、大丈夫か?」
私は顔を上げる。
頭は重いし、体もだるい。
心なしか熱っぽいのもたしか。
だけどここで棄権はあり得ない。
「大ジョブ……やれるって」
足元がおぼつかなくて、力が入らなくて、王子様の格好をした松永に支えられて立つのがやっとだった。
「なあ、やめよう。保健室行こう。俺、大霜の体のほうが心配だ」
「無理。だって次、私たちの番だもん。大ジョブだもん……デキルって」
思考回路がときどき飛んじゃう。
熱上がってるのかな。
でも、ここで辞められない。
だって私には目的がある。
今日、葵が来ているのか、そうでないのかはわからない。
それでも、一度自分がやると決めたことをここで放り出したくない。
最後まであきらめずにやって、全力でぶつかってみてダメだったら諦めるって。
そう決めて望んだことなんだから!
「ダメだ! いつものおまえじゃない! 俺は棄権する! おまえがイヤだって行っても、引きずってでも保健室連れてくかんな!」
そう言って松永が私の腕をグッと引っ張ったときだった。
「それには賛成できないな」
突然湧いた声に、心臓がとまるかと思った。
ぼんやりした思考と視界がその声を求める。
振り返ったその先にダークスーツを着こなしたその人が立っていた。
「あ……おい……」
「ちょ……部外者はここには!!」
やってくる先生たちを一瞥すると「そこの生徒の兄です」と葵は言った。
『兄』という言葉に胸がズキズキと痛みの悲鳴をあげ始めるけれど、それでも、そこに葵がいることのほうが私には大事で……
立っているのがやっとで声が出ないし、熱は加速する。
胸の鼓動はそれ以上に早くなる。
喧騒は遠く耳の奥深くに潜り込み、自分の呼吸の音だけが静かにその場を支配している。
これは夢なのかな?
熱のせいで、葵の夢を見ているのかな?
それほどに求めていたのかと……そう思って目の前の人をただ見据えていた。
「こんな状態なんですよ! 歩くのだって無理なのに、舞台に立つなんて!」
松永がそう葵に噛みついた。
葵はそんな松永に「なら、おまえが支えろ」と吐き捨てるように言った。
「陽菜子に惚れてるんだろう? 男なら惚れた女の言うことくらい、全力で守ってやれよ」
右の口角だけをキレイにあげて見せて葵はそう言った。
その言葉に松永は押し黙るように唇を噛んだ。
葵は私の前にやってくると腕を伸ばす。
近づいてくる指先が、まるでスロー再生のようにゆっくり見える。
ピタリと、私の頬に葵の大きな手が重なる。
肌はまるで葵を求めていたように、少しの隙間もなく、くっついてしまった。
葵はぼんやりと眺める私に笑みを落とす。
「熱、つらいか?」
優しい声音。
私を拒絶したあのときの声とはまったく違う、柔らかな響き。
それが死ぬほど嬉しくて、私は首を左右に振って見せた。
「じゃあ、頑張れよ」
葵は目が細めた。
彼の瞳に意地悪な色が浮かぶ。
「見ててやるよ。聞いててやる。だから最後まで根性見せてみろ、意地っ張り」
イジワルで、イジワルで。
本当に大嫌いって叫びたくなるほどイジワルなのに大好きで、大好きでたまらない葵がそこにいる。
「うん」
大きく首を縦に振る。
そんな私の頬から葵は手を離すと「ほらっ」と松永のほうに私の背を押した。
「そいつが舞台の上でぶっ倒れでもしたら、ただじゃおかないよ?」
松永ににやりと背筋の凍るような笑顔を向けると、葵はくるりと背を向け行ってしまった。
「松永・大霜ペア、いいですか?」
その声に我に返る。
松永と顔を見合わせ、お互い同じタイミングで頷いた。
「俺、絶対に支えるから」
「うん」
「絶対に守るから」
「うん」
ただ、うんとしか返せなかったけど大丈夫だよ。
私はやれる。
葵が見ていてくれるから。
聞いていてくれるから。
着慣れないドレスに足を取られそうになる。
それは熱のせいかもしれない。
そんな私を松永が横で支えてくれていた。
松永にリードされ、舞台の上で最大限の笑顔でアピール。
ときどき顔を見合わせ、にっこりとほほ笑み合う。
王子様とお姫様。
それに成りきって、くるくると踊る。
つまずきそうになる瞬間、松永の手が私をグッと引き寄せた。
胸の中に落ちる私に、松永の囁きが耳へと振ってくる。
「おまえを転ばせるのは男のプライドにかけてできねーからな」
見上げた松永の瞳は、なにか凄く強くぎらぎらと燃えているようだった。
その視線がまっすぐ伸びる。
真っ暗な舞台の下。
それなのに、壁に寄りかかるその人の姿はぼんやりする私の視界にも、前を睨みつけるように見据える松永にも映っているようだった。
不敵なほほ笑みを乗せて腕を組み、壁に寄りかかる葵。
私だけを見ていてくれていることに、胸が躍って仕方なかった。
松永との瞬間的なラブシーンに、会場内に歓声が響き渡る。
盛り上がる会場にゆっくりとお辞儀をしながら、袖へとはけて行く。
一気にヒートアップしたその中で、今度は告白大会へと流れが変わっていく。
「大霜」
はぁはぁと肩で息をする私に、松永は冷たいタオルを手渡してきた。
その優しさが痛いくらい胸に刺さるのに、私の意識は葵へと向かっている。
「あの人なんだよな、おまえの好きな人」
「うん」
「告白しろよ」
突然のことに、ぼんやりする思考がまた停止する。
「あとの責任は俺が取るからさ」
「なん……で?」
「あの人に負けたくねーから」
そう言うと、松永は見えない客席の方に視線を向けた。
「男として、あの人に負けたままで終わりたくねーから」
松永が私に飛びきりの笑顔を向ける。
「だから、おまえの背中は俺が守ってやる。安心しろ!」
まるで時代劇みたいなことを言う。
でもそうやって笑ってくれる松永の顔が本当にいい表情で、たまらなくて、私は素直にうなずいていた。
うん。松永の男としてのプライドを私も守りたい。
それが彼の優しさに対して私が唯一できることだと思うから。
「行けるか?」
口笛や歓声の嵐になっている会場で、次から次に代表ペアの告白が終わっていく。
熱があるせいだろうか?
なんとなく全身に震えが走る。
クラクラとさっきよりもずいぶんひどい眩暈に襲われている。
それでも言いたい。
松永が差し出してくれる手をしっかり握って壇上へと向かう。
松永が私の隣に立ってマイクの前に連れていってくれる。
「がんばれよ」
囁き声が耳元でした。
私たちの意味深な姿に黄色い声が湧きあがる。
ドクドクという脈打つ音がこれほど大きく聞こえるのは熱があるから?
それとも、この緊張感にもう自分の思考がついていかないから?
深呼吸してから口を開く。
刹那、会場は一気に静けさを帯びた。
「本宮葵さん!」
キーンッという金属音とともに、私の発したその名が会場内に響き渡る。
一瞬の静寂の後でざわめきが起こる。
そのざわめきの中。
「は~い」
手を上げて、スーツ姿の葵がゆっくりと壇上の前まで進み出てくる。
葵が歩くその姿を全校生徒の首が追って行く。
葵は軽い足取りで壇の前までやってくると、その前でピタリと足をとめて私を見上げた。
熱い視線がまっすぐに向かって来て、負けないように私も見つめ返す。
口の中が乾ききって、どうにもパサパサする。
葵は黙ったまま私を見上げていた。
会場内のざわめきはもうなくなっていて、皆、固唾を飲んでこの後の展開を見守っている。
ごくりと唾を飲み込んでから張りついている声を揺さぶり起こす。
「私……」
クラクラする。
ぼんやりとする。
それでも私は声を絞り出す。
「あなたが好きです」
葵は何も言わない。
「あなたのことがずっとずっと前から、好きです」
葵はにこりともしない。
「あなたが私を好きじゃなくても」
葵はただ私を見つめていた。
「あなたが大好きです」
もう限界。
葵を好きだと思う気持ちも、立っていられるのも。
もう……限界だよ……
「大霜!」
背後から松永の声が飛んでくる。
一気に傾いていく視界。
その端で葵が軽やかに壇上へとあがってくるのが見えた。
真っ白な世界が近づいてくるのに、私の目も靄がかかったように白みかけているのに、それでも葵の姿だけは、はっきり、くっきりとそこだけ世界が違うかのように浮き出て見える。
トクトクという優しい鼓動が聞こえる。
力強い腕が私の背中に回って、頬に、額にやんわりと撫でられる。
「あお……」
「よくやったよ、おまえ」
小さくなっていく葵の声。
「根性見せすぎだ。そんなことされたら……なるよ」
聞きたいのに……どんどん声が遠くなる。
見えたのは意地悪な、でもどこか優しさに溢れた笑顔。
それが最後。
私の世界は真っ白なものに塗り替えられて、葵の顔も見えなくなった。
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