Lesson 10 もう知らない!

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Lesson 10 もう知らない!

 部屋の椅子にぼんやりと腰掛けながら、私は小さなため息をついた。 「やっちゃったよ……」  後悔しているわけじゃない。  だけど、流されっぱなしだということにため息が出る。  自分の意思がないみたいにドツボにハマっている。  それこそ葵の狙い通りなのかもしれないが―― 「でもなあ……」  窓の外をそっと見る。  すっきりと青く晴れ渡った空が広がっている。  この空のように私の中にあったもやもやがなくなっていることに気づかされる。 「キス……したかったんだ」  葵とキスをして、されて、悔しさの裏側に『嬉しさ』があった。  なんで『嬉しい』のかはわからない。  だけどキスをされたのは単純に嬉しかったのだ。  机の上に乗っている紙袋に手を伸ばす。  葵が買ってくれたお昼ごはん。  ハンバーガーとポテトはまだほんのりと温かい。  お昼を一緒にと言った葵だったけど、急な仕事の電話でゆっくりできなくなったからと買ってくれたポテトをつまむ。 『わからないことあったら夜でもいいから連絡しろ』  そう言い残して家へと帰って行く葵の背中を見送ってから家の鍵を開けたとき、ちょっぴり淋しくなって振り返ってしまった。  唇に残る葵の感触に、思わず指が伸びた。  縮まった距離にドキドキがとまらなかった。  葵の唇に触れたら胸がしぼられるみたいに痛くなってたまらなかった。  ――葵を……好きなんだろうか?  そう思うけど、好きっていうのがどういうものなのかがおぼろげで、はっきり『好きです』と言えない。  葵がいるのが自然すぎて、彼がいないことが想像できない。 「考えるな、陽菜子!」  振り切るようにパチンと両手で頬を叩き、私はハンバーガーの袋を開けた。  思いっきりハンバーガーに噛みつく。  ――葵とお昼を一緒にしたかったなあ。  どこかでゆっくりお茶とかお昼とか、そういうことをしたことがなかったから。  ブルブル……と机の上に無造作に放り出していたスマホが震えた。  急いでハンバーガーを置き、軽く指先を舐めてから、すぐさまスマホを手にした。  仕事に行かなくて済んだんだ……とかの連絡だろうか?  胸が急に熱くなって、血が一気に全身へ廻る。  ――いや、好きじゃないから。  葵のことは嫌いじゃないけど、好きじゃないから。  キスはしたかったけど。  キスしたかったのは焦らされたからであって、なおかつそのことがちょっとストレスになっていたせいだから。  ――それだけなんだから。  いいわけばっかりが頭と胸を行ったり来たりして、キスを許した自分を必死に擁護する。  しかしスマホのディスプレイを見た途端、そんな気持ちは一気に冷めて行った。  松永からのLINEだった。 『なにしてる?』だって。  どうしようか迷ったけど、結局返事はしないことにした。  だけどなかなか諦めが悪くて、次から次に通知が来る。  それでも放置。  葵じゃないのなら返事したくないなんて、バカな私。  それでも今はそんな気分なのだから仕方ない。  スマホの通知音が切れる。  ――諦めたかな?  そう思った瞬間、また鳴りだした。  とことん諦めが悪い。  大きなため息をひとつこぼして、私はもう一度スマホを手にしてから、通知を確認した。  『ひま?』『遊びに行ってる?』『助けてほしいんだけど?』『俺、うざいかなあ』…… 『うざい』 『ひまじゃない』 『勉強してる』  そう返すとすぐに『それなら一緒にしようよ』と返ってきた。 『なんで?』 『俺、数学苦手。正直、宿題ぜんぜんわかんないから助けてほしい。大霜のほうが得意だろ?』  ――数学、私も苦手なのに。  でもたしかに松永よりは私のほうが明らかに数学はできる。彼は勉強はあんまりな口だから。  フッと外を見ると、隣の家の前にスーツ姿の葵が立っていた。  そこに銀色のスポーツカーが現れて、葵の前でとまる。  その車の窓からゆっくりと顔を出したのは女の人で、葵も親しげに手なんか上げて楽しそうに笑った。  ――仕事?  仕事なのに迎えが来るの?  しかも……なんでよりによって女の人?  それもすごく美人。  ゆっくりと助手席のほうに回り込んでから車に乗る葵。  葵を乗せたスポーツカーが大きな道のほうへと走り去っていく。 ――なにあれ……?  仕事って言った。  なのに、なんで美人が葵をお迎えに来るの?  あれじゃ、まるっきりデートに行くみたいじゃない。 『やっぱりむりかな?』  スマホがブルっと震えたことで我を取り戻す。  椅子にすとんっと座りなおしながら、松永に『いいよ』と返した。 『まぢで? ほんとにいいの? ほんとに大丈夫?』 『いやならやめる』 『ややややややめないで!』 『どこで教える?』 『えっと。俺のうち……とかじゃやだよな? って。なにかしようなんて、ぜんぜん思ってないし。えっと……ほんとに下心、まったくないから』  松永はそう言い訳した。  下心がまったくない。  そんな言葉に私の眉がピクリと上がる。 『いいよ。行く。でも場所わかんないから学校までは迎えに来て』 『まーじーでー! よしっ! 行く行く行きますっ! じゃ、30分後、学校で』 『了解』のスタンプを送信するとすぐに既読になったスマホをベッドの上に放り出した。  それから机の上の食べ物たちを無造作に袋に戻す。  ――もう知らない! 葵なんか知らない! 一人でバカみたいじゃん!  あんな男を一瞬でもいいかもなんて思った自分に吐き気がする。  私は手の甲で唇を強く拭うと、適当に参考書と問題集をバックに詰め込んだ。ベッドの上のスマホがちらついたけど、掴むことなく部屋を出た。
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