昔のポエム

2/3
前へ
/3ページ
次へ
金澤有人は、当時聡子が所属していた短歌結社「葱と金槌」の有力歌人であった。 当時で、聡子より2つ上の32歳。男前で、短歌が巧く、話術も長けていたから非常にモテた。同じ「葱と金槌」の女性と結婚したが1年で別れ、その後は同人の女性をとっかえひっかえしているとの噂があった。 このブログは、筆名「渚月子」で書いていた。 ブログの存在を、「葱と金槌」の誰にも話したことがない。 ブログの更新をやめてすぐに「葱と金槌」も退会してしまった。 金澤さん、なぜわかったんだろう。 もしかして金澤さん、私に気があって、連絡先を探してこのブログを突きとめた、ということなのかしら……? 金澤さん、15年も放っておいて、ごめんなさいね。 聡子は両頬をにんまりさせながら、金澤有人のコメントを開けた。
/3ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加