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これは私が中学生のころに実際に体験したお話です。
私はある島で生まれ、十年以上そこで暮らしていました。総人口二万人ほどの小さな島です。しかし中学二年生の八月ごろに、親の仕事の都合で本土の学校に転校することが決まっていました。十年以上暮らした島を離れるのは不安でしたが、同時に新しい世界に行けることがとても楽しみでした。
今からお話するのはその島で暮らす最後の夏に体験した出来事です。
私は幼いころから木登りや海で泳ぐことが得意で、何事も興味があり、新しいことに挑戦するのが好きな活発な子供でした。親や友達からは本名の圭子からとって「ケイちゃん」という愛称で呼ばれていました。ああ、これは今でもですね。
中学二年生の夏、私は同じクラスのサチコとトモエの二人と一緒にある計画を立てていました。
私が通っていた中学は新校舎と旧校舎がありましたが、旧校舎は建物の老朽化により使用禁止となっていました。戦後すぐに建てられてというその建物は、古いうえに誰も立ち入らないため不気味な雰囲気があり、生徒たちの間では幽霊が出るという噂がありました。
その噂とは、深夜二時に旧校舎に入ると、二階から三階に続く階段の踊り場で誰かに手足を掴まれたり、どこからともなく足音が聞こえてきたりするというものでした。しかし実際に旧校舎に入った生徒が行方不明になったとか、不慮の事故にあったなどという話は一切ありませんでした。
島の大人はみんな揃ってこう言いました。
「手足を掴まれたのは気のせいで、足音はたぶんほかにも誰か旧校舎に入っていたのだろう」と。
噂があるからそれらしい出来事があると、幽霊の仕業だと考えてしまう。冷静に考えれば他に理由があるはずなのに、旧校舎の雰囲気にのまれて、脳が勝手に噂と結びつけているだけなのだ。
その話を聞いた生徒たちの大半は、そうだったのかと納得しましたが、それでも噂が消えなかったのは、みんな共通の話題で盛り上がることが楽しかったからだと思います。実際に幽霊がいるかどうかは二の次で、あることないことそれらしいことを話してみんなで盛り上がる。そうやって非日常的な世界に足を踏み入れた気分になる。みんな、そいう感じでした。
私も噂はまったく信じていませんでした。信じていなかったからこそ、その旧校舎で肝試しをすることにしたのです。さきほどお話しした、ある計画というのがこれです。
私が転校する前に、当時いつも一緒にいたサチコとトモエと何かインパクトのある思い出を作ろうという話になったのです。大人になっても忘れられないような素晴らしい思い出を。何をするか考えはじめてから、夜中の旧校舎に入ってみようという話になるまでに時間はかかりませんでした。肝試しという恐怖体験を共有することは、きっと何年経っても忘れないだろと。
七月三十日。深夜一時半。親が寝静まったのを見計らって家を抜け出し、私たちは中学校に集合しました。塀をよじ登って学校の敷地内に入り、新校舎を通り過ぎて旧校舎に向かいました。
旧校舎の外壁には大きなヒビが入っており、それを覆い隠すように蔦が地面から伸びていました。出入口には立ち入り禁止の看板が立っており、その近くに行くとやけに寒く感じたのを今でもよく覚えています。
「ねえ、知ってる? 旧校舎のある噂」
旧校舎の前でサチコがそう言いました。
「噂って、あれでしょ。足音が聞こえるとか手足を掴まれたとかっていう」
何を今更、と思いながら私は答えました。
「違うの。旧校舎にはみんなが知らないもう一つの噂があるの」
サチコはまるで自慢するかのようにその噂の内容を話し始めました。
「実はね、この旧校舎には鳥足様伝説っていう伝説があるの」
「とりあしさま? 何それ。トモちゃんは知ってる?」
「ううん、知らないわ」
「鳥足様っていうのはね、毎年七月三十日の深夜二時にこの旧校舎に現れる妖怪なの。顔が見えないくらい髪の毛が長くて、腕には火傷のあとみたいなものがあるんだって」
「それが鳥足様?」
「本当に妖怪なの?」
「そうよ。鳥足様はね、一見すると人間の子供なんだけど、よく見ると膝から下が鳥の足なんだって。ボロボロの着物みたいな服を着ていて、その隙間から鳥の足が見えるの。それでね、鳥足様に見つかると追いかけられるんだけど、鳥の足だからものすごく早くて、逃げ切ることはできないんだって」
「ええ。じゃあ、追いつかれたらどうるなるの?」
「食べられるのよ。きっと」
きっと、ということはサチコも本当はどうなるのか知らないのだろうと思いました。
「でもどうして足が鳥の足なの?」
「さあ。わからないわ。人間が鳥の子供を産んだとか、鳥に育てられた人間とか、色々な説があるみたいだけど、本当のことは何もわからないの」
私はその話を聞いて、旧校舎に入ることが怖くなりました。普段は幽霊なんて信じていません。でも、深夜の旧校舎は、サチコの話を信じてしまいそうになるほど、不気味で恐ろしい雰囲気があったのです。できることならこのまま帰りたいとさえ思いましたが、それでも何も言わなかったのは、本当に三人で思い出を作りたかったからと、何事にも興味を惹かれる性格のせいでした。
鳥足様の話を聞いたあと、トモエは途端に旧校舎に入ること嫌がりましたが、サチコに手を引かれ、私たちは深夜の旧校舎に入りました。
電気は通っていないため、私が持ってきた懐中電灯で建物内を照らしながら歩きました。天井は蜘蛛の巣が張り巡らせており、窓ガラスはところどころ割れているため、風が吹くたびにひゅうっという不気味な音が聞こえてきます。床は歩くたびに軋み、足に何かが触れたかと思うと拳大ほどの埃だったり、虫の死骸だったりして、驚きと安堵を繰り返しながら、旧校舎の奥に進んでいきました。
一階の下駄箱を通り過ぎ、二階に続く階段をゆっくりと上がって行きました。もちろん二階も真っ暗で、しんと静まり返っていました。トモエはずっと私とサチコの一歩後ろを歩いていました。
「何もないね」
私は恐怖心を打ち消そうと、わざと明るい声を出しました。
「でも問題の踊り場は次よ」
「ねえ、もう帰ろう? わざわざ噂になってるところまで行かなくてもいいじゃない」
トモエはサチコの服の裾を掴みながら、そう言いました。
「何言ってるの。せっかくここまで来たのよ。ちゃんと三階まで上がらなきゃ」
サチコは聞く耳を持ちませんでした。私も本当は帰りたかったのですが、せっかくここまで来たのだからと、三階に行くことに賛成しました。
噂となっている三階に続く踊り場に到着しとき、すぐに私が懐中電灯で周辺を照らしましたが、もちろん何もいませんでしたし、足音も聞こえませんでした。
「ほら、何もないじゃない」
「噂は噂なのよ」
旧校舎に入ってから、ようやく私たちは笑い合いました。
よかった、何もないじゃない。やっぱり噂は噂なのよ。私たちは旧校舎に幽霊がいないことを証明したのよ、と。
「あとは三階に行って、廊下を歩くだけよ」
サチコがそう言って階段を上がろうとしたときでした。
「しっ。待って」
トモエが人差し指を立てて、サチコの服の裾を思い借り掴みました。
「何か聞こえる」
「何かって?」
トモエは答えませんでした。私とサチコはその何かの音を聞こうとして、黙ったままその場から動きませんでした。
「何も聞こえないじゃない」
サチコがそう言った瞬間、トモエが悲鳴をあげました。
「いやあ!!」
その声に驚いて私とサチコも悲鳴をあげると、トモエが目に涙を浮かべながら私にしがみついてきました。
鳥足様が現れたのかと思い、すぐに階段を降りようとしましたが、サチコがすぐに音の正体に気がづきました。
「猫よ。黒猫がいるわ」
その言葉にトモエはようやく落ち着き、私が懐中電灯でもう一度踊り場を照らすと、彼女の言う通り、そこには真っ黒色の猫がいたのです。黒猫を見たトモエはその場に座り込み、サチコはその黒猫の頭を撫でようとしました。
「きっと割れた窓から入ってきたのね」
サチコの手をするりとかわした黒猫は、そのまま三階に続く階段を上がっていきました。すっかり安心した私たちは再び笑い合ってから、黒猫のあとに続くように階段を上がり始めました。
階段を上り三階の廊下にたどり着いた瞬間、再びトモエがサチコの服の裾を引っ張りました。私は念のため懐中電灯の明かりを切りました。昔誰かから聞いたことなのですが、幽霊が近くにいるとわかった場合、自分たちの存在を気付かれてはいけないし、またこちらも気づいたことを悟られてはいけないと。
「今度は何?」
「また変な音がしたの」
「どうせさっきの猫でしょう」
私はトモエが自分たちを怖がらせようとしているのだと思い、その手にはのらないからと、廊下を歩こうとしたました。
コツ……コツ……
その音はたしかに私たちの耳に届きました。
「ねえ、今何か聞こえた」
「猫の足音じゃないわよね……」
コツ……コツ……
何か固いものが床にあたるような、そんな音でした。
「こっちに近づいて来てない?」
「大丈夫よ。きっとさっきの猫が空き教室で何かしているんだわ」
サチコはそう言うと、私から懐中電灯を奪い、廊下を照らしました。
コツ……コツ……
廊下の奥に人影が見えました。一本の懐中電灯の光だけでははっきりと見えませんでしたが、その人影はボロボロになった着物らしき服を着ており、ゆっくりとこちらに向かって歩いて来ているようでした。
顔を隠すように伸びている黒い髪は暗闇と同化して、まるで首から上がないようにも見えます。
コツ……コツ……
それが歩くたびにその音が響き、サチコは勇気を振り絞って、懐中電灯を少し下に向けて、その人影の足元を照らしました。
「鳥足様よ!!」
サチコがそう叫んだ瞬間、私たちは急いで階段を降りました。
懐中電灯によりボロボロの着物の隙間から見えた足は、人間の足ではありませんでした。骨のような細い足は、人間で言う足の甲の部分で三本か四本に分かれており、それぞれの先には鋭く尖った爪が生えていました。そして足全体は魚の鱗のような模様が見えました。
私たちが一斉に階段を降りはじめたと同時に、コツコツという足音の間隔が短くなり、さらにその音はどんどん大きくなっていきました。
コツ……コツ……コツ…コツ…コツコツコツコツコツコツコツコツ……
懐中電灯で足元を照らすのも忘れ、みんな無我夢中で走りました。追いかけられているという恐怖と焦りに襲われながら、懸命に走っていると、「あっ!」という声と共に先頭を走っていたサチコが足を踏み外し、二階から一階へ続く階段で、転がり落ちてしまいました。
「サッちゃん!」
私とトモエは慌ててサチコのもとまで行き、彼女を呼びかけましたが返事はありません。
「サッちゃん! 起きて!」
「鳥足様が来るよ!! ねえ!」
何度肩を揺すってもサチコは目を覚ましませんでした。
コツコツコツコツコココココココココ……
「私が背負って逃げるから、トモちゃん手伝って!」
トモエは指示通りサチコの上体を起こし、私の背中に乗せました。私はサチコを背負うとトモエと共に全速力で出入口に向かって走りました。
足音はすぐ後ろで鳴っているように聞こえましたが、決して振り返ることなく、出口まで走り続けました。
旧校舎を出ても足を止めず校門まで走りましたが、サチコを背負ったまま塀を超えることは難しいと思いました。しかし鳥足様がどこまで追いかけてくるかわからない以上、ここで足を止めるわけにはいきません。
「ケイちゃん! 私先に塀に登るからケイちゃんはあとから登って。私は塀から降りずにケイちゃんが登るのを助けるから!」
トモエはそう言うと必死で門の横の塀を登りました。
「上がってきて!」
今度は私の番だという時、 校門の外には運良く巡回中の警察官が歩いており、私たちは大声で助けを求めました。
おかげで私たちは無事警察官に保護され、サチコはすぐに病院に搬送されました。親や教師からはこっぴどく叱られ、警察官から注意を受けました。トモエはその間中泣き続け、私は泣くのを必死で我慢しました。
サチコは一命は取り留めたものの頭を強く打っており、意識不明のままいつ目を覚ますかわからないとのこでした。頭意外にも手足を強打したらしく、病室で眠る彼女は包帯だらけでした。
旧校舎に入ってから二週間が経ったその日、私は最後のサチコのお見舞いに行きました。家の荷物は全て新しい家に送り終えており、私と私の家族は翌日に島を出る予定だったからです。
入院してからサチコが目を覚ますことは一度もありませんでした。しかし私が引っ越しの前日にトモエと一緒にお見舞いに行くと、なんとサチコが目を覚ましたのです。私たちは喜びのあまりその場で泣きました。私は鳥足様を見ても、親や教師に怒られても決して泣きませんでしたが、このときばかりは声を上げて泣きました。トモエも一緒に泣きました。
翌日、私たち家族は島の人たちに見送られながら、本土に向かう船に乗りました。サチコはまだ外に出ることは出来なかったので、船に乗る前にサチコが入院している病院に行き、お別れの挨拶をしました。彼女は泣きながら、あらかじめ書いていた手紙を渡してくれました。今でもその手紙は私の大切な宝物です。
これが島で過ごした最後の思い出です。二度と忘れることができない夏の思い出でもあります。
私がこの体験をあなたにお話しようと思ったのは、今年の夏に十五年ぶりに故郷であるその島に行く機会があったからです。
島に住んでいたころはスマートフォンどころか、携帯電話すらありませんでした。ですから島を出てからは、サチコやトモエたちとは連絡を取っていませんでした。私も本土の生活に慣れるのに必死でしたから、島での生活は時間が経つにつれて思い出さなくなっていたのです。
今年の夏、十五年ぶりにトモエから連絡がきました。SNSで偶然私のアカウントを見つけて、連絡をくれたんです。その理由はサチコに関することでした。二人は中学を卒業後も島で生活し、結婚したそうです。ただサチコは五年ほど前から病気を患い、今年島で亡くなりました。
トモエからの連絡はサチコのお葬式に参列するために、島に来て欲しいとのいうものでした。もちろん有給を取ってすぐに島に行きました。
十五年ぶりに行った島は活気がなく、私が住んでいたころと同じ土地だとは思えませんでした。本土に引っ越す人が年々増えていったせいだと島の人たちは話していました。サチコのお葬式はその島で静かに行われました。
サチコの遺体を火葬したあと、私とトモエは彼女の家族とともに、骨上げのために収骨室に行きました。本来は遺族や生前サチコと縁の深かった人たちで行われるものですが、彼女の両親は二年前に他界し、親族は旦那さんとお子さんしかいなかったので、私たちも骨上げをすることになりました。
そこで私は驚愕しました。
「これって、どういうこと?」
サチコの遺骨は足がなかったのです。膝から下の骨が全くありませんでした。
骨上げのあとでトモエに話を聞くと、サチコは中学生のころに両足を切断したというのです。私たちが旧校舎に入った日、彼女は入院し、私が島を出る前日に目を覚ましました。しかしそのあとで両足が壊死しはじめたのだと言います。骨折をしたわけでもなければ、大量出血するような怪我をしたわけでもないのに、突如として彼女の足は壊死してしまい、生きるためには切断する必要があったのだそうです。
私は葬式のあと、すぐに鳥足様について調べました。
鳥足様とは、本来『霊が人間の足を取る様』と言う意味で『取足様』という漢字だったそうです。取足様は妖怪という噂がありましたが、実際は戦時中に地雷により両足を失った少女の霊だと言われています。取足様は自分の目の前で、人が自由に歩いている姿を見つけると、自分と同じ苦しみを与えるために足を奪うのだそうです。旧校舎が建てられた場所が、かつてその少女が地雷で足を失った場所なのではないかと言われています。
現在でも取足様の足がなぜ鳥の足なのかは定かではありません。ただ一説によると、両足を失ったショックから、少女は多くの動物を殺し、その足を切断していたのではないか、動物たちの怨念が死んだ少女の足を鳥の足にしてしまったのではないかというのです。本当のことはもちろん誰も知りません。
私は今でも旧校舎に入ったことを後悔しています。本土に引っ越してきたばかりのころは、実際にこの目で取足様を見ても誰も死ななかったことに安堵して、当時の記憶を封じようと必死でした。忘れられない思い出を作るはずが、私にとって一番忘れたい思い出になっていたのです。友人が辛い思いをしているとも知らずに。
これでおわかりいただけたのではないかと思います。先生は転んだだけで両足が壊死することはまずあり得ないと仰いましたね。ところがこの世界には医学や科学では解明できないことがたくさんあるんです。もちろん信じていただかなくても結構ですよ。この話も、私の足のことも。
ただはじめに言った通り、これは実際にあった話です。この体験が、私が両足切断の手術を受けることを決めた理由なのですから。
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