プロローグ

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プロローグ

 その男は部下を引き連れ速足で歩いていた。彼の名前はカンザキ、アジア連合の上級士官である。彼が急ぐ理由は一つ。今この瞬間にも、地球に深刻なダメージを与える新兵器の発射準備が着々と進められているからだ。 「ヒビノ、猶予は」  ヒビノと呼ばれた女性は「あと10分です」と答える。その決定はあまりに性急すぎた。あの兵器を使えば今後の人類がどうなってしまうのか誰にだって自明のはずだ。幸運なことに、カンザキの考えを支持してくれる士官は少なくなく、既に彼らが先客としているかもしれない。淡い期待を抱きつつ、必ずこの危機を回避するという強い決意を持ってカンザキは指揮所の扉を開ける。  指揮所の中はコンピュータの液晶が放つ輝きで照らされていた。何人ものオペレーターが各所に指示を伝達している。正面にある大きなモニターには世界の主要都市がマーキングされた地図と、そこへ向けて発射される新兵器を搭載したミサイルの発射シークエンスの進捗が表示されていた。既にいくつかはいつでも発射出来る状態のようだ。    そして指揮所にはやはり先客がいた。しかし、液晶の青い光に照らされるそれは、血を流しながら床に臥せ微動だにしない。カンザキはこの人物が誰か知っていた。同期のリー中尉である。その光景に驚きを隠せないカンザキだが、彼の先にいる男を見て表情を隠す。その男は無表情でこちらへ声をかける。 「カンザキ中尉か、何用かね」  カンザキは声の主に対してどう返答するか迷う。その一瞬の間から彼の気の迷いを感じ取った男はさらに続ける。 「ああ。彼はこの作戦に異議を唱えたため銃殺刑となった」 「なんてことを……!」  予想はしていたが、あまりにハッキリと言われたためカンザキの口からは驚きの言葉が漏れてしまう。この男は今回の作戦を立案し、推進した人物。名はチャンドラと言う。姓はないという噂で、カンザキも名前しか知らない。このような得体の知れない人間がどうやって軍上層部に入り込んだのかは大きな謎であるが、今は目下の問題を解決しなければならない。意を決してカンザキが口を開こうとすると、それを遮るようにチャンドラが口を開く。 「まさか君も銃殺刑になりにきたのか?」  彼は不敵に笑った。つまり彼は異議を唱えようものなら撃つと言いたいわけだ。彼の言葉に合わせて彼の後ろに控えていた兵士がこちらへ銃を向ける。 「そんな勝手なことが許されると思っているのか!」  チャンドラは彼のことを意に介していないように見えた。殺すと言われてしまっては言いたいことも言えない。カンザキは部下を連れてきてしまったことを後悔した。自分一人なら思いのたけを言ってしまっても自分一人銃殺されるだけで済む。しかし今は部下もいるのだ。彼らが殺されない保証はない。カンザキがそれ以上何も言えないのを見てチャンドラはオペレーターに指示を出す。 「発射のカウントダウンを始めろ!」  その言葉を皮切りに一斉にカウントダウンが始まる。モニターには残り120秒の文字が表示される。これは人類滅亡までのカウントダウンなのかもしれない。それをここにいるオペレーター達は分かっているのだろうかとカンザキは思う。 「カンザキ中尉……!!」  ヒビノが息をのむのが分かった。彼女の故郷、ニューヨークも攻撃対象になっている。攻撃が実行されれば彼女の家族や友人はこの世から消え去るだろう。それをみすみす見逃すなど出来るはずもない。  彼女は素早い動作で太ももの横に取り付けられたホルスターから拳銃を抜く。そしてチャンドラに突き付けた。遅れて兵士達も彼女へ銃を向けるが、彼女の方が一歩速かった。彼女の銃から一発の銃弾が放たれる。そしてそれはチャンドラのこめかみを撃ち抜いた。同時に兵士の銃からも銃弾が放たれる。無情にもそれはヒビノの眉間を撃ち抜いた。脳漿をぶちまけながら力なく二人の人間が床に崩れ落ちる。一瞬の出来事に辺りは騒然となった。カンザキもヒビノを抱き起こす。 「ヒビノ……!なんてことを……!」  当然彼女は即死だった。声をかけたところで何も返ってはこない。眼孔からはじわりと血が溢れ出していた。カンザキはそっと彼女の目を閉ざす。 彼女のことは他の部下に任せ、彼はこの場の収集にあたろうとする。どさくさに紛れて作戦を中止しようという魂胆だ。 「私はカンザキ中尉だ。この場に私より階級の高い者はいるか?」  カンザキの問いかけに答えるものはいなかった。本来、この規模の作戦を実施するのに上級士官が一人しかいないというのは異常なことだ。それもまた、この作戦が正当性を欠いたものだという証左である。  だがそれが幸いし、この場では彼の階級が一番高い。となればこの場の指揮権限は彼にある。 「規定に従い、これより私が指揮を執る。まず上層部の判断を仰ぐためにただちに作戦の中止を」  オペレーターはカンザキの命令に背くような素振りは見せなかった。しかし発射のカウントダウンは止まらない。その時カンザキの胸へ氷水を流し込むような言葉がオペレーターの口から発せられる。 「カンザキ中尉、発射の解除コードをお願いします」  ミサイルの発射中止には解除コードが必要だった。この作戦立案に関わっていなかったカンザキが知るはずもない。残り時間は30秒を切った。一人のオペレーターがカウントを始める。 「解除コード……誰かこの中に知っている者はいないのか!」  焦るカンザキの声に答える者はいない。その間にもカウントダウンは進んでいく。 20…… 19…… 「通信機を寄越せ!!」  カンザキは通信機で本部へと連絡を取ることを試みる。しかし返答がない。何度も何度も応答するように要請するが、通信機からは何も聞こえてこないのだった。カンザキは通信機を壁に投げつける。その衝撃で通信機は壊れた。カウントダウンは5秒を切った。 4…… 3…… 「誰でもいい!!!何とかして止めろ!!!」 1…… 0…… 「ミサイル発射」 「ヒビノ…リー…すまない…!」  カンザキは犠牲となった彼らに謝罪した。万策尽きた彼は諦めたようにモニターを見る。無慈悲にカウントダウンが終了し、新兵器を搭載したミサイルが発射される。ミサイルは迎撃を避けるために超低空飛行を繰り返して目標へ向かう。最後の希望をかけてカンザキは祈る。迎撃してくれと。 「着弾を確認」  祈りを無視したように次々とオペレーターから報告が上がる。カンザキはそれを呆然と受け止めるしかなかった。このモニターの向こうでは世界を変える惨事が起こっている。いや、そういう認識はされないかもしれない。カンザキは自嘲気味に笑った。人類は自ら滅びへ向かう賽を投げてしまったと。  西暦2666年6月6日、人類は4度目となる最後の世界大戦を始めた。3年に渡る戦争で総人口は100分の1にまで減少し、宇宙に建設されたコロニー郡はほとんどが破壊された。その残骸が燃えながら次々に地上へ落ちていく様は、まるで流星群のようだったという。いくつかは落ちずに宇宙を漂い続けているが、それらが活動しているのか否か知る術はなかった。文化レベルは大きく後退することを余儀なくされ、国家としての体裁を保った集団は地上に残らなかった。この戦争に投入された新兵器「反物質爆弾」は物質と反応することで膨大な熱量を放出した。反応した物質はエネルギーだけを放出して無に還る。この兵器には炭素の反物質が使われていたため、使われた土地ではあらゆる炭素を含む物質が周囲をドロドロに溶かしながら文字通りこの地球から消失した。かつての大都市圏の多くがこの兵器で攻撃を受け、人類は今までに作り上げてきた文化・技術・財産の全てを自ら無に還すことになった。既に第3次世界大戦で核によって汚染された土地に加えて、大都市圏のほぼ全てを失った人類の居住可能地域は激減し、後世の人類の繁栄を大きく妨げることとなる。  それでも世界は進化を求めた。2921年に新たな元素「マギアニウム」が発見される。通称「魔素」。マギアニウムは特定の周波数の振動を加えることで特定の物質のみを引き寄せる波を生み出すという性質を持つ。振動を特定の物質のみに働く重力波に変換しているということだ。この物質を利用して人類は自由に空間に存在する物質を操作することが可能になった。  しばらくは特別な装置でその性質を利用していたが、3004年に脳波でマギアニウムを制御出来ることが判明。生体器官としての移植が検討される。  3166年には新たな人工器官を埋め込むことで脳波によるマギアニウムのコントロールが実現する。  3389年には人類のDNAを改変し、生得的にその器官を持つことに成功。生まれながらにして自由に空間操作が出来る人間のことをブラックアーツと呼ぶようになる。ブラックアーツの人口比率は年々上昇していき、3700年には人口の八割がブラックアーツとなった。  そして人類は新たな危機に直面することになる。
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