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目が覚めるとそこは医務室だった。日は傾き、オレンジ色の夕焼けが窓から差し込んでいた。周囲を見回してみると一人の男性が目に入る。白衣を着たその男は30代後半に見えた。黒ぶちメガネに上に上げた短い茶髪が特徴的だ。クリスが起き上がると彼はこちらへ近づいてくる。
「気が付いたかい?君はここへ来るのは初めてだったね。私はネイサン・モリス。ここの軍医だ」
「あの、俺はどうしてここに」
軽い頭痛はするものの、それ以外に異常は感じられない。クリスはここに来る前の記憶を辿る。確かグレースと高速飛行の練習をしていて――
「君は酸素欠乏症で運ばれてきたんだ。相当無茶な飛行をしたらしいね。グレース大佐が大慌てで君を担いできたからびっくりしたよ。どうだい?身体におかしなところはないかい?」
「大丈夫そうです。グレースは?」
「大佐ならもう執務室に戻られたよ。心配していたから、ちゃんと謝っておきなさい」
モリス医師は「あ、特に問題ないなら帰っていいよ」と付け加える。あの時グレースの警告を無視したからこんな目に遭ったのだろうか。それも含めて謝罪する必要があるだろう。彼は医務室を出て彼女の執務室へ向かう。
その途中でセオドールとフゥラに出会った。ちょうど訓練が終わったようで、二人とも死んだ魚のような目をしていた。クリスが医務室に運ばれたことは知っていたようで、二人ともお見舞いに向かうつもりだったらしい。
「なんだ、元気そうじゃん。心配して損したわ」
セオドールが開口一番に言う。クリスからしてみれば、疲れ切った顔をした彼らの方が心身に問題がありそうに見える。
「おつかれ。余計な心配かけたな」
「ホントだよ!?グレースさんものすごいスピードで空から降りてきたもん!燃えてたし!クリス一体何したの!?」
グレースが燃えていたとはどういうことか。モリス医師はグレースはもう執務室に戻ったと言っていたが、まさか自分のせいで怪我をさせてしまったのだろうか。謝罪をしなければという思いより、彼女に大事ないか心配な気持ちが上回る。
「それ本当か!?グレースは怪我してたのか!?」
「きゃあっ!?わ、分からな――」
クリスは思わずフゥラの肩を掴む。フゥラは驚いて悲鳴を上げた。
「そうか!悪い、俺すぐに行かなきゃ!」
そんなことはお構いなしにクリスは走り去る。残された二人は唖然とするのだった。
「グレース!」
彼は執務室の扉を開けるなり彼女の名前を呼ぶ。彼女はそこにいた。いきなり扉を開けるものだから驚いた様子だったが、それがクリスだと分かると彼女は椅子から立ち上がる。
そして彼のそばまで歩いていき、ぺこりと頭を下げた。
「クリス君、ごめんなさい。私が無謀な事をさせたせいで、貴方を危険な目に遭わせてしまいました。本当に申し訳ありませんでした。身体は大丈夫でしたか?」
「え?いや……あれは俺が」
彼は予想外の展開に戸惑う。てっきり叱られるものだと思っていたのだから、尚更どうしてよいのか分からなかった。しかしグレースは本当に申し訳なさそうに頭を下げている。
「俺の身体は大丈夫だ。それよりグレースが燃えてたってフゥラから聞いたんだけど、本当なのか?グレースこそ身体は大丈夫なのか?」
「私は大丈夫よ。ほら、どこにも怪我なんかしていないわ」
彼女はくるりと一回転する。確かに肌に怪我はしていなさそうだ。だがクリスは見逃さなかった。
「髪、少し短くなったな。……魔法じゃ燃え尽きたものは上手く治せないもんな」
「あ…………そうね。長さなんて覚えてないから上手く治せなかったわ」
彼女は少しバツが悪そうに髪の毛先を弄る。彼女は自分が悪いように言っているが、クリスが調子に乗らなければ起こらなかったことだ。本来なら彼女が責められるべきではない。
「俺がグレースの静止を無視したのが悪いんだ。お前が謝ることじゃない。俺のせいで怪我までさせちまって……本当に申し訳ない」
クリスは彼女に頭を下げる。彼女にとって今回の事故は、民間人を私情を交えて連れまわしたうえ事故を起こした、ということになる。組織に上げる報告書の紙面上では、全ての責任は彼女にあるということになるのだ。クリス以外の人間はそれで納得するかもしれないが、彼の胸の内には形容しがたい違和感が残る。彼女は悪くないと思うからだ。
「クリス君には責任はないのよ。でも反省するというのなら、今後は無茶なことはしないでちょうだい」
「ああ、約束する」
彼が返事をするとグレースはニコリと笑った。そして彼に一枚の紙を差し出す。
「それじゃこれ、明日までに答えを決めておいて」
彼女が差し出した紙にはこう書かれていた。
「入隊志願書」と。
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