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クリスはミケーラの後に続いて食堂へ向かう。二十分も歩けば食堂だ。いつもなら活気溢れる場所だが、遠征軍として人が出払ってしまった今は閑散としている。皿に盛りつけられた料理の量もいつもより少なくなっていた。
ミケーラは取り皿を取るとピザ一枚と大きな骨付き肉を数本乗せた。あまりのカロリーの高さに見ているだけで胸やけがしそうだ。クリスはナポリタンとポテトサラダ、スクランブルエッグにウインナーを盛り付ける。彼なりに栄養バランスには気を配ったつもりだ。彼の取り皿を横目で見ていたミケーラは、もう一本骨付き肉を取り、クリスの皿に置く。
「もっと肉食えよ。そんなんじゃいつまで経ってもガリガリのまんまだぞ」
「ミケーラが肉食いすぎなだけだろ。お前も野菜がないじゃないか」
「あ?ピザにのってるだろ」
本来ならピザにはトマトやオリーブの実などがトッピングされていることが多いが、彼女が手に取ったのはベーコンとサラミがトッピングされたものだ。野菜要素はないと言っても差し支えない。
「ほら、ちゃんと野菜も食えよ」
クリスはサラダを彼女の皿に置く。普段から野菜を食べないのか、彼女は露骨に嫌そうな顔をした。
「クリスよ、ちょっと頭使って考えろよ。ピザって小麦で出来てるだろ?小麦って草だろ?ならピザは実質野菜だろ」
「その理論でいくと、同じように草から作られるビールは野菜になるな」
ミケーラの理論を突き詰めていくと、草を食べる動物の肉も野菜になりかねない。不毛な争いは良い結果を実らせないため、彼はここで考えるのをやめた。
二人は窓際の席に向かい合って座る。食堂は一階にあるが、アドリア駐屯地自体がフィレンツェの街よりも少し高い場所にあるため、窓からは雨に濡れるフィレンツェの街並みが見えた。フィレンツェは第三次世界大戦の戦火を運良く逃れた大都市圏で、そのおかげでこの土地は失地にならなかった。反物質爆弾の影響で一度は街が消滅してしまったものの、再建され、かつてのような美しい街並みを取り戻しつつあると言われている。雨に濡れる街並みからは、あちらこちらから白い煙が上がっている。
「ここは背の高い建物が少ないから見晴らしがいいねえ」
ミケーラがポツリと呟く。その目は街並みを見ているわけではなく、どこか遠くを眺めているようだった。その目に浮かぶのは郷愁の色だ。
「私、出身はアルプスなんだよ。小さい頃にアドリアに引っ越してきたから、今はこっちに住んでるんだけどね。みんな無事で居てくれたらいいんだけどな」
彼女は骨付き肉にかぶりつきながら呟く。顔には出さないが内心心配しているのだろう。その感情は声色に乗ってクリスの下へ届く。彼は気の利いた言葉でもかけてやりたかったが、残念ながら彼の浅い人生経験からそのような言葉を生成することは難しいことだった。
「あー、すまんすまん!今のは忘れてくれ!さっきの魔法のことだが――」
クリスが言葉を紡ぎあぐねているのを見ると、彼女は慌てて話題を変えようとする。やはり無理をしているのだろう。そんな彼女の顔はどこか辛そうだった。
「ミケーラ、無理すんな。無理に取り繕ってるのはお前らしくない」
「なっ!クリスにそんなこと言われちゃうとはなぁ。良いんだ。別のことを考えている方が気がまぎれるんだよ」
なるほど、とクリスは納得する。用もないのにクリスの様子を見ていたのはそういうことだったのだ。彼にちょっかいをかけていた方がそのことを考えなくて済むということである。彼女だって子どもではない。そうしたいと彼女が考えたのならそれにのってやるべきだ、と彼は思う。
「お前がそうしたいなら、俺はそれで構わないけど。辛いなら話くらい聴くぜ?」
「ハッ!ナンパなら別の女にやりな!」
彼女は照れ臭そうに髪を弄る。彼女がもじもじと何か言いたそうにしていると、そこへ二人組の男がやってきた。一人は体格の良い丸坊主の男で、もう一人は長身で短い金髪の男だ。二人ともグロリアスの制服に身を包んでいた。
「お!姐さん!ご一緒しても大丈夫ですか?」
「おう、キルヒアイゼンとグロスハイムか。私は構わないけど、クリスは?」
「ああ、構わない」
長身の方の男が声を掛けてきた。姐さんと呼ぶということは、きっと彼女の同僚なのだろう。
「紹介するよ。こっちの金髪がキルヒアイゼン。私の尻目当てのナンパ野郎だ」
「酷い言い草ですね!僕はアウグスト・キルヒアイゼン。よろしく」
キルヒアイゼンは片手をあげて挨拶する。その容姿は美男子そのもので、色白な肌は薄幸の美女を想起させる。
「んでこっちがグロスハイム。ムッツリスケベだ。リサルディ中佐みたいなサディストっぽい女性が好みらしい。怒られるために騒ぎを起こした前科持ち」
「いやいや!リサルディ中佐が綺麗な方なだけですって!騒ぎは私のせいじゃないですしね!? あ、私はマクシミリアン・グロスハイムです。よろしく」
彼女の一言余分な紹介に、二人はたじろぐ。グロスハイムと名乗った男は山のように大柄な男で、どちらかと言うと、サディストな女性を屈服させるのが好みなタイプだとクリスは予想した。
「俺はクリス・レイフィールドだ。二人ともよろしく」
クリスが名乗ると、二人とも「ああグレース大佐の……」と呟く。ちらりとミケーラを見ると、彼女と目が合った。無言でメッセージを訴えかけると、彼女は観念したように口を開く。
「あー、二人とも。彼にまつわる噂はただの誤解だ。実は私がその原因を作ってしまってな……彼をそんな目で見ないで欲しい」
バツが悪そうに彼女が言うと、二人は苦笑いした。その顔には「またか」と書かれていた。きっとよくあることなのだろう。
「姐さんのパンツが狙われてるのかと思いましたよ」
「僕もそう思ってましたよ」
やはりミケーラが言ったからあっさり信じてもらえたのだろうか。だとしたら、これから毎日大声で誤解を解きまわって欲しいものだ。
「それで?何の話してたんですか?」
「ん、ああ!こいつが落雷の魔法使ってみたいっていうから、ちょっと教えてやろうと思ってな。どうせだしお前らも聞いていけよ」
クリスも忘れかけていたが、元々は落雷の魔法のコツを教えてもらうためにここに来たのだった。どうやらキルヒアイゼンとグロスハイムも聞いていくつもりのようだ。二人は食事をしながら彼女の話に耳を傾ける。
「コホン、何だか話が脇道に逸れまくったが、本題に入ろう。さっきの魔法、地面から帯電したものを雲まで伸ばそうとすると大変なんだよ。考えてみてくれ、上から糸垂らすのと下から糸を上げていくの、どっちが楽だ?」
彼女の挙げた例はクリスにとっては非常に分かりやすいものだった。上から垂らす分には風や物に揺らされたとしても大した影響がない。しかし下から上に上げる場合は何かに揺らされれば、そのままバランスを崩してしまうことがありえる。先ほどはそうならないように余分な魔力を投入していたのだ。故に魔力が底を尽きるのも早く、雲にまで到達させることが出来なかった。
「ああ、下から上げていこうとすると途中で折れたりするもんな」
「その通り。だから上から帯電したものを引きずり下ろしてくるんだ」
「でもどうやってやるんだ?あんな高いところに魔力送るのも難しいぜ?」
彼女の雲から帯電粒子を下ろしてきた方がいいという考えには納得出来る。だがその方法が問題だ。魔力は自分のイメージした場所にだけ送り込むことが出来る。だがあまりに遠いと、その距離感が掴めないため上手く作動させることが難しいのだ。雲の高さまでの距離感が分かっているのならそれは不可能ではないが、雲の位置は毎回同じわけではない。
「そらあれよ、分かる距離になるまで飛べばいいのよ。魔力も節約出来るしね」
「ああ、だからあの時飛んだのか」
「そういうこと」
ミケーラが実演して見せてくれた時、かなりの高度まで飛行していたのは分かったが、そんな意味があったとは思っていなかった。言われてみれば単純な理由だ。魔力が回復したら挑戦してみなければ、と彼は思う。
「ミケーラは他に上級魔法使えるのか?」
「伊達にここ任されてないからな?もちろんいくつか使える。キルヒアイゼンとグロスハイムも使えたよな?」
ミケーラに尋ねられると二人は頷く。クリスが知らないだけで上級魔法を使える人間は多いのかもしれない。
「てっきり上級魔法って使える奴少ないのかと思ってたんだけど、そうでもないのか?」
クリスがそう尋ねると男二人はククッと笑う。そしてキルヒアイゼンが口を開く。
「姐さん、かなり雑魚だと思われてますよ」
「さっき派手なのやって見せただろ!?めっちゃ強そうだっただろうが!!」
ミケーラはプライドを傷つけられたようで、顔を真っ赤にして怒り出した。キルヒアイゼンとグロスハイムの二人はそれがおかしくて笑っていたが、こちらとしては失礼なことを言ってしまったようで肩身が狭い。
「私達は所謂精鋭部隊だよ。アドリアの主力さ。それで姐さんは私達のリーダーってわけ。その辺の一般兵と比べられては困るかな」
グロスハイムは怒るわけでもなく、事実を教えてくれた。ミケーラはしばらく怒っていたものの、キルヒアイゼンが宥めてくれたおかげで平静を取り戻す。
「全く、折角エリートの私が魔法を教授してやってるというのに……」
彼女はブツブツと文句を言いながらも、自分の皿の物を平らげる。山ほど乗っていた肉は骨だけになり、嫌がっていたサラダも完食していた。ふと窓の外を見ると雨は上がっており、雲の切れ間から今にも沈みそうな夕陽が差し込んでいた。茜色の光が弱弱しく食堂を照らす。
「ミケーラ、なんか失礼なこと言って悪かったな。また魔法を教えてもらってもいいか?エリートに聞いた方が分かりやすいんだ」
「こいつ、調子の良いこと言いやがって」
ぶすっとしながら彼女は答える。まだ何か不満があるのかもしれない。彼女の存在はクリスにとって成長のチャンスだった。ここで彼女の協力を得られるか否かは大きいため、何としても協力を取り付けたいところだ。
「まあまあ姐さん。姐さんのこと女扱いしてくれるの、こいつとキルヒアイゼンくらいでしょう。優しくしてあげましょうよ」
「グロスハイム!お前は余計なことばっかり言いやがるな!!」
ミケーラは隣に座っていたグロスハイムの頭を叩く。丸坊主だからか、ポコっという良い音がした。
面倒そうな彼女の瞳にクリスが映る。この時ミケーラは二つの感情を天秤にかけていた。一つは教えるなんて面倒だという感情。もう一つは彼に迷惑をかけてしまったことへの罪悪感という感情だ。おくびにも出さないが、彼の噂の原因となったのは自分だという自覚はあるため、彼に申し訳ないという気持ちはあるのだ。彼は謝罪を要求していないが、ミケーラにとっては罪滅ぼしが出来るいい機会ではあった。彼の態度次第では考えてやらないこともないのだが、今一つ決め手に欠けると彼女は感じていた。するとクリスがこんな提案をする。
「何でもお願い一つ聞いてやるからさ、頼むよ」
「へぇ……何でもねぇ……?」
「あんまり無茶なお願いはやめて欲しい……」
ミケーラは獲物を見つけたライオンのように舌なめずりをする。その肉食獣のような眼孔に見据えられて、クリスは冷や汗が止まらなくなる。彼は余計なことを言ってしまったかもしれない、一体どんな要求をぶつけられるのだろうと後悔した。クリスは消え入りそうな小さな声で予防線を張る。彼女のことだ、きっとそんな予防線は無視してくるのだろう。
彼女は腕を組み、しばらく考え込んでいた。今頃どんなお願いを聞かせようか考えているのだろう。一体どんな仕打ちが待ち受けているのか考えただけでも恐ろしい。待ち受ける未来への不安から、クリスは小鹿のようにプルプルと震えだす。
「そうビビるな。すぐには使わねえよ」
「えっ、ということは……?」
「ああ、遠征軍が帰ってくるまでの間は面倒見てやるよ」
クリスはガッツポーズを取る。男二人もニヤニヤとこちらを見ていた。ミケーラは面倒臭そうに髪をかき上げる。その口元が緩んでいるのをクリスは見逃さなかった。
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