ファインダー越しに見える景色

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「写真と画像の違いって何か分かる?」  癖の強いボサボサ頭に銀縁眼鏡、そして無精髭。三十代半ばの横山裕典は大手出版社からの仕事をいくつも引き受けているやり手のプロカメラマンである。その千春にとって目標とすべき人物からの質問はシンプルにして非常に深いものだった。  一眼レフで撮影したものが写真なのは間違いない。  ではデジタルカメラで撮ったものはどうか。それも写真だろう。ではスマホやタブレットのカメラで撮ったものも写真だろうか。ちょっと自信がない。  画像とは何か。パソコンで開くとすべて画像ファイルとして扱われる。もしかしてすべてが画像でその中の分類の一つが写真なのか。それともフォーマットによって写真と画像に分かれるのか。それは違うような気がする。  印刷物の中の写真は本当に写真なのか画像なのか。写真かもしれないし画像なのかもしれない。何故なら写真は画像に変化するから。変化する。変化。そういうことか。 「手を加えられたものが画像ですか」 「正解」  横山はニッコリと笑顔を見せた。千春は胸を撫でおろした。 「では次の問題。  デジタル化によって誰もが手軽にレタッチを行えるようになり、美しい画像を作り出すのは困難ではなくなった。  カメラも自動補正の技術が進んだおかげで、誰でも手ぶれや撮影場所の明暗をそれほど気にすることなく綺麗な写真を撮ることができるようになった。  もちろんこれらは歓迎すべきことなんだけれど、実はそこには新たな問題がある。それが何だか分かる?」 「何だろう」  さっぱり分からない。技術の進歩は良いことばかりで問題点はないように思える。困ること。デメリット。カメラマンにとっての。それは。 「誰でも手軽にカメラが扱えるようになったので、カメラマンの仕事が減ってしまった、とかですか」 「うーん、ちょっと違うな。仕事が減ったのは確かだけど」  正解はスマホなどのカメラの自動補正に関すること。誰でも手軽に綺麗な写真が撮れるようになったのは素晴らしいことだが、その反面、ある一定レベルの写真しか撮ることができない。自動補正機能が常に動いているために撮影できる写真の振り幅は小さいものになっているのだ。  レタッチでいくらでも加工できるから問題ないというのは写真を生業として写真にこだわりを持たなければならないカメラマンとしては如何なものか。写真と画像は違うのである。  これは別にスマホのカメラが一概に悪いと言っているのではない。要はスマホのカメラに固執せずに一眼レフなどの他のカメラと使い分ければ良いだけのことだ。 「カメラや写真を突き詰めていくと光と影にたどり着く。光はその表現方法として二種類に分類される。それが光の三原色RGBと色の四原色CMYK。自分の写真をディスプレイに表示させるなら光の三原色、印刷物として使用するなら色の四原色によって調整が必要になる。  文芸評論家の小林秀雄は『色とは壊れた光である』という言葉を残しているが、これは言い得て妙な表現だと思う。白色の光はプリズムを通すと光の分散が起きて虹色(スペクトル)に分かれるわけだから」  技術の進歩は目まぐるしい。まずアナログ技術があって、やがてコンピュータの誕生とともにデジタル技術が生まれた。最初は性能が低くて使い物にならなかったデジタル技術だったが、ムーアの法則に則って進化を遂げて、今ではアナログ技術を凌駕するようになった。  モノクロはカラーに、静止画は動画に、単色から多彩に。 「アナログ技術は廃れてしまっているけれど、技術内容によっては高レベルのデジタル技術を凌駕するものだってある。フィルムカメラが全盛だった頃、ポジやネガをスキャニングしていたドラムスキャナがあるのだけど、それに使われていたのがフォトマルという光電子増倍管だ。  わずかな光を電子に変換し増倍させて検出する機器。これが世間を騒がせたのが2002年の小柴昌俊さんと2015年の梶田隆章さんのノーベル物理学賞受賞によって。  ニュートリノ研究、スーパーカミオカンデにはその光電子増倍管が約一万三千本以上使われていたんだ」  光を検出すること。カメラやスキャナの技術が宇宙物理学研究にも繋がっているというのはちょっとした感動がある。 「僕が大学で学んだことの一つがポスターの広告価値だった。『印刷とは文字と画像の融合である。従って印刷によって製造されたポスターは文字と画像を融合させた媒体である。そしてこのポスターこそが完成された一つの広告媒体である』 ……何故だと思う?」 「伝えたいことをシンプルに表現したものがポスターだからですか」 「その通り」  つまり表現方法が多彩に変化したとしても伝えるべきものは同じなのである。ポスターから冊子に、冊子から動画に、情報量は増えても変わらない。むしろ情報量が多いほど伝えたいことがブレてしまう。大手広告代理店の営業マンは語る。『動画を宣伝に使うなら重要になるのは最初の5秒だ』と。  出されていた紅茶に手を伸ばした。ダージリンの豊かな香りが鼻腔をくすぐり、レモンの酸味の心地よい刺激が舌に広がっていく。 「価値は技術に宿る。そして技術は経験の蓄積から生み出される。つまり経験の蓄積なき仕事はいつまで経っても価値を生み出さない。  ドイツに世界一美しい本を作る男がいる。その名はゲルハルト・シュタイデル。彼のもとには世界中の有名な写真家やアーティストたちから本の製作依頼が集まってくる。  彼の率いるシュタイデル社は大手印刷会社というわけでもないし、最新設備の整った会社であるわけでもない。それでも仕事が集まってくるのは何故か。それこそが彼の技術の力であり経験の蓄積の賜物なんだ。  住倉さん、カメラマンも同じだとは思わないか」  横山裕典の眼鏡の奥の瞳は、真っ直ぐ千春に向けられていた。 「その通りだと思います」  住倉千春は大きく頷いた。
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