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むせ返るほど熱い潮風が吹き付ける、そんな日だった。
かすかな潮騒だけが涼やかさをかろうじて演出する程度で、それ以外――突き抜けるように青い空も、鮮やかすぎる白い入道雲も、遠慮会釈なく照りつける太陽も、それを反射するコンクリも、すべてが炎天下を歩む俺たちに、暑さという暴力を振りまいていた。
流れ出る汗を拭うのはいつしかあきらめて、部活帰りの俺はだらだらと自転車を押しながら歩いていた。
「落ちんなよ」
「落ちませーんー」
前方に声を投げると、クラスメイトの女子、のの花は振り返らずに答えてきた。
距離で言えばほんの数歩前、目線で言えば軽く見上げるほどの場所、方向で言えば少し左側。自転車を押す俺の左隣、防波堤の上をとことこ、危なっかしい足取りで歩いている。
セーラー服の後ろ襟と、プリーツスカート、それからふたつに結った髪が、時々風に吹かれて揺れていた。
「のの」
「んー」
「パンツ見えっぞ」
「ふ。短パン装備だからカンケーないね」
「うっわ、色気ねぇ」
舌打つ。どういうわけか知らないが、俺とののは気があってよくつるんでる。ただし、まぁこういうノリなので、男女関係とかではなくただの悪友だ。
珍しく一緒に帰ろうなどと言い出したくせに、ののはさっきから、こうして黙々と防波堤を歩いている。
「ののー、あっちィよ。何でこんな道選ぶんだよ。日陰ゼロじゃねーか」
「だーって海見たかったんだもん。お付き合いアリガト。これあげる」
言って、ようやくののが振り返ってきた。手首のスナップを利かせて何かを放り投げてくる。パシ――と受け取った。ナイスキャッチ、俺。
放り投げられたのはファンタの缶だった。ただし。
「うわ、ぬる」
「うん。帰る前に買ったの忘れてた」
「飲めるかこんなの」
「わっがままー」
ケケッ、とかわいくない笑い声を残し、ののはまた、ヤジロベエみたいに両腕を水平に開いた状態で正面を向き、ゆっくりゆっくり歩いていく。
「タッくん」
「あん?」
正面を向いたまま、ののが大きな声で俺を呼んだ。
「ののねー。今日告ったんだよー」
「……ほぅ」
色恋沙汰を、ののが俺に話すのは初めてだった。
だから、俺はののが誰を好きだったのか、誰に告ったのかは判らない。
「どうだったん」
「んー?」
ぴた。と、ののは足をとめた。気をつけ! のような状態になってから、空を仰ぐ。
青い、青い、真っ青な――夏の空。
一瞬の沈黙の後、ののはニカッと晴れ晴れとした笑顔をこっちに向けてきた。
「だーい、しーっぱーい」
「おうそうか。おめでとさん」
「ひでぇな!」
叫び返してくるののは、いつものののだった。
俺は自転車を防波堤に立てかけて、それからののの立つその場所に登った。
「あ、やべ。パンツ白くなった」
「どんくさ」
「うっせ」
パンパンッ、と太ももについた白い粉をはたいて、ふう、と大きく息を吐く。
防波堤に登ってみる海は、まぶしいくらい光を照り返している。
「のの嬢よ」
「はいよ」
「おにいさんが、失恋時の行動を教えてしんぜよう」
「あー。タッくん失恋しまくってそうだしね」
「だからうっせって」
とりあえず叩いておく。
それから、さっきののに渡されたぬるくて飲めやしないファンタを全力でシャカシャカ振りはじめる。
「いいか、のの。こーゆー時は、海に向かって叫ぶ、というのがセオリーだ」
「ほぅ」
ぷしっ。と、プルタブを倒したとたん飛沫が空へ舞い上がった。ぷしゃあ! と炭酸のぶっとぶ音を掻き消すように、大きく、大きく、俺は叫んだ。
「ばーかーのーのーっ!」
「なんであたしがバカなの!?」
大笑いするののは、俺の腕をつかんで振り回すもんだから、ファンタの飛沫は好き勝手に飛び散った。
俺とののはその日、ファンタでべとべとになって帰った。
甘ったるい匂いが鼻につく、夏の日だった。
◇
そして今日も。
十年前のあの日と同じ色をした、夏の空が広がっていた。
あの日と同じように、けれどもうセーラー服はとっくに脱ぎ捨てたののが、同じ場所を、同じ防波堤の上をとてとてと、相変わらず危なっかしい足取りで歩いている。
今日の俺はあの日とは違い自転車ではなく、ののと同じように防波堤の上を、ののの後ろを、ゆっくりゆっくり歩いていた。
手には冷えたビールの缶を持って。
「なっつかしー、ここ」
「だろ」
弾んだ声をあげるののに頷いてから、俺は静かに息を吸った。
足を止める。
「のの!」
あの日と逆だ。
前を行くののを、俺は大きな声を上げて呼び止める。
振り返るののは、あの日から考えると幾分大人びてはいるのだが、それでもどこかあどけないような、無邪気な表情の似合う女性になっている。
「俺ね、今日言おうと思ってて」
「ほぅ」
似たような、まるでデジャ・ヴのようなやりとり。
きっとののも、気付いている。
俺はにっ、と笑って。
それから、あの日と同じ夏空の下、告げた。
「のの、俺とケッコンしよーぜ」
膨れ上がった入道雲と、穢れひとつない青空を背に、ののは黙って微笑んでいる。
こうなるんだろうな、とは思っていたので、俺は軽く肩をすくめ、
「結果は?」
と問いかけた。それと同時に、手にした冷たい缶を放り投げる。
放物線を描いて、あの日のファンタはビールに姿を変えてののの手に収まった。
「タッくんや」
「おう」
シャカッ、と短い音は一瞬だった。その後立て続けに、シャカシャカシャカシャカシャカッ、と激しく缶はシェイクされた。全力で。全身の力を込めて、シェイクされていた。
……さすがにちょっとそれはやりすぎじゃ、というより早く。
プシャアッ――!
激しい音を立てて金色の飛沫が夏空にはじけて反射した。
キラキラと。
金色の雫が夏の日を照り返しながら降り注いでくる。
その中で、夏を全身に受け止めるような笑顔で、ののは笑った。大きく、大きく。ひまわりのように、笑っていた。
「だーい、せーい、こーうっ!」
あの日と正反対の、明るい歓声に、俺はちょっとだけほっとして、でもまぁ、当然だろ、なんて思ったりもしつつ。
大きく口を開けて笑って、空を見上げた。
白い入道雲と青い空。容赦のない夏の陽射し。
どこまでも。どこまでも。
――あの夏の日の空と、同じ色をしていた。
――Fin.
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