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男を眺めてどれくらいの時間が経過しただろう。写真のような見事な向日葵を描ききった男は、不意に夏希に向き直った。
「まだ帰らないのか?」
夏希は自分の存在が認識されていたことを驚くと同時に喜び、そして自分の状況を今更ながら思い出した。
既に陽は落ちてきている。もう帰る為の電車もないだろう。
自分の失態に落ち込みながらも口を開いた。
「お婆ちゃんの家に行くはずだったんだけど、バスを逃しちゃって。あなたの絵に見惚れていたら電車に乗る時間も逃しちゃった」
別に男を責めるつもりは無かった。
それどころか良いモノを見せてもらえたと夏希は素直に思えた。
「まだガキなのに、男の使い方よく分かってるな。いいぞ、俺がその婆さん家まで送って行ってやる」
男はクックッと可笑しそうに笑って自分の愛車らしい軽トラを指差したが、夏希は首を横に振った。
「あなたの絵は素敵だったけど、あなたが良い人かは分からないもの。知らない男の車には乗れない」
「感心だな。じゃあお前の婆さんの事を俺が知ってたら、車に乗るってのはどうだ?」
「口では知った被り出来るじゃない」
男は軽く口笛を吹いた。
「中々頭も口も回るお子様だな、嫌いじゃない。いいから婆さんの名前言ってみな」
このまま問答を続けても自分が野宿をするだけだと、夏希は諦めた。
「陰山サエ。どう、知ってる?」
夏希が祖母の名前を告げると、無精髭の男は噴き出し、腹を抱えて笑い出した。
「何が可笑しいの?」
「あはは、だってお前…そっか、そういやそんな話チラッと聞いたかもなぁ。
チビの時以来だな、夏希。俺が陰山冬司だよ」
冬司と名乗った男は恭しく軽トラの助手席を開けると、顎で乗るよう促した。
「あなたが高学歴の社会不適合者の引き篭りの従兄弟?!」
「ほぅ」
夏希は思わず心の声が漏れ出て、冬司に頭を軽く叩かれた。小気味良い音が辺りに響いた。
蝉の声がしなくなった代わりに、周囲には牛蛙の喧しい合唱が始まりつつあった。
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