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一枚札
一月三日。蒼穹の空は抜けるように青い。白い雲の中より差し込む光は、肌を焼き焦がすかのようにジリジリと熱い、しかし、一月の冷えた空気と合わさって丁度いいぐらいだ。
城南市民体育館では市民競技かるた大会決勝が行われていた。
あたし、倉持美子(くらもち みこ)は決勝にコマを進め、決勝の相手と対面式で向き合っていた。正座の体勢で両膝を突き、野獣のような目で相手を睨みつける。
あたしは焦っていた。相手の強さを前にこのままでは負けが確定していたからである。
少し、あたしのことを話そう。あたしは自分で言うのも何だが、家柄はかなりのいいお嬢様だ。竹取物語に出てくる車持皇子のモデルとなったお公家様の家の末裔で、名前そのままに家の中庭には白壁の蔵がいくつもあり、時代劇の小道具でよく見るような大鎧や刀剣類、金屏風、巻物が所狭しと置いてある。昔、いくつか博物館に寄贈したところ国宝や重要文化財に認定されたものばかりだったらしい。そのような家のせいか、あたしはとにかく厳しく育てられてきた、日本版ノブレス・オブリージュ的な立ち振舞は最早基礎、畳の上では正座以外で座ったことがなく、友達はいるにはいるが、どこかに一緒に遊びに行くようなことはない、あっても友達と帰り道に何か食べに行く程度だ。別に「下賤な遊びをしてはいけません」と、親から言われているわけではない。ただ、時間が無いだけだ。平安小町がすなるようなお花や琴や日本舞踊のお稽古ごとに彩られた毎日と言った方がいいかもしれない。
話が大分ズレたが、これがあたしの家柄と生活様式。このような状態では「遊び」も特殊なものとなる。これまた同じ生活様式で蝶よ花よの暮らしをしてきた祖母から教えられた「遊び」は百人一首、それも競技かるただった。百人一首を百首全部覚えるのは基礎、百首全て空で暗唱出来るようになるまで仕込まれた。でも、先程も言ったようにこれは基礎、更にそこから意味まで完璧に覚えることまでも強制された。なんでも「意味も不理解ずに札の取り合いをしても魂がこもってないから駄目」だかららしい。そもそも、あたしはそれを言う祖母の言葉の意味がわからないのだが、心構えの一貫として歌の意味まで完璧に覚えてしまった。小学校の国語の授業に古文の時間がないのが惜しいぐらいだ。
話を戻そう、そのような訳であたしは百人一首、特に競技かるたには自信を持っている。あたしの住む城南市で正月に開催される競技かるた大会でも百人一首を趣味でする大人をなぎ倒すことが恒例行事となっている。
初めて参加したのが小学三年生の頃、ここから二年間、あたしは負け知らず。どこかの高校の競技かるた部の女子すらもあたしには相手にならない。最初の一文字目で取り札が決まる一枚札を三文字目になるまで手が動かない時点で「この人、弱い……」と考えてしまうぐらいだ。常日頃、百人一首の札を触っていると思われる競技かるた部でこれなのだから、正月の恒例行事で遊び半分でやっているような大人には負ける要素は微塵もない。
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