六枚札

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〈わ……〉 瑠璃の手が動く、だがすぐに急ブレーキを踏んだようにピタリと止まる。 〈わびぬれば 今はたおなじ なにはなる 身をつくしても 逢はむぞと思ふ〉 空札だ。我が身を滅ぼして、身を尽くす愛の歌。瑠璃は身を滅ぼさなくて済んだことにホッと安心する。このまま自爆であたしが勝てばこれでいい。それを考えるだけで何故か嫌な思いが胸の奥を過る。勝ちは勝ちなのに…… どうしてこんな気持ちになるのだろうか。 あたしの方こそ、自陣にあるのは「けふのかぎりの いのちともかな」なのに、手がピクリとも動かなかった。二文字目の「す」の吸うような音が聞こえなかったのだから当然だ。 歌が聞こえる…… 数え切れない程の歌人の想いが詠われる。空札として流れ行く歌ひとつにしても美しい恋、人の儚さ、望郷の念、自然の美しさなどを短い文ながら深く人々に伝えていく。もう、後がないと言う状態なのに空札となって流れて詠われる歌を聞き素晴らしいと感じ心に落ち着きが生まれ出ずるのだった。 瑠璃に勝ちたいという気持ちはもうない。去年の負けからずっと考えていたことだったのに、こうしてお互いに手を払い合い、囲み合い、突き合っているうちにその気持ちは雲散霧消するかのように消え失せてしまった。 今、あるのは目の前にある「けふのかぎりの いのちともかな」を取りたいと言う気持ちのみであった。その気持ちは勝ち負けどうのこうのと言う話ではない。 ただ、瑠璃に今の気持ちを伝えたいだけだ。 〈わすれじの……〉 来た! あたしは右から左の払い手で「けふのかぎりの いのちともかな」を払おうと手を動かした。しかし、その瞬間にあたしは右手に違和感を覚えた。脇で袖を止めていた襷がいきなり解けた。あたしの右袖の袂は遠心力に乗っていきなり手首まで登ってくる。 「なぁ、お前の襷、結び方緩くね?」 しまった! 本当に緩かったのか! 口三味線だと気にも留めなかったあたしはばかだ! 瑠璃は自分の札狙いからいきなりあたしの札狙いへと切り替える。当然だ! ここであたしが自分の札を取れば終わるのだから! あたしは袖がずり下がった違和感の中、札を薙ぎ払う、白い袖の残像が天使の白い翼のように見える、浮き上がったそれを上から叩きつけられるような感を覚えた。瑠璃の囲み手だ。遠心力で浮き上がったあたしの袖の袂を叩きつける形となる。おそらく、浮き上がった袖が過ぎた先には「けふのかぎりの いのちともかな」があるんだろうな……
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