一枚札

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 しかし、決勝の相手は次元が違っていた。赤子の手を撚るようにさっさと優勝して帰って祖母に報告するつもりだったあたしは戦慄した。 相手は男子、歳はあたしと同い年ぐらいだろう。一応は市主催の競技かるた大会と言うことで皆が袴姿の中、その子だけがジャージ姿、服装は特に指定されていないが、正月の競技かるた大会、しかも、うちの市で行われるものは歴史が深い、そんな場にジャージ姿なんて場違いだとあたしは思うのだった。ちなみにあたしの服装は祖母が拵えてくれた光孝天皇の歌をイメージしたジュニア袴、春の七草と雪の模様が縫われた特注品。あたしはこの歌があまり好きじゃないんだけどな…… 歌そのものではなく「二枚札」で、「きみがため」の次の文字を読むまで手を動かすことが出来ないじれったさと言う意味で嫌いなのだ。「ながくもかなと おもひけるかな」の札を取ってお手つきをしてしまったことが原因だろう。 〈きみがため……〉 詠み手(地方ケーブルテレビ局女子アナウンサー28歳)が歌を詠み上げる。あたしのおべべの歌だ。しかし、これは二枚札、早めに動くわけにはいかない。六文字目が「は」か「を」かで下の句が決まる。「は」なら「わがころもでに ゆきはふりつつ」、「を」なら「ながくもかなと おもひけるかな」になる。今回は両方ともまだ場にある。どちらかを取らざるを得ない。 詠み手は続けた。 〈きみがため はるのよにいでで わかなつむ〉 来た! あたしの着物の歌だ! あたしは暗記時間のうちに覚えていた「わがころもでに ゆきはふりつつ」の札に手を伸ばした。 だが、遅かった。相手の手が既に払い済だったのだ。「わがころもでに ゆきはふりつつ」の札は畳の上をすぅーと滑り、体育館の床板に落ちる。 このようなやり取りが続き、あたしはこれまでにない惨敗をしてしまった。競技かるたなら大人にも負けないあたしがなんでこんなジャージ男子に負けたのだろうか。正月の大会においてはあたしが参加して初めての敗北。あたしは悔しくて悔しくて体調不良を理由に表彰式には出ずにそのまま家に帰り、清原元輔の歌そのままに袖を濡らして泣き濡れた。テレビの地方ローカルニュースで市民競技かるた大会のことが流れたのだが「去年までのV2小さなかるたクイーン倉持美子、まさかの同い年の男子に敗北! V3ならず!」と、死体蹴りをする。一緒にテレビを見ていた祖母、あたしの百人一首の師匠のようなものだ。祖母は「あらら、負けちゃったのねぇ。美子ちゃんが負けるなんて世の中広いねぇ」と、半笑い気味に言う。母は「お母さん(祖母)が美子にはあたしよりかるた真面目に仕込んでて、美子も物覚えいいからこの先ずーっと優勝で殿堂入りすると思っていたのに、世の中広いねえ、怖いわぁ」と祖母と同じく半笑い気味に言う。あたしは祖母と母の半笑いの(ツラ)を見るのが嫌になり、その場から逃げるように去った。 それ以降、あたしがどんなお正月を過ごしていたかは覚えていない。 あたしのお正月は敗北にまみれた屈辱感でモヤモヤとした人生最悪の正月となってしまった…… 
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