一枚札

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 終業の鐘が鳴ると同時にあたしは瑠璃の襟首を掴み強引に連れ出した。誰も来ない屋上前の階段の踊り場の壁に軽く叩きつける。 「何だよ、早く帰りたいんだけど」 「本当にあたしのこと、覚えてないの?」 「何いってんだよ。転校生イジメ? 因縁つけてんの? 面白くないよ」 「違うわよ! あたしは倉持美子! あなたが優勝した市民競技かるた大会の決勝の相手! 忘れたとは言わせないわよ!」 「あの時、対戦相手なんて見てなかったし。札しか見てなかったから。初めてだったし、競技かるたって相手見るものなの?」 百首全部覚えているとしか思えない手の早さ、払い手も囲み手も熟練者のそれだった。あの手の動きが出来る人間が初めて競技かるたに出るとは思えない。あたしは完全にからかわれていると思った。しかし、本当であったなら「初めての素人」に負けたことになる。さすがにそれは無いだろうと思わずにはいられなかった。 「嘘吐くのやめなさいよ! あの動き! 明らかな熟練者よ! 転校前は競技かるたの大会とか出てたんでしょ?」 瑠璃は首を振った。この場に及んで嘘を吐くつもりか。 「本当に初めてなんだよ。俺、クリスマスに亡くなったばーちゃんの遺品にあった『百人一首』の本をペラ読みして覚えただけなんだぜ?」 「百人一首の本ペラ読みで覚えられるわけないでしょ! あたしだって三年以上も札触って必死に覚えたんだから!」 「仕方ねぇだろ、覚えられるんだから」 「なら! あきかぜに……」 「もれいづる つきのかげのさやけさ。左京大夫顕輔」 早い、最後まで詠むまでもなく反射的に返答したよこいつ。まぐれに決まっている。しかし、一番覚えるのが面倒くさい十六枚札でこんなに早く返せる人間はそうはいない。近くとも、大会では会ったことはない。語呂合わせで覚えている可能性も考えてあたしは更に続ける。 「全部言いなさいよ! どうせ、あきかぜもれるって語呂合わせでしか覚えてないでしょ?」 「しつこいやつだな。秋風にたなびく雲の絶え間より漏れ出ずる月のさやけさ。秋風で流れる雲の隙間から出てくる月の光は明るく澄み切ってるって意味だろ? いつまでこんな遊びやるんだ?」 歌どころか意味まで完璧にわかっている。あたしと同じように百人一首を勉強しているとしか思えない。あたしは瑠璃がこの期に及んで嘘を吐いていると考えた。 「なら!」 瑠璃はストップと言いたげに手を出してあたしの口を止めた。 「もうめんどくせーから、秋の田のから百敷やまで全部読もうか? すんげぇ人生の時間の無駄だからやりたくねぇけど、倉持…… さんだっけ? そうしないと満足しなさそうだし」 一首目と百首目の上の句を言われてはもう完璧に全部覚えているとしか考えられない。あたしは瑠璃のことを競技かるたの名のある名人様だと思うのであった。 「だからどこの大会出てたのよ! 素人のフリするのとかって面白くないよ」 「いや、だから本当に初めてなんだって! しつこいやつだな」 瑠璃はその場から去ろうとした。あたしはくるりと(きびす)を返す瑠璃の手を握る。瑠璃は訝しげな顔をし、あたしを軽く睨みつけた。 「いい加減にしろよ。これ以上因縁つけるなら先生に言うよ?」 「だったら嘘吐くんじゃないわよ」
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