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一生に一度の恋だと思っていた。
幼かったあのころ恋に落ちて以来、僕は、他の誰にも同じ感情を抱くことはなかったから。
叶わないのなら、ずっとひとりだっていいと思っていた。ずっとひとりなんだろうと諦めていた。それなのにいま、僕の隣にはイチスケさんがいる。なんの奇跡が起こったのだろうか? いまだに信じられない。
時々ふとした瞬間に、本当は夢の中にいるんじゃないかと疑ってしまう。僕はまだあの『シャングリ=ラ』の薄暗い座席に座っていて、一人ぼっちで夢をみているんじゃないかと。そんな時は決まって足元がぐらついて、周囲の景色が遠のくような感覚になった。
「凛久? 凛久どうした?」
イチスケさんの声が心配そうに僕を呼んで、ふっと意識が浮上する。
「大丈夫?」
のぞきこまれて慌てて笑顔を作った。
「あ、ちょっとぼーっとしちゃった」
疲れてんのかな? とごまかす僕の頭をするりと彼の大きな手が撫でおろして、耳の横の髪をそっと梳く。
イチスケさんの視線は、僕のおでこから鼻から唇から、あらゆるところを探るようにしてから目を見て止まった。その顔は真剣そのものだ。
「心配なことがあるなら俺に相談しろよ? こう見えても立派に社会人で、人生の先輩なんだから」
「……うん」
うなずく僕は、実はうわの空で、違うことに気を取られていた。
ほんの少し身を乗り出せばキスできるほど近い、彼との距離――イチスケさんの唇は堅そうに乾いている。けど、下の方の真ん中はぷっくり厚みがあって、触れるとしっかり弾力がある。しゃべる度に覗く白い歯は一本一本形がきれいで歯並びがいい。たまにその歯は、いじわるに僕の胸の先っぽをしごいてそのあと優しく舌がなだめるようにして……。
連想がスイッチになっていつかの夜の記憶が、わっと目の前に甦る。
息を飲んで我にかえった僕は、慌ててソファから立ち上がると、上着を引っ掴んで玄関へと小走りで向かった。
「え? 凛久?」
「ごっ、ごめん用事思い出した。問屋にいかなきゃ。ごめん、帰る」
「えっ、今から?」
戸惑って立ち上がるイチスケさんに申し訳なく思いながら、僕は靴のかかとを踏んでつっかけて、急いで玄関を飛び出した。
はぁ、とマンションを出て息を整える。
突っ張るズボンをいらいらと気にしながら歩き出して、ふと振り返ったら、ベランダに出たイチスケさんが心配そうにこちらを見ていた。
無理やり笑顔を作って小さく手を振る。
――心配しないで、僕はいつも通りだ。
僕を見て手を上げた彼にうなずいて、いっそう足を速めて家にかけこんだ。
「凛久、帰ったの?」
台所から母ちゃんが呼ぶ声が聞こえたが、無視して二階の部屋へかけ上がる。
僕は唇を噛みしめると、ズボンのチャックを下ろして性急に手を突っこんだ。窮屈な下着の中でもどかしさを感じながら、前かがみになって、膨張したそれを一心不乱に擦りあげる。
「……あうっ……くっ……」
染み出した汁を親指ですくって、くるくると天辺を撫でると、たまらない気持ちよさに腰が勝手に震えた。
「……っ、イくッ」
急いで下着から取り出し、断続的に射出されるそれを手の中に受け止める。
「……はぁ。……あっ、はぁ……は……」
そのままずるずると床に座りこみ、腹の奥にじんわり残る快感の余韻にしばらく浸った。
ブーと下敷きにされた尻のポケットでスマホが震える。やっと体を起こし、のろのろとティッシュでぬぐった手で確認した画面には、イチスケさんからのメールが届いていた。
『おつかれ! また明日な~。あんまり気にすんなよ』
軽い調子でそう気遣ってくれるのは、イチスケさんらしい優しさなのだろう。嬉しくてそっと画面をなぞった。だけど――たぶんさっきの、気づかれていたと思う……。自分でした後には決まって訪れる冷静な時間が、僕を自己嫌悪のどん底に突き落とす。
何でもない、むしろ真面目な会話の流れだったのに、不自然に勃起していた僕を、イチスケさんはどう思っただろう?
きっと、こんな風になったのは「俺のせいだ」と悲しむのだろう。『シャングリ=ラ』なんかに行っていたせいで、凛久は変わってしまったんだと、うなだれる彼の姿が目に浮かんだ。
確かにきっかけの一つは、彼に失恋したからかもしれない。
だけど決して彼のせいじゃない。
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