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若松愛花がやってきた
それから数日たったある日。
店の前の道は一時通行止めになった。近所の人がスマホ片手に集まり、遠巻きに店の中をのぞいている。
最悪なテレビ出演(?)の記憶も薄れないまま、本当なら休みのはずの日曜日、店はかつてないほどに騒がしかった。
「すいませーん店主さん、これ動かしてもいいですか」
「えっ? ……あーじゃあ、あっちの角に……」
「おい小林、はけといて!」
「はーい。あ、やべっ」
嘘だろ? すごい音で壁にぶつけてたぞ? 僕は慌てて傷がついていないか確認にとんでいく。
「…………」
凹んだ壁をなでながらスタッフをじとっと見たが、すいっと目をそらされた。
「す、すみませんでしたー」
そのまま行ってしまった彼の背中に怒りがふつふつ湧きあがる。それだけ? 絶対汚さないって約束だよね? 全部元に戻すって言ってたよね!
確かに抗議するほどじゃない小さな傷かもしれない。だけどさ、本当に大丈夫か? 恨みがましく傷をなぞりながら、僕は今更してもしょうがない後悔で肩を落とした。
思い起こせば二週間前、いつも通り店番をしていたら、突然目の前に名刺を差し出された。
「……なんですか?」
思わず受け取って名刺の持ち主を見る。まともな仕事をしていなさそうな個性的な帽子を押し上げて、その男はCMディレクターなのだと名乗った。偶然テレビで見かけたうちの店の雰囲気がぴったりだったから、撮影に使わせてくれないかと、そうお願いされた。
古いだけのこの店の何が気に入ったのか、もちろん断る気でいた。
こちらの仕事が滞ったらいやだし、テレビに映ったって良いことなんてひとつもない。
「悪いですけど……」
そう言いかけた僕の言葉は、奥から手を拭きながら出てきた母ちゃんにさえぎられた。
「あら、何の撮影? 有名な人もくるの?」
声に出ないようにしているが目がらんらんと輝いている。抑えきれない好奇心が丸出した。
「へぇお茶のCM。若松愛花ちゃんって女優さんの? 知ってる!」
「母ちゃん……」
うんざりしている僕におかまいなく、母ちゃんは前のめりでうさんくさい男の話を聞いている。
「いいわよね! 一日くらい。ね!」
「…………」
まったく乗り気じゃなかったが、そんな流れでCMの撮影に協力することになってしまった。母ちゃんも喜んでいるし、その時はまぁいいかなと思っていた。だけどもっとよく考えるべきだったんだ……。
狭い店の中にも表にも、さっきからあふれるぐらいの人が忙しなく行き交っている。撮影スタッフの他にも、役割のわからない、びしっと背広できめた人もいる。
「若松さん、入られまーす」
スタッフが告げる声に周囲の空気が変わった。
横づけされたバスから現れた芸能人に、野次馬から歓声が上がる。つられて首を伸ばしたら見えた彼女は当たり前だが本物で、興味の無い僕でも少し浮ついた気持ちになった。
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