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その夜
撮影は無事終了し、壁の小さな傷だけ残して、全てが嵐のように瞬く間に去って行った。
僕は夜になってから他にも傷つけられていたら困ると、店の確認に降りてきていた。だが綺麗なもので、運びこまれたお洒落な道具類も全て消え、店も調理場もいつも通りに戻っていた。
「あいつらやっぱ、プロだな」
つぶやいても応える人はいない。あんなに賑やかだったのにもう誰もいない調理場は、そう広くもないのにがらんとして見える。僕は手近な椅子に座ってスマホを取り出した。さっき確か雄太からメールが来ていたはずだ。
開いて思わず笑ってしまった。若松愛花を中心にして、母ちゃんやイチスケさん、雄太で撮った、今日の記念写真が添付されていたからだ。
雄太からの本文には『凛久の顔うつってねーぞ』と文句が書かれていた。
僕は入りたくないと言ったのに、無理やり引っ張りこまれたのだ。せめてもの抵抗にイチスケさんの後ろに半分隠れてやった。
みんな満面の笑みを浮かべている。
「子供みたいだな」
笑いながら、イチスケさんの顔だけを拡大して、じっとながめた。くったくなく笑うその顔は、精悍なつくりなのに人懐こくも見える。人をひきつける明るい雰囲気にあふれている。比べちゃいけないと思いながらも、その隣に僕がいていいのか……やっぱりどうしても考えてしまう。
昼間、イチスケさんに「ああいう事は良くあるのか」と聞かれた。
僕はとっさに否定したけど、本当はたまにある。シャングリ=ラに通っていたころは、夜、待ち伏せされて連れこまれそうになったことが何度かあった。昼はああやって大っぴらに声をかけられることは滅多にないが、弁当の配達先で明らかに意味深な視線を投げられて、つかまる前に慌てて帰ってきたこともあった。
だから僕は、出来るだけ目立つことはしたくない。どこで誰が見ているかわからないから、常に警戒している。
自分の蒔いた種だ。自業自得なのだからしょうがないと、あきらめもついている。だけどこれからも、いつかわからないがほとぼりが冷めるまでこうして生きていかないといけないのかと思うと、でっかいため息も漏れるのだ。
「あー……何もしてないのにつっかれたなー……」
ポケットにスマホをしまって伸びをする。
その時、店のシャッターが風も無いのに音を立てた。
反射的にビクッと肩を震わせて音のした方を探る。灯りの消えた店の向こう、通りに面した入口のガラス戸とその外のシャッターは閉めてある。
ガシャ、ガシャ。
控えめだが、また鳴った。まるでノックをするようなリズムで。
僕は椅子から立ち上がると、恐る恐る入り口に近づき耳を澄ませた。泥棒? 怖いことを想像して背筋に震えが走る。何か戦えるもの、武器は無いかと店の中を見回している時、小さな声が聞こえた。
「……りく、凛久いる?」
「あ」
その声にほっとして僕は身体の力を抜いた。
「待って、いま開ける」
小声で言いながら電動シャッターのスイッチを押した。ガシャンガシャンと夜にはうるさすぎる音を立てて、腰くらいまで隙間が空く。
街灯の灯りの漏れるそこから屈んで顔を覗かせたのは、思った通り、イチスケさんだった。
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