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いつもふたりで(番外編)
このあたりをおとずれるのは久しぶりだな。
押井航はネオンの光を見上げながら、繁華街の大通りを歩いていく。
最後にここをおとずれたのはもうずいぶん前――そうだ、あのときも修一と一緒だった。いつも修一に料理を作ってもらっている礼にと、強引に食事へ誘って出かけたのだった。
航は隣を歩いている修一へ目を向けた。
優しげに整った顔立ちと、顔立ちによく似合っている色素の薄い髪。柔らかそうなその髪がほんとうに柔らかいことを、航の指はよく知っている。
優しげな顔立ちをしているとはいっても、修一はどこからどう見ても男性だ。身長も航よりは低いが平均ほどはあるし、身体つきだって華奢ではない。職業柄、力仕事をすることも多いため、それなりに鍛えられている。
家事をするのが好きという女性的な一面も持っているが、修一を女のようだと思ったことは一度もない。
それなのに恋に落ちた。ゲイでもないのに男に恋をした。それだけならまだしも、これからの人生を修一と共に歩もうとしている。
航と娘の鞠花。ふたりの間に修一がいるのを、とても自然に感じるからだ。
まるでもうずっと昔から三人で暮らしてきたみたいに。
「そのバーってこのあたりなの?」
航は修一に訊ねた。ふたりは修一の行きつけのバーへ向かっている途中だった。
「ああ、あと少しで着くよ」
修一は航を見上げてうなずいた。
航は、修一が学生時代から通っているというバーに前々から興味があった。自分の知らない修一のテリトリーをこの目で見てみたい、という純粋な好奇心だ。
つれていってよと何度もねだったのだが、修一からは色良い返事はなかなか返ってこなかった。ヘテロの航をゲイバーにつれていくのはどうも気が引けるらしい。
ヘテロって言ってもさ、今は修一さんと恋人同士なんだから、俺もゲイなんじゃないの?
いま同性とつきあってても、過去に異性とつきあってたらゲイじゃないの?
ゲイの判定ってそんなにシビアなの?
じゃあ、バイセクシュアルの人はどうなるの? 出入り禁止なの?
航が畳みかけるように訊ねると、修一は返答につまったようすだった。
ゲイのカップルがゲイバーにお酒を飲みにいくだけだよ。なんの問題もないと思うな。
航がにっこり笑って駄目押しすると、修一は躊躇いながらも「わかった。つれていくよ」と言ってくれた。
それが半月ほど前のこと。
今日は姉夫婦の家へ夫側の姪っ子が遊びにくることになっている。姉が鞠花も泊まったらどうかと声をかけてくれたので、お言葉に甘えさせてもらった。
航と修一がふたりでいられる夜はまずない。前々からいってみたかったバーに出向くのなら今日しかないだろう。ということで、仕事を終えるとふたりは繁華街へ足を向けたのだった。
それにしても、と航はあたりをながめながら思った。
ここはちょうど瀬良とかいういけ好かない男に出くわした場所だ。
舞台役者、さもなくば裏稼業といった空気をまとった男。あの男のことを思い出すと苦々しさが胸に広がる。
修一と瀬良に肉体関係があったのは明白だ。
そのことについてはなるべく考えないようにしている。ふたりとも大の大人だ。それなりの過去はあって当然だ。
まして航には結婚していたという過去もあれば、ひとり娘の鞠花もいるのだ。修一の過去に文句を言える立場じゃないことくらいわかっている。
それなのに瀬良を思い出すとどうしようもなく胸がもやもやする。わかっている。これはただの嫉妬だ。
瀬良は見栄えがする上に、修一と同じ性嗜好を持っている。それに比べて航はバツイチ子持ちだ。修一の気持ちがいつ瀬良へ傾いてもおかしくない。
「……前にさ」
「ん?」
瀬良さんって人とここで会ったよね、と言いかけて言葉を呑みこむ。
修一の穏やかな眼差しを見ていたら、つまらない嫉妬を口に出すのはためらわれた。過去のことを持ち出しても修一を困らせるだけだ。
「いや、今ごろ鞠花の奴どうしてるかなって」
「従姉の子と楽しく遊んでるんじゃないか? ああ、でも、もう眠っているかもな」
時刻は二十一時近い。仕事を終えてからいったん家へ帰ったので、すっかり遅くなってしまった。
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