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「あ、爽やかで美味しいね」
航はギムレットをひと口飲むと、素直な感想を口にした。
「じゃあ、次はギムレットにしようかな」
ふたりが微笑みを交わしたときだった。扉が開いて、ひとりの男が入ってきた。なんとなく目を向けた航は、新たな客の顔に心臓を強張らせた。
ダークグレーのスーツに身を包んだいかにも上等そうな男。瀬良だ。
航と瀬良の視線が合う。瀬良はびっくりしたように軽く目を見開くと、次の瞬間にこやかに微笑んだ。
「こんばんは。押井さん、だったよね」
「……こんばんは」
気さくに挨拶されて無視するわけにもいかない。航は途惑いながらも小さく頭を下げた。
「修、久しぶり。元気そうだな」
瀬良は当たり前のように航の隣に腰を下ろすと、マスターからおしぼりを受け取った。
ええ!? ここに座るのかよ。と思ったが、口に出すわけにもいかない。
いや、出してもいいのだが、店の落ちついた雰囲気を乱したくなかった。
「久しぶり。っていうか、そこに座るわけ?」
修一は航越しに呆れた視線と言葉を送った。
「いいだろ? 幸せそうなふたりを祝福させてくれよ。押井さん、いいかな? 邪魔なら席を移るけど」
瀬良の黒々とした瞳が航を見ている。瀬良は悠然と微笑んでいるが、その笑みは航の気に触った。高みから見下されているような気がしたからだ。
この男の腕の中で修一はいったいどんな顔を見せたのだろう。
想像しかけた瞬間、黒いもやがふたたび心を汚した。
「いえ、かまいませんよ」
航はにっこり微笑んでみせた。瀬良がどういうつもりで航の隣に座ったのかは知らないが、修一が選んだのは航なのだ。堂々としていればいい。
「おい、航――」
修一がシャツをひっぱってきたが、航は大丈夫だよと言うようににっこり微笑んだ。
「マスター、ドライマティーニを」
「かしこまりました」
マスターは、三人に流れる奇妙な空気になど気がついていない、といった表情でうなずいた。
「押井さんたちは? 次はなにを飲むの」
瀬良は空になりかかったグラスへ目を向けた。
「俺はギムレットにしようかなと」
「ああ、修の好きな奴」
くすりと小さく笑う。他意はないのかもしれないが、航は神経を逆撫でされた気分になった。
修一のことならおまえよりよほどよく知っている。そう言われた気がしたからだ。修という呼びかたも気に食わない。修一さんという呼びかたよりもずっと親密に聞こえる。
「修は?」
「同じものにするよ」
「マスター、ギムレットをふたつ。それは俺からで」
思いがけない瀬良の言葉に目を見開く。
「いや、奢ってもらう理由がないですよ」
「ふたりの幸せを祝して、だよ。ささやかだけど受け取ってくれたら嬉しいな」
瀬良は端正な顔に爽やかな笑みを浮かべた。本心から言っているように聞こえるが、あの夜、修一を抱きすくめて口づけていた姿をどうしても思い出してしまう。
この男は修一をどう思っているんだろう。身体の関係があったのなら、多少は惹かれていたはずだ。ひょっとしたら今でも修一を思い続けていないともかぎらない。
奪い取る隙を虎視眈々と狙っているのだとしたら――
「ありがとう、瀬良さん。航、素直に受け取っておきなよ」
修一に言われて、航はうなずいた。確かに頑なに断るのはスマートではない。
「ありがとうございます。いただきます」
「礼儀正しいね」
瀬良は小さく笑った。馬鹿にされた気がして神経がささくれ立つ。
航と瀬良。引き比べたら誰の目にも瀬良のほうが上等な男に映るだろう。
舞台役者のような容姿も、洗練された身のこなしも、横顔から漂う色気も、航にはない。恐らく収入も桁ちがいのはずだ。身につけているものを見ればわかる。
修一の昔の男というだけでも面白くないのに、そのことが航をますます過敏にさせていた。
ほどなくして三人の前にカクテルグラスがならんだ。
「じゃあ、おふたりの幸せを願って」
瀬良が軽く持ち上げたグラスにグラスを打ちつけると、かろやかな音が弾けた。
先ほどは爽やかに感じたギムレットが、なぜだか粘ついて感じる。
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