ソルとテラ

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ソルとテラ

 緩やかなスロープを降りていくと、そこには青い光が満ちている。  天瀬修一(あまがせ しゅういち)は右手に巨大な水槽を眺めながら、スロープをゆっくりとくだっていく。  透明の水がたゆたう水槽。水槽というよりもプールのような大きさで、プールよりもずっと深みがある。  早朝、水槽の主たちはまだ眠っているらしい。水槽を波立たせるものはそよ吹く風だけ。頭上を見上げれば微かに揺らめく水面が、その上には青空が広がっている。  水を通して射し入る朝日が、修一の足許へ不安定な模様を落とす。  波の形をした青い模様。淡い金色に縁取られて、幾重にも幾重にもつらなっている。  ゆらゆらと揺れる光の中にいると、まるで己が水槽の中にいるような錯覚が起きる。 (静かだな……)  遠くから鳥の鳴き声が聞こえてくるが、物音はそのくらいだ。園はまだ半ば眠りの中にある。  修一がいま立っているのは、ペンギンの飼育場の真下に当たるトンネル状の空間だ。  地上からは直立不動で佇むペンギンの姿が、ここからは泳ぐ姿が観察できるという設計になっている。  某県に所在する桜庭動物園で飼育員として働くようになってから早九年。  最初の三年間は羊や兎をメインとしたふれあい広場を担当し、その後の六年間はペンギンを担当している。  ペンギンに特別な拘りがあったわけじゃない。それでも何年も担当していれば自然と誇りや愛着が生まれるものだ。  いずれは担当替えもあるだろうが、できるかぎり長くペンギンを担当していたいと、いつの間にか思うようになっていた。  このごろは特に強くそう思う。  少しでも長くここにいたい――彼の側にいたい。
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