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しかし、他の総代のところへ行っても、酒井か他の人間が、あの小冊子を持って訪問しているはずだ。
俺は歩きながら、復帰への道が閉ざされつつあることを、感じ始めていた。
悪い予感は的中していた。
戸田公園駅前支店の総代へ訪問した帰り道だ。
案の定というか、その総代の元には、融資部部長の西田が来ていた。
丁寧に応対されたものの、発せられた言葉は川島氏と、ほぼ変わらないものだった。
ところが、何を思ったか、隣に座ってた剛が、総代会の度に渡していた、車代の件に触れ、我々に対して恩義があるなどと言い出した。
俺は慌てて止めたが、「馬鹿にするな!」
と怒りを買ってしまい、逃げるように出てきたのだ。
一度自宅に戻り、また新たな方法を考えなければならい。
埼京線で武蔵浦和駅を降り、自宅のある南浦和方面に向かって歩いた。
それにしても…と思う。
「くそっ!どいつもこいつも、うまく丸め込まれてやがる。酒井の奴め…」
一連の出来事を振り返っているうちに、自宅近くの交差点まできた。信号の前で止まり、自宅のある坂を見上げる。
誰が名付けたのかは知らないが、<鍋ころ坂>というこの坂は、文字通り、鍋も転がるほど、急な坂だということだ。
思えば、平日は運転手の送迎があり、休日は剛に運転させている。
冬の雪の日などは、近くの支店や、本店の総務部が、自分達の忠誠心を見せるために、競い合うように、朝早くから雪掻きをしていた。
しかし、自分の足で登るとなると、この急坂はしんどい・・・
進行車線の徒歩信号が、青の点滅をはじめ、
トラックが赤になる前に急いで渡ろうと、スピードを速めたように見えた、その時だった。
《ドンッ》と、俺は背中に衝撃を感じ、
道路に2歩3歩踏み出してしまった。
《ファァァァァン》というトラックの甲高いクラクションが響き、剛が「お義父さんっ!あぶ・・」と叫ぶ声が聞こえたと思ったら、
体にもの凄い衝撃を感じ、俺は空を見ていた。
そこからはまるでスローモーションのように、ゆっくりと景色が流れた。
剛が何か叫んでいる姿が見え、その横に消えかかっている《手》のようなものを視界にとらえたとき、目の前が真っ暗な闇に閉ざされた。
「さ・・・こん君・・・・左近・・・君」
(誰かが俺を呼ぶ声がする)
「左近・・・君。おいどうした?左近・・・君」
(誰だ?俺を君づけで呼ぶのは・・・まったく失礼な奴だ)
俺は徐々に意識がはっきりしてきて、ゆっくりを目を開けた。
「おい!左近君?大丈夫かね?」
目の前に座り、君づけで呼んでくる人物を、俺は良く知っている
「井川理事長?・・・」
久しぶりに、俺はその名を呼んだ。
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