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しばらくすると、折り返し剛から電話が掛かってきた。
酒井浩は南浦和支店で、副支店長の役職をしているとの報告だった。
「評価は?」と俺は、酒井浩の人事部での評価を聞いた。
「Aです」剛は答えた。
「そうか…このまま行くと?」と剛に尋ねる。
「次の人事異動で、支店長です」との回答だった。
この埼玉県南信用金庫は、45の支店があるが、支店にはそれぞれ格というものが存在する。
支店の規模にもより、大・中・小規模店舗とそれぞれあるが、酒井浩が所属している、この南浦和支店は、大規模店舗に該当する。
支店のトップである支店長は、通常は小規模店舗からスタートし、そこで結果を出すと中規模店舗、そして大規模店舗となり、そこでも結果を出すと、《運》もあるが役員に上がれることになる。
その下の副支店長・課長も、この大規模店舗で結果を出すと、次の上位の役席に上がれることになる。
つまりこの酒井浩も、このまま順調に行けば、次の人事異動で、どこかの小規模店舗で、支店長ということになる。
俺は過去に戻ったことは、非常に驚いたが、これが夢でないのなら、大きなチャンスだと思っている。過去に戻る前の事を思い返しても、あのままでは復帰することなど、ほぼ不可能であろう。
だが、今のこの時点なら、まだまだ十分にやり直せる。まずは、クーデターの首謀者である酒井浩を、当金庫から放逐し、不安分子を排除していくのだ。
俺はある決意を胸にし、理事長室のドアをノックした。
理事長は笑顔で出迎えてくれ、ソファーに座るよう促された。
昨日の体調不良を気遣ってくれたので、礼を述べ、要件を切り出した。
「なに!?支店長に就任させてくれだと?」
理事長は驚きの声をあげた。
「はい」と俺は冷静に返事をした。
「何故だ?何故今さら支店で仕事がしたいのだ?昨日言ったばかりだろう、左近君!君は私の後継者になるべき人間なんだよ。支店の運営という小さなことよりも、この埼玉県南信用金庫全体の運営を、一緒に考えてもらいたいと、私は思っていたんだぞ。」
理事長は、俺の決意を覆すべく、懸命に説得するが、それは予想通りなので、俺は用意してきた理由を述べた。
「理事長の私に対するご期待と、今のお言葉、非常にありがたいと思っております。実際、昨日の理事長からの申し出を聞き、私もその心構えで、仕事に望もうと思っておりました。」
「なら?どうして…?」
理事長は困ったように聞いてくる。
「理事長。私が支店を離れて何年になると思いますか?」
困り顔の理事長に対して、俺は逆に質問した。
理事長は、上を向き考えながら
「もう10年以上経つのか?」と聞いてきた。
俺は頷き、
「はい。その通りです。十年一昔という言葉があります。私は思ったのです。理事長のご期待に応えるためには、今一度支店に戻って、実際にお客様や、現場で働いている支店職員と触れあい、お客様や地域の状況、ニーズなどを知ってからでも、遅くはないと。」
「現場の状況を知らない人間が、トップに立つことほど、組織にとって不幸なことはないと考えます。理事長とともに、この埼玉県南信用金庫を、もっともっと大きくしていきたいと、私も思っております。
そのためにも私を、今一度支店に戻して、勉強する時間を与えてください!」
俺は、(いささか芝居染みているが、この人にはこのくらいが丁度いいんだよな)と思いながら頭を下げた。
天井を見上げ、話を聞いていた理事長は、視線を俺に向け、
「左近君。君の気持ちは良く分かった!今の言葉、私は感動した!是非、支店で学んだことを、こちらに戻ってきて、活かしてくれたまえ。但し、ずっとという訳にはいかん。1年、長くても2年で私は戻すぞ。」
「ありがとうございます。」
俺は理事長に頭を下げた。無論俺も目的を果たせば、すぐにでも戻るつもりでいる。
「ところで?支店はどこにするんだ?」
理事長の問いに、俺は
「はい。やはり支店長業務を行うのであれば、大規模店舗が良いと考えております。私の地元であり、前身の浦和信用組合の頃からある、南浦和支店でお願いします。」と言った。
理事長はしばらく考えている様子だったが、
「よし!わかった!左近君の要望通りにしよう。早速人事に手配させよう。」と言い、理事長は机の電話を取り、人事部に指示をした。
理事長に異動の申し出を行ってから3日後の夕方、俺は南浦和支店の応接に座っていた。前任となる支店長から、支店の職員表をもらい、重要な顧客などの引き継ぎを行っていた。聞けば、専務自らが支店長になると聞き、職員達は大騒ぎだったらしい。
閉店後のシャッターの下りた店内ロビーで、支店職員全員が集まる中、俺は支店長就任の挨拶を行った。どの職員の顔も、今回の俺の異動の真意を知らないから、不安そうな顔をしている。
しかし、君たちには用はない。俺の目的はただ一人。並んで話を聞いている職員の中に、その顔を見た。
《酒井浩》
俺は話しながら、目は奴だけを見つめていた。
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