一回だけ

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支店に戻ると、酒井がその見せたいという資料を持ってきた。それは南浦和支店の年金の受け取り口座の一覧になっており、口座番号と振込額などが記載されていた。 俺はその資料を見たとき、 「なんだ?これは・・・」 思わず声に出てしまった。 その資料には、口座番号と振込額が記載されているが、振込額の記載されていない口座番号が、何ページにも渡って存在していた。それはつまり、年金を受け取る登録をしたが、実際には振り込まれていないことになる。 俺はすぐさま顔を上げ、目の前に立つ酒井に聞いた。 「これはどういうことだ?」と、振込額の記載されていない、口座番号の一覧の資料を指さし、説明を求めた。 酒井は冷静に答えた。 「はい。当金庫では、年金を受け取る登録を、59歳になる誕生日月からできます。年金を受け取る公的書類に、口座番号を記載し、当金庫の印鑑を押すのです。そうすると、登録されたことになります。」 「そして、お客様には年金事務所に行って頂き、実際の受け取りの手続きを行います。しかしながら、年金を60歳から受け取るとは限らない。65歳、お客様によっては70歳というように、受け取る年齢が遅ければ遅いほど、受け取れる金額は増えますので。」 「ではこれは、当金庫で受け取る登録はしたが、実際にはまだ手続きしていないということか?」俺は酒井に聞いた。 「はい。そうです。」 「どうしてそんなことをした?受け取る時に登録すればいいではないか?」俺は至極まともなことを言ったつもりだった。 しかし酒井は、 「全ては数字のためです。営業課員には、当金庫で年金を受け取る登録件数を、ノルマとして課しております。59歳の誕生日を迎えた月から、営業課員にとって、そのノルマを達成するための見込み客となってしまうのです。例え年金を60歳から、受け取らなくてもです。」 「数字のため、ノルマのためか・・・」 (年金の受け取り口座が増えたと喜んでも、振り込みがなければ意味がないじゃないか・・・)俺はため息をついた。 ただ唯一の救いは、お客様の損にはなっていないこと。 でも、やめさせなければならない。これを元に本部も数字を作成しているのだから。 また、次の日に俺は理事長の元に向かった。案の定、理事長は何も知らず、口を開けているだけだった。またしても緊急役員会議を開き、今後の対応を協議した。 他金融機関で受給している年金を移すときは、最低でも1年間は当金庫で受け取ること。 新規で受け取る場合は、登録後半年以内に振り込みが確認できること。 上記のように、ルールを改正した。 会議後、俺は肩を落として、支店に戻って行った。
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