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「左近理事長の解任を提案致します。」
総代の川島氏からのその言葉に、会場は騒然なった。私も目を見開き、何故という思いで、川島氏を見つめた。
すると川島氏は、会場のざわつきが落ち着くのを待ち、
「少し長くなりますが、お聞きください。」と言い、我々役員が座る壇上を見据えた。
「3年前に左近理事長が就任されてから、私の家に集金に来る担当者の顔が、あきらかに明るくなりました。理由を聞くと、「ノルマがなくなりました」と言います。私は随分思い切ったことをするなぁと思ったのですが、その担当者の明るくなった顔を見ると、ああ良かったなと、その時は思いました。」
一呼吸置いて、川島氏は続けた
「しかしながら、そう思っていたのは最初のうちだけでした。しばらくすると、仕事に対して手を抜いていると、感じるようになりました。例えば、満期が迫った定期預金があったとしても、「引き続き預けて下さい」という継続のお願いをしてこない。解約をしても「ああそうですか」で終わり。以前なら解約理由を聞いて、「だったら借りませんか?」と、融資のお話をしてきたものです。それだけ一生懸命でした。
今は、私達から集金したお金がカバンの中にあるにもかかわらず、近所の公園でタバコを吸っていたり、ベンチに座って居眠りしている姿も見かけるようになりました。それも頻繁に。」
「こんな姿を見せられて、お客様が安心してお金を預けたいと思いますか?これでは何か相談したいことがあっても、とても親身になってもらえるとは思えません。」
「私は埼玉県南信用金庫の総代として、これではとても応援することはできない。残念ながら今回の総代会でも、業績が落ちているにも関わらず、その点の改善案も提示されませんでした。これは経営陣の責任です。よって私は、左近理事長の解任を提案致します。」
それは提案というよりも、「もっと頑張って仕事をしなさい」という、川島氏からのお叱りのようにも聞こえた。
私は、川島氏からの提案内容を聞きながら、恥ずかしい思いで一杯だった。職員達はノルマがなくなれば、お客様に迷惑を掛けるようなこともせず、意味のない仕事に費やしていた時間を、もっとお客様のために使っているものだと思っていた。
川島氏の話が進んでいくうちに、会場の雰囲気も変化していった。最初は唐突な提案に、戸惑っていた他の総代達も、提案理由を聞くうちに、徐々に頷く人間が増えていったのだ。特に、「安心してお金を預けられない」という部分には、ほとんどの総代達が頷いていた。
(この3年の間に、職員たちがお客様の信頼をここまで失ってしまう事態になっていたとは・・・。また同じだ、現場の状況を知らなかった私の責任だ。)
私は解任されることを覚悟した。
「そ・・それでは、左近理事長の解任に賛成の方、ご起立をお願い致します。」
司会の副理事長は、声を震わせながら言った。
ガタッと会場中に椅子が動く音が響いた。
私の目には、8割近くの総代の立ち上がった姿が目に入った。
しばらく会場が静まりかえった後、
「賛成多数のため、左近理事長の解任が・・・承認されました。」
副理事長の声が会場に響き、立ち上がっていた、各支店の総代が着席する中、提案者の川島氏のみ立ち尽くしていた。そしてその顔は、ここにいる誰よりも驚きの表情に満ちている。
私はその顔を見て、前の世界で復職するために力を貸して欲しいと、お願いに行ったことを思い返していた。
(あのとき川島氏は「総代として、誰がトップでも応援する」と言っていた。おそらく、他の総代に相談することもなく、単独で提案されたのだ。この埼玉県南信用金庫の将来を心配して。ただ本当に解任されるところまでいくとは、思ってはいなかったのでしょう。)
私はその気持ちをありがたいと思いながらも、このような行為を川島氏にさせてしまったことを悔い、自分のふがいなさに失望した。
私は静かに立ち上がり川島氏に向かって軽く頭を下げ、総代の前で深く一礼して、会場から退出した。
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