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翌日、私は昨晩考えたある決意を胸に、理事長室の扉の前に立っていた。
一晩ほぼ寝ずに考えた結論は、一言でいえば理事長にならないこと。
前回も今回も会長・理事長に就任して、解任されている。そもそも理事長に就任すること事態が間違っていたのだ。私の決意は、支店という現場に立ち続けること。
私が支店長という立場で、常に現場に立ち、見本となることで、他の支店長達もそれを見習い行動する。その支店長の姿を見た職員達が、またそれを見習い行動する。専務という役員の立場でありながら、常に支店という現場に立ち続けることで、他の職員達の奮起を促すという考えだ。
そのためノルマは撤廃しない。しかし達成できなかった時の責任は、全て上司が責任を負う。決して職員個人に責を負わせるようなことはしない。
ただそのために、私が現場に出るには、井川理事長にはこれからも理事長と言う立場で居て貰わなければならない。前回は支店までは行けたが、そこでみつけた数々の諸問題の責任を取る形で辞任された。それを防ぐにはどうしたらいいのか・・・私は理事長室のドアをノックした。
理事長は笑顔で出迎えてくれ、ソファーに座るよう促された。
「なに!?支店長に就任させてくれだと?」
理事長は驚きの声をあげた。
「はい」と私は冷静に返事をした。
「何故だ?何故今さら支店で仕事がしたいのだ?昨日言ったばかりだろう、左近君!君は私の後継者になるべき人間なんだよ。支店の運営という小さなことよりも、この埼玉県南信用金庫全体の運営を、一緒に考えてもらいたいと、私は思っていたんだぞ。」
理事長は、私の決意を覆すべく、懸命に説得するが、それは前回と同じなので、私は用意してきた理由を述べた。
「理事長の私に対するご期待と、今のお言葉、非常にありがたいと思っております。実際、昨日の理事長からの申し出を聞き、私もその心構えで、仕事に望もうと思っておりました。」
「なら?どうして…?」
理事長は困ったように聞いてくる。
「理事長。私は支店を離れてもう10年以上になります。十年一昔という言葉があります。私は思ったのです。理事長のご期待に応えるためには、今一度支店に戻って、実際にお客様や、現場で働いている支店職員と触れあい、お客様や地域の状況、ニーズなどを知ってからでも、遅くはないと。私も理事長とともに、この埼玉県南信用金庫を、もっともっと大きくしていきたいと思っております。そのためにも私を、今一度支店に戻して、勉強する時間を与えてください!」
私はあえて理事長を辞任に追いやり、私自身も苦しめた、現場の状況を・・・という言葉は使わなかった。
天井を見上げ、話を聞いていた理事長は、視線を私に向け、
「左近君。君の気持ちは良く分かった!是非、支店で学んだことを、こちらに戻ってきて活かしてくれたまえ。但し、ずっとという訳にはいかん。1年、長くても2年で私は戻すぞ。」
「ありがとうございます。」
私は理事長に頭を下げ、その場で南浦和支店での支店長を承認された。
ここまでは順調にこれた。後はいかに理事長が辞任せず、これから起こる諸問題を解決するかだ。
理事長に異動の申し出を行ってから3日後の夕方、私は南浦和支店の応接に座っていた。前任となる支店長から、支店の職員表をもらい、重要な顧客などの引き継ぎを行っていた。前回と同様、専務自らが支店長になると聞き、職員達は大騒ぎだったらしい。
閉店後のシャッターの下りた店内ロビーで、支店職員全員が集まる中、私は支店長就任の挨拶を行った。どの職員の顔も、今回の私の異動の真意を知らないから、不安そうな顔をしている。
並んで話を聞いている職員の中に、その顔を見つめた。
前回は憎しみを込めた目で彼のことを見つめていたが、今回は違う。
酒井君。頼りにしているぞ。
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