嘘つき、嘘に溺れる

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 聞こえてはいるだろう。俺は休憩がてら、秀の部屋を出た。廊下を挟んで、向かい側。すぐそこに、ドアがある。秀の部屋の扉となんら変わらないドア。普通の、ドアだ。この部屋の主はもういない。俺はドアノブをゆっくりと回した。  ドアを開くと、誰も使っていないからこその、冷え込んだ空気が肌に絡みついた。  部屋の中は綺麗なものだった。青いシーツのかかった布団が、ベッドの上に敷かれていて、枕元にはうさぎのぬいぐるみが置かれている。勉強机の隣には本棚が置かれ、ぎっしりと本が詰めこまれている。  秀の姉が、よりにもよって秀の目の前で電車に飛び込んでから、もうすぐ二年経つ。けれど、この部屋は梨子(りこ)がいた頃となにも変わらない。から、部屋に入ると梨子の匂いが、まだ残っている気がした。  俺は本棚から、適当に一冊、抜き取った。数学の参考書らしい。俺は何気なくそれをパラパラとめくる。なにか挟まっていないだろうか。心のどこかで期待していた。  遺書がなかったのだ。
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