第五章 ラマカサ - 闘技場

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 一本の街道が、レフォア城下町から南へと出発する。とりあえずの到達点はシンジゴ山脈だ。山脈を越えた向こうは砂漠、そしてルセールである。山脈付近は荒地で、人家もかなり少なくなる。ここに、旅人たちが必ず足を止める大きな街がある。それがラマカサだった。山脈のふもとにあるこのラマカサで、人々は旅の鋭気を養ってから山を越えるのである。 「わあ」 「綺麗!」  まるで大河のような幅の大通りが彼らの前に延びている。その光景を見ていると、今までの荒野が夢のように思えてくる。規則正しい建物の列と、等間隔に植えられた街路樹。均整の取れた美しい町並みが彼らの前に広がっていた。シキはひとまず安心し、双子は早速街を見に行きたいと言い出した。いつもは仏頂面のエイルも、珍しくはしゃいでいる。 「シキ、ここにはしばらくいると言ったな? な?」 「そうですね。まずは宿を探さなくてはなりませぬ」 「よかろう。ではシキは私と宿を見聞に行こう。いい宿を探そうな」 「はっ。では、クリフたちは買い物がてら町を見物してくるといい。遅くとも日暮れの鐘までにここへ戻ってくるようにな。危なそうなところへは近づくなよ」 「はーい」 「もう子供じゃないから!」  レフォアでさらわれたことを忘れたか、とシキは苦笑する。だが確かに、今の二人ならそうそう簡単にさらわれたりはしないだろうという安心感もあった。手を振ると、二人もそれに応えて手を振った。  シキとエイルと別れると、クレオはすぐに洋服屋を見つけて入っていった。クリフは一緒に行こうかなとも思ったが、少し考えるとそれを止め、町の中心部へ向かって歩き出した。 ――本当に、綺麗な街だなあ。  きょろきょろあたりを見回しながら歩いていると、うっかり誰かとぶつかった。相手がひらりと身をかわしたので、クリフは勢い余って転んでしまう。もんどりうったクリフに手を差し伸べたのは、革の胸当てを身に着けた女だった。 「前見て歩きなよね」  二十歳前後だろうか。短く切った茶の髪は日焼けして、それが彼女によく合っていた。余計なものは身に着けていない格好。もう冬だというのにすらりとした腕や足が露出されていて、つい目を背ける。何故だか、見てはいけないもののように思えて気が咎めた。 「す、すみません」 「あたしはいいけどね。前見て歩かないと田舎もんってばれちゃうよ」  あはははは、と明るく笑う。悪い人じゃなさそうだな、とクリフは思った。軽く手を挙げて行こうとする彼女に、思い切って声をかける。 「あ、あの、俺こんな大きな町初めてで……だから何がなんだか……その、もしよければ案内してもらえませんか」 「やっぱり!」 「え?」 「い・な・か・も・ん!」 「……」 「あ、ごめんごめん! 馬鹿にしてるわけじゃなくって。知らないことを知りたいって思うのはいいことだし、そうやって人に頼めるのもいいことだよ。案内、喜んで引き受けるよ。さ、行こう」  男のような、さっぱりした口調で言うと、姿勢よくさっさと歩き出す。クリフは慌てて後を追った。追いついて初めて、彼女が自分より背が低いという事に気づく。 ――背が伸びてるんだろうか。そういえばここんとこ、足が痛いと思ってたけど……。  夜、体のあちこちが(きし)むように痛む事がある。シキに相談すると、成長期にはよくある事だと言われた。考えてみれば、城下町では、人々の間からは前が見えにくくて困った。けれど、今は視界が広い。自分の身体が確実に成長していることを、クリフは驚きとともに実感していた。 「……で、あの奥の大きな建物が闘技場よ。それでもってこっちの八百屋を曲がると……ほら、さっきのとこに戻ってきた」  最初に二人がぶつかったところまで戻って来ると、彼女は両腕を腰に当てて「ね!」と笑った。サナミィのあるマグレア地方では見かけない顔立ちに、異国の香りがする。晴れやかな笑顔を見ていると、何だか自分まで笑顔になってしまう。彼女についていくつもの通りを歩いたが、朝から馬に乗り続けて疲れていたことを、クリフはいつしか忘れていた。それだけ彼女に案内されて街を歩くのが楽しかったのだろう。 「まあこんなとこかな。とにかくここは店も多いし、武器や防具を買っておいて損はないと思うよ。そうだ、武器で思い出したけど、あんたは仕事、何をやってるの?」 「仕事って……」 「職業さ。あたしは、もう言ったっけ? 戦士、武闘家って奴なんだけど」 「えっと」 「旅してきたんだよね。じゃあ仕事がないって事はないでしょ」 「……」 「一緒に旅してるお兄さんが剣士なんだっけ。じゃあその人に頼りきりってとこ? まあしょうがないかな。見たとこ、まだ十五、六ってとこだしね」  そのままじゃこの先大変だよ、と彼女は続けた。クリフは何がなんだか分からずに鼻の頭をかく。年上なのは間違いなさそうだが、しかしそれほど変わらないだろうと思った彼女に子供扱いされてしまった。馬鹿にしているような調子ではないが、呆れているようではある。何を言えばいいのだろう。シキに頼り切っていたのは事実だ。父は狩人だったが、自分もそう言っていいのだろうか。職業としてどこかへ届けたりしたことはない。  何を言えばいいのか分からずにいると、日暮れを告げる鐘が鳴り始めた。耳に心地いい音が、暮れなずんだ茜色の空に響いている。 「日暮れには戻るって言ってたっけ。じゃあさ、食事を済ませたらそこの酒場へおいでよ。旅の心得とかについても話したげるから。どう?」 「う、うん。あ、いやその、よろしくお願いします」 「そんなかしこまらなくていいって! じゃ、また後で」  酒場の看板を示すと、もう歩き出している。クリフは軽く手を挙げている後ろ姿を見ながら、彼女の名前すら知らない事に気づいた。さっぱりとした性格としゃべり口はクレオにちょっと似ているかもしれない。けれど、クレオとはやはり違う。クリフは首を傾げてしばし考えたが、よく分からなかったので諦めた。待ち合わせの門のところへ戻ると、クレオが手を振っている。 「エイルがお腹空いたとか言ってさ、もう食事始まってんのよ。わがままよね」 「しょうがないさ。俺もお腹空いたなー」 「そうだね、早く行こ!」 「うん!」  腹を満たす食事に暖かい部屋。エイルに言わせれば「野宿よりはまし」という程度らしいが、その宿はとても清潔で綺麗だった。クリフやクレオは人間らしい生活に大満足といったところである。  大抵の宿は、大部屋にみんなで泊まる形式だ。安い宿ともなれば老若男女に関係なく、薄い毛布一枚を渡されて土の床がむき出しの部屋に通される事もある。しかしエイルが探してきたこの宿には、小さいながらも個室があった。老夫婦が、結婚して出て行った息子たちの部屋を貸し出しているのだという。クレオは本当に久しぶりに自分たちで寝られる事になり、喜びを溢れさせた。だが、しかし。 「あのさ、俺、ちょっと出かける」  夕食後、幸せそうに布団に顔を埋めていたクレオは、突然の言葉に驚いて顔をあげた。 「え? 何、クリフ。こんな時間からどこに行くって言うの? もう外まっくらだよ」 「あ、うん。大丈夫。あの、ちょっと……えっとね」  隣の部屋にいたはずのシキが部屋の入り口で笑い声を立てる。 「クレオ、クリフにも事情があるんだろう。行かせてやればいいじゃないか。なあ、クリフ。大事な用じゃ仕方ないよな?」 「そんな、大した用事じゃないけど……」  クリフはもごもごとくちごもる。 「本人が言いたくないことを無理に聞くのは良くない事だな、クレオ?」 「そりゃそうだけど、でも……だって」 「クレオ、俺さ、そんなに遅くならないと思うし」 「どこに行くの、って聞いただけじゃない」 「それは、ちょっと、その辺。……とにかく、すぐ帰ってくるから」  そう言うとクリフはシキの脇をすり抜けて、そそくさと出て行ってしまった。階段をとんとんと降りて行く音が遠ざかり、部屋にはシキと、ぶつぶつ言っているクレオが残された。 「何よ、クリフってば。今まで私に隠し事なんかしなかったのに」 「その内きっと話してくれるさ。あまり気にしすぎない事だ」  シキはしばらくクレオをなだめていたが、エイルのお呼びがかかって隣の部屋へと戻っていった。シキの言葉に少しは落ち着いたものの、クレオはどうも納得がいかない。布団の上で、膝を抱える。今までにない、クリフの表情や言葉に戸惑いが隠せなかった。それでなくても最近、クリフの背が伸びている事に気づいていた。シキと訓練をしているからだろうか、腕や足に筋肉がついてどんどん男らしくなっていくクリフ。自分はといえば、腕やなんかは細いままなのに、胸と腰が丸みを帯びてきている。 「ずっと、一緒だったのにな……」  小さく息を吐いたら、突然悲しくなってきた。知らず、頬に一筋涙が伝う。  幼い頃から二人は互いの半身だった。同じ顔で同じ時に生まれてきた子供など、聞いたことがない。姿も顔も声も同じで、どっちがどっちか分からなかった子供の頃。服を取り替えて親を驚かせた事もあった。きっと自分たちは一人で生まれるはずだった、これから先もずっと二人で生きていこうと話し合った。誰も自分たちの間には入り込めないし、お互いがお互いの事を一番理解している。はずだった。 「私たちは二人で一人だって言ったじゃない……お兄ちゃんのバカ……」  クリフの方が兄ということになっているが、普段は名前で呼ぶ。しかし今日は、クリフが自分を置いて大人になった気がしていたのだろうか。思わず口をついて出た「兄」という言葉に、彼女自身は気づいていなかった。 「いいよ、もう! 知らないからっ」  そう言うと、クレオはいらいらと布団をかぶってしまった。
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