第1章 円を描く小指

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「で、兄さんは行くのか」 「行くよ。約束を果たさなきゃいけない」 「……ヤベェ話じゃねぇだろな」 「ヤベェ話に決まってるだろ。まあ、私は知らぬ存ぜぬで行くけど」  阿蘇さんの大きなため息が車内を満たす。僕は、それをまどろみながら聞いていた。…やはり、国家権力の安心感はすごい。パトカーに乗るなり、ずっと続いていた緊張がすっかり解けてしまった。 「……兄さん、その手」 「ああ、うん。ちょっと怪我したな」 「皮膚ズタズタがちょっとかよ。後で診てやるから、俺の家寄るぞ。どうせちゃんとした治療道具も持ってないんだろ」 「ありがとう、キレ気味ナイチンゲール」 「おーっと売られた喧嘩は積極的に買うぜぇー?」 「すいませんでした」  立場弱いなあ、この人。しかしいつ怪我したんだろ。スタンガン突っ込んだ時かな。  そんなことをぼんやり考えていると、やがて車はある場所で止まった。 「すぐ戻るから、景清君を頼む」 「一人で行くのか? 危ねぇぞ」 「だからここにパトカー停めたんだよ。佐谷田の部屋から見えるように」 「なるほど」 「そういうわけでよろしく」 「はいよ」  ドアの閉まる音がする。曽根崎さんは、佐谷田に久作さんの一部を渡しに行ったのだ。  阿蘇さんは心配していたが、まあ、多分大丈夫だろう。相手が相手なので脅されはするだろうが、あの人ならのらりくらりと逃げおおせると思う。  なんだか、瞼が重い。いよいよ眠りに落ちそうだ。後部座席で窓にもたれた時、どこか優しい阿蘇さんの声で“ お疲れさん ”と聞こえた。  不気味な男だ。そもそも、最初から気に入らなかった。  私に全く臆することなく、態度の悪い目つきで見据えてくる。挙げ句の果てに、この私からの依頼を断ろうとするなどとは。あんな状況でさえ無ければ、すぐにでも思い知らせてやれたというのに。  しかし、それもさっきまでの話だ。男からの電話によると、私を煩わせていたホームレスの成れの果てを始末したらしい。どんな小賢しい真似をしたか知らないが、腕は確かだったようだ。  嘘をつかれては厄介なので、その一部を持ってくるよう依頼した。もうじき、男がここへやってくる。そうすれば――。 「どうもこんばんは」  突然、ドアが開いた。そこにいたのは、不愉快極まりないあの男。  背筋は伸びているものの、どこか埃っぽいスーツに私はあからさまに顔を歪めた。 「こちら、お約束の品をお持ちしました」  私の様子など全く気にも留めず、男は懐から小さな容器を取り出した。中には、小指が二本。  なるほど、わざわざ愚かにも持ってきてくれたらしい。 「苦労をかけたな。さあ、それをこちらに寄越してくれ」  男に向かって、手を伸ばす。さあ、来い。私の手の届く範囲に。そうすれば、一瞬で気を失わせてくれよう。  何をしてやろうか。お前はどんなバケモノになりたい?頭を増やしてやろうか。五つぐらいどうだろう。全員、同じ頭でもいいし、別人でもいい。そうだ、お前には助手がいたな。あれを使ってやってもいいぞ。そうすれば話し相手にもなるな。殺意をもって食い合うのでもいいぞ。それはそれでさぞ楽しかろう。 「お渡しするのは構いませんが、その前に外をご覧ください」  男は、私の思考を遮り窓の外を指差した。興を削がれつつも仕方なく外を見ると、パトカーが停まっているのが見えた。  何故、ここに?  私の考えを察したのか、男は答えた。 「そりゃそうでしょう。あなた、警察に依頼したんですから」  思わず舌打ちをする。その音に反応し、男は笑った。 「あなたが何をしようとしていたのかは知りませんが、悪いことは言いません、今はやめておきましょう。どうせあなたのことだから、私のことだけじゃなく、景清君のことまで調べているのでしょう?」  ああ、その通りだとも。 「なら、今日の所は当初の約束だけで終わりにしませんか」  男は、指の入った容れ物を小さく振った。 「――君が何を言っているのか皆目見当がつかんが、その指は貰い受けよう」 「どうぞ。お取り扱いには重々ご注意を」 「ふん」  鼻で笑い飛ばし、容器を受け取る。受け取るその瞬間、男が何か呟いたような気がしたが、まあどうでもよい。  そして、男は一礼をして去っていった。後に残されたのは、私と容器に入った小指二本。 「――随分と小さくなったもんだ」  容器を天井灯にかかげる。無理矢理千切ったのだろうか、断面は生々しく、骨のようなものも見えている。  ――?  今、動かなかったか?  いや、まさか。私の元にいた時は、本体から離れた指はすぐに生命活動を停止していた。動くはずはない。動くはずは――。  嫌な予感がする。今すぐ、この容器から手を離せと直感が喚いている。  だが、私の指は、別の意思が宿っているかのように容器の蓋を外そうとしていた。  なんだ、これは、なんだ。  私の体が、思うようにならない。  二本の指が、動いた。まるで捕食対象を見つけた生物のように。  蓋が開いてしまう。  開いてしまったら、私はどうなる。  怖い、怖い、こわい。  声が出ない。  誰かいないか。さっきの男でもいい。  誰でもいい。  こわい。  私と代わってくれ。  でないと、私は。  こわい。  助けてくれ。二度とこんなことは。  こわい。  こわい。  容器の蓋が開いた。
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