第1章 円を描く小指

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 時間を遡ること半日前――。 「第三者の可能性?」  味噌汁を受け取りながら、曽根崎さんは不可解だと言わんばかりに目を細めた。そして僕が何か言うのを待たず、寝っ転がったまま味噌汁を一気飲みする。何から何まで行儀が悪い。  だけど、今はそれを注意するより、話したいことがあった。 「そうです。思えば、今回の件は所々に穴があります」 「私の計画にケチつける気か」 「あれも酷いもんですが、そうじゃありません」  そう、そこではない。曽根崎さんから資料の内容について聞いた時から、気になっていた点だ。 「まず、山に埋められた小指氏は、どうやって脱出したか、です」  曽根崎さんの前で、人差し指を立ててみせる。 「……自力で脱出したんじゃないのか?」 「それはまず無いと考えていいと思います。生き埋めにしたのは、あの佐谷田ですよ? どのくらいの強度があれば小指氏が壊すことができないか、把握していたでしょう」 「確かに」 「まだあります。誰が、佐谷田に小指が落ちていることを知らせたか」 「……研究所の人、とか?」 「そうかもしれません。しかし全てを把握し伝えるとなると、無理がありませんか?」 「うむ」 「そして、これが一番重要なんですが……」  一つ呼吸をする。――これは、僕の意見だ。曽根崎さんのものでもなく、誰か他の人が考えたものではない、紛れもない僕の意見。曽根崎さんが抱かなかった違和感に気づいた僕の――。  ふと、不安が胸をよぎった。  ――正しいのか?  心臓を握り潰されるような恐怖が僕を襲う。――あまりにも突拍子もない話なんじゃないか? これを言って、曽根崎さんは僕をどう思う? 聞き入れられるのか? たかが僕の意見だ。だけど、それをこの人に言って、蔑ろにされたら?  呼吸が浅くなる。救い難いトラウマが、僕に語りかける。  ――“ 今までそうだったように ”、拒絶されるのでは?  口を開けたまま、僕は固まってしまった。まずい。声が出ない。今までの経験が、僕が次に言うべき言葉を絡め取る。 「景清君?」  曽根崎さんが、僕の様子に気づいた。いつの間にか起こしていた体を近づけ、顔の前で手を振った。 「電池切れか?」  今冗談を言うな。返せないんだよ。 「ボタン型の残ってたかな」 「燃費良過ぎだろ僕!!」  そんなことなかった。突っ込んでしまった。 「復活したか」 「おかげさまでどーも」 「よし、早く続きを聞かせてくれ」 「……」  ソファーに座り直して資料を自分の足に叩きつける曽根崎さんを、じっと見る。 「どうした」 「いえ」 「言えないのか?」 「……そんなことは」 「……なあ、景清君」  今は上に向けられたヘッドライトの下で、曽根崎さんの悪い目つきがどこか柔らかく見えた。 「そんな気負わんでいいぞ。何でもいい。言うだけ言ってみろ」  もじゃもじゃ頭は、いつもどおり、偉そうだ。偉そうなのに、なんでアンタは。 「君がどんな話をしても、たとえ私に理解できなくとも、私は最後まで聞いてやるから」  ――なんでアンタは、そういうことを言えるんだ。  胸が詰まるような思いになる。同時に、憑き物が落ちたようにあっさり納得できた。そうだ、言っていいんだ。この人は、聞いてくれる人なのだから。  僕を拒絶する人ではないのだから。  僕の葛藤に付き合わせて、悪いことしたな。背筋を伸ばし、改めて曽根崎さんに向き合うと、頭を下げた。 「お時間を取らせました。言います」 「うむ」 「曽根崎さん、最初に小指を探しに行った時のことを覚えています?」 「覚えてるぞ。うっかり遭遇したな」 「あれ、曽根崎さんの計算が間違ってたんですか?」  尋ねると、彼は心外そうな顔をした。 「そんなことはない。むしろ、余裕を持ったプランだったはずだ」 「ですよね。それが、遭遇してしまった」 「君にはその理由がわかるのか?」 「可能性としては、二点あります。一つ目は、息継ぎのために減速した結果、たまたまあの場所に出てしまった」 「あの先は大規模な工事現場だったな」 「ええ、かなり広い範囲に渡り、地面に鉄板が敷き詰められています。人目を憚ったか、鉄板を避けたかどちらかはわかりませんが」 「もう一つは?」 「これを言うのはかなり勇気が必要なのですが――僕は、偵察じゃないかと」 「偵察?」  そう、偵察だ。僕は汗ばんだ拳を膝の上で握り、言う。 「小指が各所に落ちているという猟奇的な事件なのに、全く噂になっていないなんて、ありえますか?僕は、ハナから小指氏は、徹底的に人を避けていたんじゃないかと思いました」 「うん」 「その小指氏が、なぜ僕らの前に姿を現したか」  顎に手をあて、曽根崎さんは答える。 「……私達が、小指氏の話をしていたから?」 「そうです」 「姿を見て、どうするんだ?あの時小指氏は、私らに害をなすでも無くそのままいなくなっただろ」 「そこで、第三者が出てきます」  我ながら、ぶっ飛んだ仮説だ。しかし、言う。だって相手は、“ 怪異の掃除人 ”だ。  飲み込め、これぐらいの仮説なら。 「――僕は、小指氏が、第三者に何らかの方法で情報を送っているのではないかと考えています」  小指氏を助け出し、彼が落とした小指を佐谷田に渡し、地中を進む彼とコンタクトを取る、第三者の存在。  つまり、それは。 「……すると、君の言う第三者は、我々の思う人間とは違った何かと捉えていいか」 「はい」  そんなことができる人間なんていない。あるいはいるのかもしれないが、それは限りなく怪異に近いものだろう。  今回の相手は、そういったものが介入しているのではないか。それが、僕の出した結論だった。  いつのまにか止めてしまっていた息を、思い切り吐く。さて、曽根崎さんはどんな反応をするだろう。  そう思っていると、ドサリという音と共に、座っているソファーが揺れた。見ると、曽根崎さんがソファーから落ちてひっくり返っていた。 「だ、大丈夫ですか曽根崎さん」 「大丈夫。驚いてるだけだ」 「ああ、まあ僕の仮説だと、人外相手にしなくちゃならなくなりますもんね」 「違う、君だ。君の推察だ」 「僕の?」 「そうだ」  曽根崎さんは起き上がろうともせず、僕に言う。 「君は頭がいいな。さすが私の見込んだお手伝いさんだ」  なんでもない言葉だった。それでも、その一言は、確かに僕の芯に沁みた。  言ってよかったようだ。その事実は、とても大きかった。 「君の考えは、正しいと思う。その第三者がいれば、歯の抜けたピースが埋まっていく」 「そうですかね」 「うむ」 「でも、そんな第三者って存在するんですか」 「するよ」  軽く彼は言い切った。まるで、見たことがあるかのように。  背筋に冷たいものが走った。 「だから、君より早く気づかなきゃいけなかった。すまない」 「いえ……」 「恐らく、第三者はただでは動いていない。何かしら、小指氏に見返りを……」  言いかけて、曽根崎さんは頭を両手で押さえた。その隙間から、苦しそうな声が漏れている。どうしたんだ、一体。僕は曽根崎さんの元へ寄り、声をかけようとした。  しかし、その前に、曽根崎さんはとても悔しそうに喚いた。 「……なんで私は気づかなかったんだ!こんなにわかりやすかったのに!」 「曽根崎さん、どうしました」 「円だ」 「え?」 「円だよ。見せたろ、あのマッピング図を」 「はい、見ましたが……。あれは、佐谷田をじわじわ追い詰める為の脅しじゃなかったんですか」 「違う。いや、そう見せていたのかもしれないが」 「じゃあなんですか」 「あれは……」  頭を抱えたまま、やはり苦しそうに曽根崎さんは口を曲げている。そして、絞るように言った。 「あれは、結界だ」  その言葉は、日常生活ではまず聞かないものだった。 「結界……ですか」 「その言葉で正しいかはわからんが」 「何の結界ですか」 「それも、わからん。ただ、一つ確実なことがある」 「確実なこと?」  曽根崎さんは、天井を仰ぎながら、宣告する。 「その結界は、小指氏が佐谷田の元へ辿り着けば、完成してしまう」  それが何を意味するのか。不気味な予感だけが支配する夜の中、僕たち二人は長い間黙っていた。 「逃げましょう」  老夫婦から目を離せないまま、曽根崎さんに提案する。――あの時僕が曽根崎さんに伝えた推測が、当たってしまったのだろうか。ならば、今あの場所にいるのは――! 「曽根崎さん」  曽根崎さんは、動かない。彼を見ると、奇妙に口角を上げたまま震えていた。 「曽根崎さん!」  業を煮やした僕は、曽根崎さんの腕を乱暴に掴んだ。それでようやく彼は、僕の方に顔を向ける。 「景清君は逃げてくれ」  出てきたのは、耳を疑うような一言。  アンタ、チワワのように震えてんじゃねぇか。 「曽根崎さんはどうするんですか」 「ヤツらが何者か、聞いてみる」 「聞く間も無く殺されるかもしれませんよ」 「やっぱそうかな」 「そうです」 「でもほら、こっちにはスタンガンもあるし」 「効く相手かどうかもわかりませんよ」 「だけど、それは私が今から対峙しようとする小指氏だって、そうだ」  曽根崎さんの震えは止まらない。怖いのだろう。そりゃそうだ、僕だってめちゃくちゃに怖い。  それでも、この人はどうやら、立ち向かうらしい。震えながら、笑いながら。  ――ああもう、しょうがないな。  僕は、スタンガンを手に取った。 「……挟み撃ちにしましょう。このドアは狭いから、一人しか通れません」 「景清君」 「一人仕留めたら、すかさずもう一人いきますよ。スピード勝負です。相手が感電してる内に、縛り上げましょう」 「君は逃げなさいよ」 「うるせぇ、ボーナス寄越せ」 「……。お人好しは身を滅ぼすと言っただろ」 「じゃあ僕ら二人とも生き残れるよう、アンタも頑張ってください」 「……」  曽根崎さんが、テレビドアホンの前に進む。その背は、もう震えていなかった。 「……持つべきは守銭奴の部下だな、まったく」 「なんか言いました?」 「何も」  さあ、恐怖に踏ん張ってやろうではないか。  曽根崎さんが、テレビドアホンの通話ボタンを押した。
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