第1章 円を描く小指

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「はい、こちら曽根崎」  ドアホンに向かって、曽根崎さんがようやく答える。心臓の音がうるさい。緊張で汗ばんだ手が、スタンガンを落としやしないか心配だ。  今更、ただ不気味なだけの人間夫婦だったらどうしよう、という懸念が頭を掠める。あるいは、そうであってくれ、という希望かもしれない。  しかし、そんな僕の望みは儚く崩れることとなる。 「アケロ」  夫婦の口が、パカリと同時に開いて、言葉を発した。だが、その声はどう聞いても老いた人間のものではなかった。 「アケテアケナサイアケロアケタマエアケテクレアケテチョウダイアケルンダアケヨアケ」  甲高い声が、壊れたレコーダーのように言葉を繰り返す。―――ああ、これは、姿形だけ人間を真似た何かなのだ。それを、僕らは本能的に確信した。 「アケテクダサイ」  僕らが呆気に取られていると、おじいさんの姿をした方が上半身を思い切り反らせた。どういうつもりだと目を見張った瞬間、彼は頭部を力任せにドアに叩きつけた。 「アケナイノカアケルベキアケロアケ」  おばあさんの姿をした何かも、頭を打ち付けだした。気味が悪いのは、あれだけ激しく頭をぶつけて血も飛び散っているのに、言葉に一切乱れがないことだ。  ここはビルの二階なので、人がのぼって来ない限りは目撃されることがないのは不幸中の幸いか。いや、逆か?  違う、今はそれよりも……。 「曽根崎さん、こいつらですよ! 僕の家襲ったの!」 「絶対そうだよな。捕まえて警察に突き出さないと」 「法で裁けるんですかね……?」 「人間の姿してるから、一応いけるんじゃないか……?」  妙に緊張感の無い会話も、ひとえに恐怖からである。これ、話なんてできるのか?無理じゃないか?  曽根崎さんは、いっそヤケクソ気味にドアホン越しに呼びかける。 「迷惑なんで、やめてください。今から開けるんで、少し下がってくれませんか」  すると、ピタリと二人の動きが止まった。おじいさんの方は、額が割れて血がダラダラと顔を伝っている。  二人は、ノロノロとした動きで数歩後ろに下がった。 「……話が通じてしまった」 「ええ、意外にも。これで開けざるを得なくなりましたね」 「景清君、よろしく」 「うわ、来ると思ったよ。わかりました、ちゃんとそこにいてくださいね」  話が通じるのと通じないのとでは、恐怖の度合いが全然違う。僕は、ドアノブに手をかけ、意を決して回し開けた。  そこに立っていたのは、当然ドアホン越しに見ていた二人。見開いた目は焦点が合っておらず、薄く笑みを浮かべている。まるでゾンビのようだ、と僕は思った。 「……私が曽根崎です。御用を聞きましょう」  後ろ手にスタンガンを隠して、曽根崎さんは彼らと対峙する。僕も、彼らが動こうものならすぐ対応できるよう、ドアの死角で身を潜めた。  老夫婦は、やはり甲高い声で曽根崎さんに告げる。 「……テ、ォ、ヒ、ケ」 「…手を引け、ですか?その前に、あなた方の目的を知りたいのですが」 「…。テ、ォ、ヒ、ケ」 「教えるつもりはないと?ですが、今のままでは、彼を止めないことで何が引き起こされるのか、悪い予想しかできない」 「…」 「あなた方は、何をしようとしてるんだ」  強い口調で曽根崎さんは問う。しばらく動きを止めていた二人だったが、おじいさんの方がガタガタと歯を鳴らしながら答えた。 「ウマレシ、ドーホー。ヒト、ニクミ、スベテ」 「……同胞? あなた方のか? ……彼が全ての人を憎んでいるというなら、結界が完成した時、起こることとは、まさか…!」 「ケス、ケス、ケスケケケケケケケケケケケケケケケ」  突然、老夫婦が曽根崎さん目掛けて倒れるように動き出した。 「曽根崎さん!」  咄嗟に、おじいさんの腹あたりにスタンガンを叩き込む。おじいさんは顔を強張らせ、ぎろりと眼球を回し僕を見た。  怯むな、僕!  自らを鼓舞し、スタンガンを持つ手に力を込めた。 「パァ」  奇妙な声と共に、おじいさんの口から黒い煙が出る。同時に、ドタリと体が床に投げ出された。 「動くなよ、景清君!」  曽根崎さんの声が頭上で飛ぶ。見上げると、今まさに僕に覆い被さろうとしていたおばあさんを、曽根崎さんが掌底で弾き飛ばした所だった。  そして、間髪入れずに逆の手に持っていたスタンガンを彼女の首に押し付ける。彼女の口からも、黒い煙が立ち上った。 「……逃げよう!」  僕を振り返り、曽根崎さんは言った。そうだ、彼らがどれくらいで復活してくるかは、わからない。僕は頷き、倒れた二人を乗り越えて、彼と足早に階段を駆け降りた。  彼の肩には、いつの間に持っていたのやら、蒸し器と火炎放射器が担がれていた。
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