第1章 円を描く小指

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「久作さん、突然の狼藉ご容赦ください」  感電し、いくつかの指から黒い煙を立ち上らせる彼を、曽根崎さんは見下ろす。 「ご推察のことと思いますが、私はあなたの息の根を止めに来ました。久作さんも、このまま生き続けるのはお辛いでしょう」  返事だろうか。微かに、一本の指が動いた。 「ですが、あなたの無念も無下にしたくないと、私は考えています」  その言葉に、僕は驚いて曽根崎さんを見上げた。曽根崎さんは、やはり淡々と続ける。 「――久作さん。あなたの指は、本体から切り離してもしばらく生きていられますね?」  え?そうなの?じゃあ、あの時、拾った指は――。  今更ながら、僕は青ざめた。 「無論、長くは生きられないでしょう。ですが、あなたの本懐を遂げるぐらいの時間はあると見込んでいます」  曽根崎さんは、内ポケットから何らかの容器を取り出した。 「……幸いといっていいのかわかりませんが、私は、佐谷田から生きたあなたの細胞を回収するよう申しつけられました」  “ 佐谷田 ”という言葉に、久作さんは強く反応した。しかし、まだ感電しているのか、そう長くは動けなかった。 「そこで伺います」  曽根崎さんは、手に持った小さな容器を指で軽く弾いた。 「私は、久作さんのどの部位を、彼に届ければ良いでしょうか」  ――取引だ。この人は、怪異と、取引をしている。  久作さんの命を貰い受ける代わりに、復讐を叶える。  そんな、悪魔ですら躊躇するような取引を提案したのだ。  曽根崎さんの目は、いかにも楽しそうに細まっている。その顔に、きっとこの人は悲しんでいるのだろうと僕は思った。  ――久作さんは、曽根崎さんの足元に、二本の指を千切って差し出した。  久作さんは、感電から解放された後も、大人しくしてくれていた。これならば別に殺さなくてもいいのではないかと曽根崎さんに言ったが、曽根崎さんはそれを是としなかった。曰く、本人も終わりを望んでいるから、とのことだ。  久作さんを蒸し器に入れる前、曽根崎さんは彼に尋ねた。 「久作さん、最後に、私に教えていただけませんか。はいなら一回、いいえなら二回、指を動かしてください」  久作さんの指が、ワサリと動いた。 「佐谷田に放棄されたあなたは、誰かの力を借りて脱出しましたか」  久作さんは、一度指を動かした。 「それは人間ですか」  二回。 「その時、あなたは取引を持ちかけられましたか」  一回。 「……それは、円を描きながら佐谷田の元まで向かうことでしたか」  一回。 「それをした結果、どうなるか。それは、結界の中にいる街の人全ての命を奪うとご存知でしたか」  ためらうように、一回。  やはり、そうだったのだ。謎の第三者は、街や人を憎んだ久作さんに、それら全てを消してしまう異様な方法を授けていたのだ。しかし、今ここでその計画は潰えた。僕は、会話する彼らの邪魔にならないよう、静かに息を吐いた。  ここで、曽根崎さんは考えるように手を顎にやった。 「……ところで、彼らは何者なのでしょう。あなたは、彼らの仲間になるよう勧誘されましたか」  その時、それまで静かだった久作さんが、一度ぶるりと震えた。そして次の瞬間、人が変わったように曽根崎さんに襲いかかった。 「なるほど。未だ監視は続いているのですね」  それを難なく避け、スタンガンを食らわせる。久作さんは再び、ぐったりと感電した。  この人の動体視力どうなってんだ。 「長々と失礼しました。それでは、本体側は終わりにしましょう」  曽根崎さんは言う。謝罪も、感謝の言葉も無かった。何故なら、まだやるべき事が残っているからである。  炉の中に設置した蒸し器に、久作さんを押し込んだ。 「終わりました」  曽根崎さんは、電話をかけている。その後ろの炉の中には、蒸し器で息の根を止めた後、火炎放射器により消し炭になったかつての久作さんが眠っている。  まっとうな人体ならば、火炎放射器程度の火力で残らず消し炭になるのは難しいだろう。だから、久作さんは限りなく人外のものに近い存在になっていたのだ、と曽根崎さんは言っていた。  恐らく本音だろうが、ショックを受ける僕へのフォローなのかもしれない。 「……ええ、今から向かいます。……はい、私一人で」  電話の相手は、佐谷田だろう。僕は、何も聞かないふりをした。ここで曽根崎さんを引き止めるほど、清廉な人間ではない。  電話を終えた曽根崎さんが、僕の元へやってきた。 「君、何か容れ物とか持ってるか」 「いえ」 「そうか。じゃあ、ハンカチでいいかな」  曽根崎さんは胸ポケットからハンカチを取り出すと、炉へと向かった。しゃがみこみ、中の炭を残らずハンカチで回収する。 「寺関係の知り合いがいる。そこで供養してもらえないか頼んでみよう」 「……それじゃあ僕は、久作さんのお知り合いの方に連絡しておきます」 「うん、任せた。それじゃ、行こうか」  外に繋がる扉に向けて、一歩足を踏み出す。が、曽根崎さんは思い直したように、踏み出した足をきっちり元に戻して、僕を睨んできた。 「忘れていた。私は君を説教しなくちゃいけない」  え、何? ここで? 「なんですか、いきなり」 「なんですか、じゃない。私を庇った時があっただろ」 「ああ」  思い返して、ちょっと恥ずかしくなる。咄嗟の行動とはいえ、体を張ってこんなオッサンを助けるなんて。 「足が滑っただけですよ」 「嘘つけ! あんな華麗なよろめき方があるか!」 「いいじゃないですか、結果的に助かったんだから」 「だがそれでも危ないことには変わりない!金輪際するんじゃないぞ!」 「ほっといてくださいよ、もう」  さっさとこの話題を終わらせたい。僕は曽根崎さんに背を向け、出口に向かって歩き出す。しかし、数歩もいかないうちに彼に肩を掴まれ、無理矢理引き戻された。 「なんですか」 「いいか、よく聞け、景清君」  うんざりしながら振り向いた先には、怒っている曽根崎さんの顔。珍しい。感情と表情が一致しているなんて。  曽根崎さんは、ほとんど怒鳴るように僕に言った。 「私にとって、君の命は軽かないんだよ!」 「……」 「だからやめろ! ほんと心臓に悪いんだ!」  ――こっちのセリフだよ。  心の中で毒づき、掴まれていた肩を振り払う。  ――アンタがあんな目に遭わなきゃ、僕だってあんなこと。 「っていうか、お礼ぐらい言ってくださいよ! 僕はアンタを助けたんだから!」 「心からありがとうございます!!」 「チクショー、素直じゃねぇか!許す!」  やいのやいのと二人で言い合いながら、廃鉄工所を出て行く。――これで、ひとまずひと段落だ。とても長い時間が過ぎた気がするのに、腕時計を見るとまだ日付も変わっていなかった。しかし、明日が日曜日で良かった。とても疲れた。  一つあくびをしたその先で、パトカーにもたれかかった阿蘇さんが待ってくれていた。
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