第1章 円を描く小指

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 次に目が覚めた時、僕はまたしても知らないベッドの上だった。  二日連続でこんな事態、僕が女の子だったら大変だぞ、これ。 「起きた?」  物音に気づいたのか、今回の家主だろう阿蘇さんの顔がひょっこり覗く。今まで警察帽で見えなかったが、この人の頭はモジャモジャじゃない。普通の黒い短髪だ。しかし、常時でも睨むような鋭い目つきは、なるほど誰かさんにそっくりである。 「起きました。すいません、どれぐらい寝てました?」 「今は朝の十時だ。疲れてるならまだ寝てていいぞ」 「いえ、起きます。ベッドも借りてしまい、ご迷惑をかけました」 「クソ兄に比べたら全然。昨日あんなことがあったんだ、気にすんな」  阿蘇さん、かっけぇ。  お礼を言うと、彼は構わないと言わんばかりに首を振り、僕をリビングに呼んだ。ついていくと、そこには温かな朝食が僕を待ち構えていた。 「うっま……!」  一口食べるなり、つい敬語を忘れて感想が漏れた。なんだこの目玉焼き。半熟具合最高じゃないか。塩胡椒もいい味出してる。パンに挟んで食べたい。  うわー、ご飯も旨い。どこの米使ってんの? 味噌汁も多分これちゃんと出汁取ってるやつだ。美味しいもん。  無我夢中で食べてると、阿蘇さんが片手で額を押さえ、天を仰いでいた。  頭でも痛いのだろうか。  ご飯を食べる手を止めずに眺めていると、やがて彼は言った。 「景清君、俺の弟にならね?」  いきなりどうしたんすか。 「いや、ごめん。俺それなりに料理に自信あんだけど、兄さんってあんな感じだろ。作り甲斐が無いっつーか……」 「ああ、わかります」 「こんな美味しそうに食べてくれて、滅茶苦茶嬉しい。なんか泣きそう」 「そこまでですか……」  こんないい弟さん泣かせて、あのオッサン、いよいよダメだな。 「仕方ないですよ、曽根崎さん味覚死んでるんで」 「そうなんだよ。あれにご飯作ってると、ゾンビに餌やってる気分になる」 「多分腐ってても気づきませんしね」 「……つくづく面倒をかけるな、景清君」 「そうでもないですよ。僕はお金貰ってるし、阿蘇さんほど料理が上手なわけじゃないんで、そんなダメージ無くて」 「そう?」  阿蘇さんは首を傾げている。血を分けた兄弟がそこで疑問を抱くほど、あの人は酷いのだろうか。 「兄さん、結構偏屈だろ。あんまり人付き合いも上手じゃないし」 「変な人ではありますけど、コミュニケーションは取れるんで……」 「景清君は懐が深いんだな」 「そうですかね?」 「おう」  食後のデザートまでご馳走になってしまった。杏仁豆腐とかどうやって作るんだろう。  ところで、さっきから件の人物が見当たらないのだが。 「……曽根崎さんは、もう事務所ですか?」 「お寺に行くとか言ってたかな」 「え、僕も行きたかったのに」 「……兄さんから事情は粗方聞いたよ。殺されそうだったってのに、人がいいもんだ」  半分呆れたように、阿蘇さんは言った。 「そんなんじゃ早死にするぞ」 「頑張ります」 「困ったらいつでも頼ってくれていいからな」 「ありがとうございます。阿蘇さんって、面倒見がいい方なんですね」 「フフ、うるせぇだろ」  うお、かっけぇ。きつい顔してるけど、ベースは整ってるから笑った時の破壊力が大きいんだよな、この人。  阿蘇さんと曽根崎さん、顔は結構似てるはずなんだけど、この違いは何なんだろう。  清潔感? 「あ、そうだ」  思い出したように阿蘇さんは机を叩く。 「荒らされた景清君の部屋について、事情聴取しなきゃな」 「あー……忘れてた」 「被害届出す?」 「一応出しとこうかなと」 「兄さんとこの事務所も似た被害が出てるらしいしな、犯人が見つかるかはともかくそれがいい」 「その辺りも阿蘇さん、聞いてるんですね」 「おう、犯人は人間じゃねぇってとこだろ」  事も無げに言うものだ。 「阿蘇さんは、そういった怪異をいくつか知ってるんですか?」 「まあ、兄さんの影響と仕事柄どうしても、な」 「じゃあ、なんで曽根崎さんが積極的に関わるようになったのかも?」 「……全部知ってるわけじゃねぇけど」  ここで初めて、阿蘇さんは言葉を濁した。本当に知らないのか、あまり僕に話したくないのか、どちらだろう。  阿蘇さんは僕から目線を逸らし、何もない壁を見つめる。 「聞きたきゃ本人に聞け。俺からは言えん」 「わかりました」 「よし、そろそろ送っていこうか。とりあえず今日はゆっくり休め」 「はい。……あ」 「どうした」  立ち上がって車のキーを手に取る阿蘇さんに、僕はどんな顔をしていいかわからず、引きつった笑みを浮かべた。 「……今、僕の私物、曽根崎さんの家に置きっ放しで」 「……あー……」 「家も散らかってるし。これ、どうしたらいいと思いますか」 「……家の片付けぐらいは手伝ってやるけど、その状況だと兄さんの家に行った方がいいかもな」  阿蘇さんは困ったように頭をガリガリかいた。そして、スマホで電話をかける。相手は言わずもがなだ。 「……今、事務所にいるっぽいから、とりあえずそこまで行くぞ」  振り返った阿蘇さんに、僕は頷いて返した。
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