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「……生命の起源とは何か、考えたことはあるか?」
佐谷田さんは話し始めた。窓の外に見える空は、すっかり暗くなっている。
「まずはアメーバといった単細胞生物が生まれ、それが分裂し、やがて多細胞生物となり、生きていく上で必要な様々な器官に分化した。これがざっとした通説だろう」
「はい」
「しかし、私達はもっと都合の良い何かがあったのではないかと考えた」
「都合の良い何か?」
つい口を挟んでしまった。しかし佐谷田さんはそれに気を悪くした様子もなく、頷いて続ける。
「そうだ。本来であれば環境に適応した進化を遂げた生き物だけが生き残ったと考えるところを、環境に最適な設計図をその都度原始的な遺伝子から引っ張り出してきていたと仮定したのだ」
「……同じじゃないんですか?」
「違う。要するに後者は、空を飛びたいと遺伝子が望んだから、鳥に羽が生えたとこういう話だよ。羽の生えなかった鳥が絶滅していったんじゃない」
やはり同じだと思ったけれど、おそらくこれ以上突っ込んで聞いてもわからないだろう。首を縦に振り、続きを促した。
「……それ、万能細胞とはまた違うんですか」
そして曽根崎さんはちゃんと理解しているらしい。なんか悔しいな。
「話が早くて助かるな。その通り、万能細胞のごとく多様な組織に分化でき、増殖性もあり、かつ自己複製性も得たある細胞を、我々は発見したのだ。それは極めて原始的であり、人間だけでなく全ての生物を作り上げる可能性すら秘めた、誰もが待ち望んだ細胞だった」
「え……全ての生物?」
「そうだ。全てというのは、今地球上にある多細胞動物だけじゃない。これから生まれてくる、もしくは絶滅してしまったそれら生き物も含まれている。その細胞は、夢の設計図が超圧縮されたものだ」
「……」
話が突拍子も無さすぎて、ついていけない。つまり、なんだ? その気になれば、羽が生えた馬すら造れる細胞を見つけたってことか?
大発見じゃないか。
「……発表しなかったんですか?」
「発表する為にはいくつか過程が必要だ。例えば、再現性が認められるかどうか」
「今はその段階だったんですね?」
「いや、既にそこはクリアし、被験体を使った実験による成果が望まれていた」
「……それじゃ、そこで失敗したと?」
「その実験もうまくいっていた。医療現場への導入も、検討準備に入っていた」
順風満帆じゃないか。何がいけなかったというのだろう。
疑問に首を傾げていると、初めて佐谷田さんは言葉に詰まった。胸を押さえて、苦悶の表情を浮かべている。もしかして持病でもあるんじゃないかと駆け寄ろうとしたが、その前に佐谷田さんはニヤリと嫌な笑みを浮かべ、曽根崎さんを見た。
「……改めて聞くが、私がどのような行いをしてきていたとしても、君は守ってくれるね?」
「そう言いました」
「……」
曽根崎さんが軽く答えるのを確認すると、佐谷田さんの纏う空気が変わった。
「……私はある日、目を患ったホームレスの男を見つけた」
その時のことを思い出しているのか、どろんとした眼差しで彼は言う。
「ちょうどその頃の私は、研究も順調で、まさに人生の最盛期を迎えていたと言っても過言ではなかった。しかし、成功すればするほど、私はある一つの考えに取り憑かれるようになった」
「なんです?」
「……バケモノだよ」
「はい?」
「この細胞を使って、とんでもないバケモノを造りたいと考えるようになったんだ」
その考えが、前述のホームレスとどう繋がるのか。
嫌な予感に、背筋が寒くなる。
「まさか」
「そのまさかだよ、景清君」
突然名前を呼ばれ、ビクリとする。曽根崎さんが連呼してたので、覚えられていても仕方ないのだが、この人に呼ばれるのはひどく嫌悪感があった。
そんな僕の様子を全く意に介さず、彼は恍惚の色を浮かべる。
「私は、治療をする名目でホームレスを秘密裏に研究所に招き入れた。もちろん、目を治そうなどとは考えていない。全身に麻酔をかけ、生存できるギリギリの組織を残して、あとは全て切除した」
「そんな……」
「そして、そこに次々と細胞を移植していった。いやあ、直接脳内を見せられないのが残念だ。今でも、その光景を思い出すとゾクゾクするよ」
うっとりとした表情で語る佐谷田さんの変貌に、それでも落ち着いた声色で曽根崎さんは尋ねた。
「……つまり、一からそれぞれの組織を作り出そうとしたということですか?」
その言葉に、突如、佐谷田さんはソファーを飛び出して興奮気味に顔面を近づけた。
「君は、一から組織を綺麗に作り直して出来上がった人間をバケモノと呼ぶのか!? そんなわけない、そんなわけないだろう!」
「じゃあどうしたんです」
ネクタイを締め上げられた曽根崎さんは苦しそうにしながらも、佐谷田さんを睨みつけた。
しかし佐谷田さんは、彼の耳元で殆ど正気を失ったように喚き散らす。
「決まってるだろう! 指だ。髪の毛一本から肺や胃袋、手足に至るまで、全て小指で代用してやったんだ! ちゃーんと生きていけるように、丁寧に機能もつけてやった! 小指で考えて、小指から食べて、小指で消化して、小指から排便ができるようにな! どうだ、人間としてこれ以上おぞましいことがあるか!」
頭がおかしい。こいつの頭は、おかしい。あまりの真実に立っていられず、ソファーにもたれかかったが、僕の脳は一刻も早くここを出て行けと警鐘を鳴らしていた。
いや、僕が逃げるだけじゃだめだ。曽根崎さんも連れていかねば。
「曽根崎さん!」
曽根崎さんは、迫り寄る佐谷田さんを跳ね除けようと、彼の肩を足で突っ張っていた。慌てて、後ろから佐谷田さんを引き剥がそうとするが、強い力で押し負けそうになる。
見た目の割に、どこにそんな力が。ええい、クソッ。
「どけ!!」
助走をつけ、佐谷田さんに横から飛び蹴りをぶちかます。ようやく曽根崎さんは解放され、咳き込みながらも僕にクレームをつけてきた。
「遅いぞ、景清君。小指倒す前に死ぬかと思った」
「悠長にしてる場合ですか! 逃げますよ!」
「待て待て。君はさっきのしょうもない自分語りを聞いただけで帰るつもりか? 弱点をまだ聞いてない」
「弱点なんてあるんですか!?」
「聞かなきゃわからん。おい、起きろ殺人犯。景清キックで気絶するのはいいが、私らに弱点を教えろ」
「ぐ……」
佐谷田さんが倒れているのは、僕のキックだけではなく、先ほどの狂気の後遺症もあるのかもしれない。彼は倒れ伏したままで、片手を持ち上げる。
「……資料が、机の引き出しの一番奥に入っている。弱点と言い切れるかは別だが……」
「景清君」
「はい」
すかさず机の元へ行き、漁る。やがて、上から二段目の引き出しの中の奥に、“ バケモノ ”と表紙に手書きで書かれた何ともあからさまな資料を発見した。
「これですかね」
「貸してくれ」
「こっちで読んでみますよ」
「やめた方がいいぞ」
――その忠告を、しっかり聞いておくべきだった。何気なくパラパラめくっただけで、おびただしい量の情報が目に飛び込んできたからだ。
ホームレスの顔、手術の手順、細胞の形、無数の小指に覆われた歪な球体――。それらは、紛れもなく、佐谷田さんが語った内容が救いがたいほど事実である事を、僕に突きつけてきた。
吐き気がこみ上げる。
「大丈夫か?」
いつの間にやら側に来ていた曽根崎さんが、怒っているような顔で僕を覗き込んできた。心配してくれているのだと思う。多分。
「……大丈夫です。これ、確かに小指の資料です」
「わかった。佐谷田さん、こちらお借りしていきます」
「好きにしろ」
佐谷田さんは、すっかり元の調子に戻っている。……いや、少し萎んだかな。
彼はソファーに座りなおすと、深く息を吸い込んで、言った。
「……そこの資料に載せていない事実を、一つ伝えておかねばならない」
「なんですか」
まだ何かあるのか。もういい加減、お腹いっぱいなのに。
資料を携えドアの前に立つ僕らに、彼は気味の悪い笑みを浮かべた。
「あれの正体は、人間だと言ったな」
「はい」
「あくまで、私の実験がうまくいっていればの話だがね」
目の焦点が合っていない。こちらを見ているのに、決して合わない視線に耐えきれず、僕は俯いた。
佐谷田さんは、虚ろな、だけどどこか楽しそうな声で言葉を紡ぐ。
「あれには、ホームレスだった頃の記憶と知能が残っている」
――なんて、残酷なことを。
恐怖より勝った怒りで全身総毛立ったが、何か言うより先に曽根崎さんが僕の肩を叩き、首を横に振った。僕はぐっと堪え、腹いせに思い切りドアを閉めて出て行く。
既に明かりの落ちた廊下が、やけに冷たく感じた。
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