遠い夏の残火

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 覚悟というものは役に立たない事が多い。それが必要だと思われる物事ほど、大抵予測を超えた衝撃に見舞われるからだ。 「遠いところから、わざわざありがとうね」  そう言ったおばさんの体は、少なくとも私が残酷だと感じる程度には、二十余年という年月の影響を受けていた。  白くなった髪。垂れ下がった皮膚。野良仕事で健康的な色をしていた肌は不穏な青みを帯び、体は胸をざわつかせるくらいに小さい。 「いえ。こちらこそ葬儀には顔を出せなくて」 「いいのよ、そんな事は。それにしても大きくなったわね、(しょう)君。もう二十年以上になるんだものね」 「ええ。もう立派なおじさんですよ。翔君なんて呼ばれたのも、いつぶりの事か」  小さく笑ってみせると、畳と線香の匂いが鼻に届いた。随分と久しぶりに嗅ぐ匂いだ。  おばさんの変化に比べ、安曇野の家はあの頃と殆んど変わっていなかった。擦ると粉が落ちる砂壁。黒ずんだ木の柱に、高い天井。長押に飾られている先祖の肖像を当時は少し気味悪く思っていた事を思い出すと、たったひと夏過ごしただけだというのに、強いノスタルジーを感じた。 「全く。親より先に逝くなんてね」  涼子ちゃんの死因は肺癌だったそうだ。父親であるおじさんが二年前に他界した理由も同じだったと聞いた。  二年の間に家族を全て失ったおばさんの寂しさは、想像に余りあるものだろう。 「きっと涼子も喜んでいると思うわ。あの子、翔君と仲良かったから」  涙を浮かべたおばさんの視線を追うように、私は正面に目を向ける。仏壇の上の遺影は、三年程前に撮られたものだそうだ。  あの頃の面影を残したまま大人になった彼女が、こちらへ笑顔を向けている。
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