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次の日、その家の人が消えた。 朝起きて村人たちが確認すると、もぬけの殻だったらしく。
この村ではよくあることだと、皆が見て見ぬふりをして過ごすのが当たり前になっている。
「酷ぇもんだ。なんにも無い家だったのに、更に無くなっちまった」
奪えるものは、なんでも奪われた。 全ては姿も知らない人のために、噂ではこっそりと銭をくすねている役人や武士もいるらしく。
誰も信用できない、今日も村人たちは永遠とひび割れた地を耕し、天を見上げては雨雲一つとしてない空にため息を漏らしている。
弥彦は朝の水くみを終え、家に戻ると山へその日の食事を探しに行こうと思ったが、今日に限って母の咳が聞こえてこない。
心配に思った彼は、ガタガタと音をたてて母の様子を見に行く。
「母、大丈夫か?」
「……」
「母?」
急いで駆けより、抱きかかえると体は冷たく、息をしていない。
一瞬で頭の中が真っ白になり、慌てて村中に医者の有無を聞くが、彼自身が一番理解している。
そう、この村には医者と呼ばれる人などはいない。 あるのは、無常にもただ「抗う」ことを諦めている空気だけだった。
「母! 母!」
細く、弱々しい腕を額へつけ微かな温もりを感じようとした。
『弥彦は私の宝よ』 耳の奥で、母の声が聞こえる。 自然と溢れる涙は乾いた彼女の皮膚へどこまでも染み渡っていく。
騒ぎを聞きつけた村人たちが野次馬のように集まってくる。 人が死ぬのは珍しくも無い、しかし、弥彦の母と父はこの村の希望であった。
一人朝から晩まで働き、水路をつくり生産性を向上させた父と、いつも明るく人柄のよい母に、村人たちは信頼をおいてた。
その息子もしかり、父の血を受け継ぎ良く働き賢く、母のような人柄は誰にでも愛された。
少し変わってはいるが、それを考慮しても、この家族はこの村の希望としてしっかりと灯っている。
しかし、その灯が薄らいだ。 残るのはもう一つのただ淡く細々と揺らめく希望だけになる。
「や、弥彦」
誰しもが声をかけずらい状況になっているが、意外にも一番最初に動いたのは弥彦本人だった。
まだ枯れぬ涙を無理やり拭い、軽い母の体を持ち上げ、外へと出ていく。
「母――今日も太陽が元気だぁ」
その声に周りで涙を漏らす人が現れた。 また一人、もう一人と。 ある人は鍬を持ち、ある人は粗末な服を弥彦の母へ賜った。
土と草でボロボロになった手が、彼女の頬を撫でる。 なんとも安らかな顔であるのか。
一番愛した人に抱かれ、まるで微笑んでいるかのようだ。
そのとき、後ろからカチャカチャと甲冑独特の音が聞こえてくる。
「おやおや⁉ 今日は景気が良いのかお祭りでもあるのか?」
この地域を管理している役人で名を屋派 丸人が、扇子を片手に配下の武者を三人引き連れ、太った体で馬上からこちらを見つめてきた。
「これこれ! 皆モノ! 丸人様の御成りであるぞ! 道を開けい!」
怪しげな笑顔で刀に手を伸ばし、こちらに向かって威圧を飛ばしてくる。
「よいよい、今日は祭りのようで、そのような無粋な行動はするでない。 して? 祭りというには随分と辛気臭いのぉ」
ワザとらしく、大きく鼻を動かしながら周囲の匂いを嗅いでいく。
「うむ! 臭い、臭う臭うぞ! なんぞ、この臭いは⁉」
すると、周囲の武者たちは一斉に笑い出し、丸人も笑い出した。
「むむ! その方が持っているモノは、よもや腐った肉ではないか⁉ やや! これは臭い! たまらぬ、皆に迷惑をかけるでない、あぁ臭い、これは我慢ならん」
どっと、弥彦含め村人たちに怒りの感情が沸き上がってくる。
「これはいかんなぁ……立派な罪じゃ、しかし、今ここで税を払うならば、この悪臭の件を無かったことにしてやるぞ」
扇子をパチンと閉じ、悪戯な表情をこちらに向けてきた。
「税って! 人が死んだんですよ! それにいったいどんな税がかかるというんですか⁉」
弥彦はたまらず声を荒げる。 それを聞いて、笑っていた武者たちは一気に戦闘態勢へ入った。
「ふむ、食い扶持が一人減ったのだろう? ならば、その分浮いたモノがあるであろう、それを徴収するまでよ。 人一人が生きていくには一人分あれば、十分であろう」
「ふ、ふざけるな!」
一気にざわめき立つ、村人たちは無言で丸人の一団をぐるりと囲んだ。
「お前らが、お前らがいるおかげで、皆死んでいく! お前らは人を救わない、ただ殺すだけだ」
空気が揺らめく、まるではるか遠くにある蜃気楼が近づいてきたかのように、熱い空気が揺らいだ。
「こ、この虫ふぜいが! まともに会話もできないのか⁉ ならばこの場で死ね! 全員死ね!」
頭に血が上った丸人は、配下の武者にこの場にいる人全員の始末を命じたが、武者たちは刀を抜けなかった。
「なにをやっておる⁉」
「丸人様!」
先頭の男が辺りを指さすと、そこにはいつの間にか集まっていた村人たちがいた。
各々が鍬や鎌をもち、竹を切った槍を持つ者までいる。
「な、なんだお前たち! この私に歯向かうのか? えぇい! 殺せ!」
「し、しかし! このままではこちらが不利です」
「ぐぬぬぬぬぬ! 絶対許さない、お前ら絶対許さぬからな!」
馬の腹を乱暴に蹴りつけると、元来た道を帰っていく、その後ろ姿に石を投げようとした子どもがいたが、親に止められている。
緊張が無くなり、武器を降ろすと駆け寄ってくる村人たちは、弥彦の前で止まると一礼し、彼女へむけて感謝を述べた。
「みんな……」
ことの重大さに全員が気が付いているが、それを言い出す人はだれもいない。
午後には土が掘られ、丁寧に埋葬が行われ村長が感謝の言葉を述べる。 そこまでされる人であった彼の母は、きっと喜んでいるであろう。
愛する息子を守るために、村人たちは武器を手にしたのだ。
「さて、一度掴んだ武器は二度と離せない、言っている意味はわかるな?」
その場にいた全員が沈黙という返事を返し、大きなため息をついた村長は枯れた田んぼに向かって呟く。
「みよ、この荒れた田畑を……。 毎日どこかで尊い命が消え、力あるモノは賊になってしまう。 それが今の世の中だ。」
腰を下ろし、掴んだ土には形を留めることなく砂に変わっていく。
「明日を生き抜く保証は、この砂の粒ほどない、儚い命に日々を費やすのならば、いっそのこと大きく散らしてみようとは、常日頃考えていた。 しかし、私には無理だ。 知恵も体力もない」
村長は弥彦の近くへいくと、優しく彼の肩を叩いた。
「どうか、皆を導いてくれ、どうせ死ぬ命だ。 ならば、ここにいる皆が華々しく散りたいと願っている。 どうか、頼む」
「そ、そんな! オラの責任でこうなったのに、皆を巻き込むわけにはいかねぇ!」
「わかっとらんな、もう限界なのだよ。 この村は、黙っていれば来年には塵一つ残さず滅びる運命にある。 誰も弥彦の責任と思っておらんよ。 ただ、切っ掛けが欲しかっただけだ。 母には申し訳ないが、大切な息子を酷な世界へと我々は誘っている」
弥彦は辺りを見渡した。 今まで頼りなかった村人たちの顔はなぜか生き生きとしており、男だけでなく女も子どもも全てが輝いている。
「お、オラでいいのか?」
「弥彦だから任せるのだよ」
村長は、村に一つしかない刀を彼に差し出した。 今まで役人の目に入らないようにしてきたが、ついに日の目をみることとなった。
それを振るえる手が受け取った瞬間、辺りは歓喜に包まれ、皆が手を取り合って声をあげた。
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