2

1/1
1人が本棚に入れています
本棚に追加
/4ページ

2

ツ、と胸に硬い物が触れ、彼は視線を向ける事なく口元に笑みを浮かべた。感触で分かる、胸に突きつけられたのは、拳銃だ。人に押された瞬間、鞄から取り出していたのだろう、彼女の服や腰にはそれらしき物は無かった。 「私の事、知ってたんでしょ?どうして恋人なんかになったの?からかってたの?私の反応見るのが楽しかった?」 彼女は問いながらも、顔を上げようとしない。 「まさか、僕は遊び半分で女性と付き合ったりしない、僕を信じられない?」 「あなたがしてきた事、自分の胸に手をあてて聞いてみたら?」 「…僕は確かに君の敵かもしれない、だけど、いつだって君の前では君しか見えない、ただの男だ」 彼女は顔を上げた。必死に涙を零さないよう唇を噛み締めていたが、堪えきれず再び目を伏せる。 「…愛してる」 彼に耳元で囁かれた直後、彼女は一度ぎゅっと目を閉じ、思いを振り切るように顔を上げた。 これでもう、僕達は後戻り出来ない。 五分が過ぎた、時刻は二十時丁度。花火が上がる、君と別れる、タイムリミットだ。 「黙りなさい!あなたを逮捕する!怪盗ジョセフ・ルー!」 ここからは、怪盗ジョセフ・ルーと、刑事、乙宮花だ。 ドン、と打ち上がった大きな花火が、花の顔を照らした。その瞳は、川を背に欄干の上に立つ男を睨み付け、銃口を向けている。 花の叫び声に、周囲は慌ただしく動き、川の向こうで次々と花火が打ち上がる。 ドン、ドン、と花火の音に混じり、本物の怪盗だ、持ち場につけ、と、橋の上には大勢の足音が詰めかけてくる。愛を誓い合うカップル達は一般市民の皮を脱ぎ、あっという間に警察官達に早変わり。橋の上は、完全に警察に包囲されていた。 「残念だ、いや、君と僕はこっちの方がお似合いかな」 男を見上げると、先程と随分印象が変わっていた。 打ち上がる花火が、その姿を映し出す。 髪を掻き上げ、勝ち気な表情を浮かべている。温和な雰囲気を彼には感じない、堂々とした逃げも隠れもしないその態度、それを見せつけるだけで、もう別人のようだ。きっと、先程までの彼と街ですれ違っても、この男と同一人物だとは皆思わないだろう。 どれ程の人間が、彼の素性を知っているだろうか、彼があの有名な大泥棒の血を引いている事を。メイクと演技で人の印象を操作し別人になりきるのは、彼の先祖も得意としていたが、今では彼の専売特許だ。 その頬には、先程までは無かった大きな傷がある。隠していたのか、それとも怪盗になる為の変装か。だが、間違いなくその大きな傷は、怪盗ジョセフの証。 彼はもう、彼女の隣に居た彼ではない。彼女の知る彼は、ここに居ない。 花は、銃を持ち直す。 「今すぐそこから下りなさい!撃つわよ!」 彼はひらりと両手を上げ、肩を竦めた。 「逮捕されると分かって、出来るわけないだろ」 「…私のこと、愛してるって言ったのは嘘なの?」 「嘘なもんか、嘘なら僕は今ここに居ない」 ふと微笑まれ、花は思わず瞳を揺らした。ジョセフが見せたのは、花が好きな彼の微笑みだったからだ。 そしてそれが少し寂しげに揺らぐと、その言葉に詰め込まれた彼の思いに触れた気がして、花はそれ以上言葉が重ねられなかった。 彼女は気づいた。彼はきっと、自分が狙われていると分かってここへ来た事、それが、花の為だという事を。 「…私を、騙したくせに」 「君だって、刑事だとは言わなかったよ」 「…それは、」 警察だなんて言ったら、引かれると思ったからだ。いや、今はそんな話をしている場合ではない。キラ、と花の目に光が当たり、サーチライトが空を照らす。橋の下、川の上の警察官達も準備が整ったようだ。 揺らぐ心を叱咤し、花はジョセフと向き合う。今の自分は、怪盗を追う刑事だと、言い聞かせて。 「…そんな事より、随分余裕があるみたいだけど、もっとよく考えた方が良いんじゃない?橋の下には仲間達がいる、お得意の空に逃げようにも、今日は持ち合わせていないでしょ?」 先程、彼に抱きつきながら確かめていた、空を飛べるようなそれらしい持ち物は、彼は持ち合わせていない筈だ。それに、と、花はベルトのバックルのような物を取り出した。 「あなたの命綱はここにある。川へ飛び込めば蜂の巣、この橋の上をあちこち飛び回ろうとも道具は私が持ってる」 ベルトのバックルに見えるが、中には強靭なワイヤーが仕込んであり、高い場所を往き来する為に必要な道具だ。あれも抱きついた時に花がくすねたのだろう、あれがあれば、さながらスパイダーマンの如く橋の上を移動出来たかもしれないが。
/4ページ

最初のコメントを投稿しよう!