15.彼は、添い寝をご所望らしい

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15.彼は、添い寝をご所望らしい

 離れたいのに手首を掴まれて、離れられない。  どうしていいのか分からず、理子は眉尻を下げて魔王の手を見詰めた。  至近距離に美貌の魔王がいるという、特殊な罰ゲームのような状況になるべく魔王の顔を見ないようにする。  俯けば綺麗なお顔を見ない代わりに、少しはだけた胸元が視界に入ってしまい堪らず理子は瞼を閉じた。  距離が近付いたせいで気付いてしまった。  魔王が纏う香りは、理子の髪から仄かに香るジャスミンの香りと同じだったのだ。 (これって、彼氏宅にお泊まりして同じシャンプーを使って同じ匂いになった、的な状況? 魔王が彼氏とか、想像するだけ無理無理! 色気に負けて吐くか鼻血を出してしまう。それ以前に彼は人外!)  学生時代の苦い思い出、付き合った彼氏に二股された挙げ句こっぴどく振られた嫌な記憶から、理子は男性に対して必要以上に構えてしまうのだ。  その嫌な記憶もあり、魔王に近付かれるのはトキメキもりも戸惑いの方が強い。  内心、汗だくになった理子は目尻に涙を溜めて「手……」と蚊の鳴くような声で呟き、覚悟を決めて魔王を見上げた。 「リコ」  うっすら涙を浮かべている事に気付いた魔王は、掴んでいた手首を離す。と、同時にふんわりと理子の両肩を紫紺の肌触りの良いストールが包み込む。 「そのままでは風邪をひく」  目を見張る理子の胸元で、魔王の白く長い指がストールの両端を器用に結ぶ。  肩に巻き付けられたストールは、カシミヤ素材に似た柔らかな肌触りとあたたかさで、理子は魔王の結んでくれたストールの結び目を軽く握った。 「魔王様、ありがとう」  はにかみながら礼を伝えれば、魔王が僅かに目を見開いた気がした。  気がしたのは、直ぐに魔王が視線を横へと逸らしたからだ。 「リコ……そろそろ寝るぞ」 「帰してくれるの?」  突然、寝ると言い出した魔王へキョトンと聞き返す。  以前、帰れるかは分からないと話していたのにあっさりと帰してもらえるのかと、そわそわしている理子を見下ろした魔王は怪訝そうに眉を寄せる。 「何故、今すぐ帰る必要がある? 共に眠ればよかろう」 「はっ?」  口角を上げた魔王は爆弾を落とし、たっぷり十数秒は理子の思考は停止した。 「えーっと、私に魔王様と一緒のベッドで寝ろと?それとも床で? 椅子で?」  今すぐ帰してもらえないのは残念だ。  ベッドには主人が寝るべきだから、理子は床か、椅子か迷っていた。  出来たら椅子より床がいい。毛足の長いふかふかの絨毯なら、気持ち良く寝られそうだ。 「リコは床や椅子で寝たいのか?ベッドで寝るのに、何か問題でもあるのか?」  問題有りまくりだ。魔族は、魔王は人と感性や一般常識とやらが人とは違うのか。 「いや、いくら何でも、男女が同じベッドで寝るのは、色々と問題があると思いますよ。少なくとも私の世界では」 「成る程。だが、心配は不要だ。共に寝たとしても、我はリコに手は出さぬ。出せぬ、と言った方が正しいな。異世界の住人であるお前は魔力を持っていない。そのため我の魅了の魔力に惑わされることもなく、我と長時間向き合っていても正気でいられるようだが」 「そうなの?」  髪から発せられる燐光や、強烈な色香は彼の魔力のせいなのか。  魔王に魅了され無いでいる私は、魔力が無くて良かったのか。魔力が無い身としたら魔法が使えた方が便利だと思ってしまう。 「だが、この世界では身に宿る魔力は他の者の魔力から身を守る術でもある。魔力を持たぬリコと、我が体液の交換をしたらお前は死ぬ。ほとんど魔力を持っていない凡庸な人とならともかく、リコは魔族と交わったら確実に死ぬな」  手を出さないと宣言されて嬉しい筈なのに、理子は何故か激しく動揺する。  今後、何かの間違いで、魔力の強い相手に手を出されたら……命は無いということか。 「たっ、体液って。交わるって」 「交わらなくても、唾液の交換だけでも無理だな。つまり、我とは舌を絡ませるような」「わっ分かるから描写はいらない!」  綺麗な魔王が言うとやたら卑猥に聞こえて、理子は彼の台詞を途中で遮った。 「それに」  くくっ、と声を出して笑った魔王は、意味深な笑みを浮かべる。 「我は、女には不自由していない。強い魔力を持つ魔族の女とて、我と同等の魔力を有していなければ、魔王の、我の精を受け入れた途端、内側から魔力による崩壊をおこし死ぬ。中には死んでもよいから我に抱かれたい、と望んですがり付いてくる愚かな女もいるがな」 「愚かって、モテモテなんですね。っ、……魔王様?」  元々人外だけど、人でなしで女タラシな発言に呆れて魔王を睨んだ理子は、彼の瞳を見てハッと息をのんだ。  彼の赤い瞳には何の感情も表れて無く、暗くくすんだ硝子玉のような鈍い光を放っていたから。 「リコ、我はそれなりにお前と過ごす一時を気に入っている。時折、素直で頭の悪いふざけた言動に驚かされ苛立つこともあるが、下手な観劇を観ているよりお前を見ている方が余程面白い」 「何それ、面白いって私は珍獣ですか。一応、私は人なんですけど」  女として好ましいと思われてないのは、まぁいい。  よくあるファンタジートリップで魔王に気に入られて「嫁になれ」とか言われちゃうよりはずっといい。  でも、魔王の面白いって意味は、人として気に入られているのではなく、所謂愛玩動物に対するものじゃないかな。 「そうむくれるな。本心を隠して媚を売って近付いてくる者達や、我の魔力に魅了されて擦り寄ってくる鬱陶しい女達より、リコ、お前と話している方が気が休まる」  言っていることは不遜なものなのに、彼の瞳が寂しそうに揺れて見えて理子は「ううっ」と呻いてしまった。 「わかった……じゃ、じゃあ、私は端で寝るから魔王様は真ん中で、」  言い終わらないうちに、魔王の腕が理子の腰へと回される。 「ちょっ!?」  抱き寄せられたと理解した途端、体が浮いて視界が上向きになる。  凝った細工が施された高い天井と、至近距離から見下ろす魔王の顔。  横抱き、お姫様抱っこをされていると理解した理子は、ボンッと音をたてて耳まで真っ赤に染まった。 「抱き心地は、なかなか良いな」  固まる理子の耳元へ、唇を近付けて感想を述べる魔王は絶対面白がっている。  太股の下に回している腕がモゾモゾ動いて、魔王は手のひらで太股を撫でた。 「ひっ、撫でないで! 抱き心地って、プニプニしているってこと?」 「さて、どうだろうな」  お姫様抱っこでベッドまで運ばれた理子は、シーツの上を這って端まで逃げようとしたが、直ぐに魔王の腕の中に捕まってしまった。  逃げられないのなら、せめてもの抵抗として魔王に背を向けてやる。  フッと笑う気配と共に、理子の腰に腕が回された。  背中に当たる魔王の息遣いと、密着しているところから伝わってくる低めの体温。  同じく、理子の体温と緊張して早鐘を打つ心臓の鼓動は、魔王に伝わっていることだろう。 (まるで、抱き枕の気分だ)  誰かと、男の人と添い寝をするのは学生の時以来だ。  社会人になってからは仕事が忙しくて、気持ちに余裕が無くて彼氏はずっといない。  誰かにくっついて寝るのは恥ずかしいし、一人で眠る方が清々寝られると思う。  それは理子自室だったらの事。 (こんなに暗くて静かで広い部屋に広いベッドじゃ、一人で寝るのは怖いかもな……)  背中にくっついている魔王は、綺麗な外見と魅了の力で女性には不自由はしないと言っていたのに。  何故、理子を抱き締めて寝ているのか。  人肌が恋しいなら、わざわざ異世界から喚ばずとも適当な女性と寝ればいいのに。  壁の穴を通して聞こえた女性の悲鳴。  女性と閨を共にする度に求められるまま抱いて、抱いた相手は行為の後に死ぬ。  それは、魔王だから罪悪感はあまり無いかもしれないが、そんな行為を繰り返したら虚しくて苦痛にしかならないのではないか。  暗い光を宿した瞳の意味を分かった気がした。 (魔王さま、あなたは寂しかったの? だから私を喚んだ?)  ぐっすり眠ること以外、何も求めない相手を。……なんて、とても聞けない。  代わりに、腰に回された大きな手のひらにそっと触れてみる。  触れたら直ぐに、理子の手は大きな手のひらに包み込まれてしまった。  低い体温が心地好くて、重さを増してきた瞼を閉じる。  何時しか理子の意識は、心地好い眠りの淵へと沈んでいった。
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