プロローグ 58番目の王

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プロローグ 58番目の王

 大陸中央に位置するグレーデン王国。  その王宮の一室で驚くべき現象が起きていた。  謁見中の国王の足元に突如、緑色に発光する球体が現れたのだ。  それは余りに突飛で奇怪(きかい)で不可思議だった。  緑色の光は水面のように揺らめいて幻想的な美しさを醸し出していたけれど、状況の不気味さが先立ち見惚れる者は誰一人として居ない。  王の足元から50センチほど先に現れた球体は、見る者が瞬きをする度に僅かづつ大きさを変え、それと同期するように光度も少しづつ上がっていった。  この先どうなるのか、何が起こるのか誰も見えない。  息をするのも忘れる緊迫感の中で、その場の全員が成す術のないまま緑色の光に呑み込まれていった。 *  有事があれば、国王は真っ先に避難すべき存在のはずだった。  けれど今は安易に避難できない事情があった。  間の悪いことに謁見相手は最大の敵国バシュラールの使者だったのだ。  この出来事はもう秘匿できない。大陸中に知れ渡るだろう。  安全を考えて避難した場合、この事態を前にグレーデン国の王や側近、兵士達もみっともなく騒いで逃げ出したと吹聴される可能性は充分にあった。  国の威信に関わる。下手な行動で侮られる訳にはいかない。  だからグレーデン王は威厳を損ねないことを自分の命より優先した。  馬鹿な選択とは一概には言えない。生き恥を晒して生きるより名誉ある死を得た方が良い場合もある。  万が一死んでしまっても王位を継ぐべきものは決まっている。もしも、生き恥を晒す事態になった場合は、その恥は本人が王座を降りたあとも負の遺産となり国民や子孫を苦しめるかもしれなかった。  例え近衛兵が怯えて去ったとしても、少なくとも自分だけはとグレーデン王は意地を通して、恐怖を押し殺して耐えることを選んだ。  側近達がその場から離れるよう必死に告げても鬱陶しげに手を降って追いやり、頑なに豪胆な王に見えるよう振る舞った。  光で目がやられない為に薄目を開けたまま何でも無い風を装った甲斐があり、王座に腰掛けたグレーデン王が顔色一つ変えずに眼下の光る球体を眺める様は中々見栄えがした。  この頑固な君主の考えが手にとるように分かった元側近の宰相は、避難させることを早々に諦めて精鋭達を王のすぐ近くに固める手配をした。  こうなったら可哀相だが何かあった時、彼らは肉の盾となる運命を辿る。  王も宰相もこの局面でどうするのか意志を見せたが、近衛兵達は誰一人逃げずに既に自分たちの仕事をしていた。  元々謁見の間に控えていた兵士達は、緑色に光る球体が現れてすぐに王の視界を遮らないように気をつけながら、その周りを囲んでいた。  まずは眩しさに耐えながら剣や槍で突いてみた。剣先や穂先(ほさき)が突き刺さる気配は微塵もない。  次にこわごわ手で持って移動を試みるも根が生えたように動かなかった。  せめてマントで光を遮ろうかと考えている間にも球体はどんどん大きくなり大人の男が二人で抱えられる程に変化する。  恐らくそれが最大だったのだろう。それから光度が徐々に下がっていったので、様子が見れる方が安全だと布類で隠す案は取り下げられた。  球体の光度が下がるにつれて透明度は上がっていき中の様子が覗えた。  それは、厚手の長い布に覆われている何かだった。  球体の輪郭がうっすら見える程度になり、その布が鼠色だと気付く頃、光は完全に消えた。  光の球体が王の足元に湧いてから、ここまでの間は体感的に何十分も経過していたように思われた。だが実際は三分程度。ほんの短い時間に起こった事だった。  その場にいる全員が息を殺しているとき、布に埋もれていた不審物は声を発した。 「――貴方様(あなたさま)は王か」  変声期の最中(さなか)にある少年のような声だった。  周りを取り囲んでいた兵士たちが驚いて一歩下がる。  この物体が生き物だった上に人語を話し、さらに自分に声を掛けてくると誰が思うだろう。グレーデン王は一瞬怯んだが、幸いにも表情に出さずに済んだ。  グレーデン王は可能な限り声に威厳が出るよう祈りながら、この不気味な登場の仕方をした未確認生物への問いに答えた。 「如何(いか)にもそうだが、お前は何者だ」  質問への回答を得たことで、恐らく頭だろう部分が僅かに下がったように見えた。しかし、それも一瞬のこと。すぐに上部が元の位置まで動く。  布に隠れた場所から、高くも低くもなく、大きすぎも小さすぎもしない、人の耳に障らない声で返答があった。 「わたくしに直答(じきとう)をお許しくださり、自己紹介の機会もいただけるのですか?」  グレーデン王は余裕があるように見えるだろうかと意識しながら、王座の肘掛けにだるそうに肘をつく。 「ああ、許す」  布の塊は一段低く位置を変えて、すぐに元に戻った。  不気味な動きに見えたがどうやら頭を下げたようだ。  その証拠にこの生き物はグレーデン王に礼を言った。 「ありがとう存じます。でしたら、この位置取りでは余りにも無礼かと。よろしければ、段を下がることも併せてお許しいただけますでしょうか」  (へりくだ)って話しているが声に媚びはない。この滑らかな会話で、この生き物が知性を持っていて節度もあると窺い知れた。  好戦的な態度に出られたらどうしようかと内心怯えていたグレーデン王は、相手が知的生命体で、なおかつ低姿勢であることに安心しながら、敵国の使者の手前、尊大に鼻で笑って許可を出す。 「礼儀を弁えているようだな。いいだろう。許す」  また布に覆われている頭らしいところが少し沈む。 「寛大なお言葉、痛み入ります。出来ましたら、わたくしの周りで警戒体勢を取られている兵士の方たちに下がるようご命令いただけると……」  前が見えないほど布が掛かっているというのに兵士たちが周囲に居ると分かっていることが驚きだった。  その驚きをおくびにも出さずにグレーデン王は手を左から右に動かして兵士に合図した。 「お前たち下がれ」  兵士たちは言われるまま指示に従うのは危険ではないかと躊躇いを見せたが、思いの外グレーデン王の眼差しが厳しかったので、指示に従って五歩ほど後ろに下がった。  その分、王座の両隣に立っていた護衛兵士が前に出て三歩、王に近寄った。  大勢が自分の傍から離れる音が聞こえ、その音が収まりきるのを待った鼠色の布を纏った生き物はグレーデン王に礼を言った。 「有り難き――」  布の塊から縦長のものが生えた。実際は生えた訳ではなく長い袖があるのが見えなかっただけだったのだが。  その腕らしいものは左前で止まり、また頭を下げたように布の位置が下る。まるで左胸に軽く握った右拳を当てて頭を下げたような動作だった。  その生き物が礼を言い終えると、しゃがんだまま後ろにずり下がり始めた。  もしも、これが油断を誘う振りだったとして、急に王に襲いかかったとしても傍に居る護衛兵士が充分な余裕をもって切って捨てられるだろう距離までこの生き物は下がる。  続いて、兵士たちに無駄な緊張を与えないように配慮した動きでゆったりと立ち上がった。  立ち上がってみれば、布の塊はマントだった。声質から予想していたとおり背は高くない。鼠色のマントは意外にも生地も仕立ても相当良かった。ただし、不格好なまでに長く、何故か二、三〇センチ程も引きずっている。  慣れているのか、裾を上手く捌きながら赤い絨毯の引いてある短い階段をゆっくりと降りていく。段に足を踏み出すたび、体の大きさに見合わない大きな黒革のブーツの足先が覗いた。  顔と体を布が多すぎて隠している部分が怪しすぎるし、体長と比較して足が大きすぎる。  だが少なくとも手足があり頭がある。立って動いて初めてこの生物が人型である可能性の高いことに誰しもが気付いた。もちろんマントを取ったら驚くべき容姿をしているかもしれない。それでも身体的に自分たちとの類似点を見つけて、この場にいる全ての人間が僅かに安堵する。  突如現れた鼠色マントの不審人物は、謁見に差し支えない距離まで来ると、正面に向き直って片膝を付いた。  長い右袖の中に隠れているであろう右手でおもむろに左の袖口を押し上げる。左袖口からは中身に合わない大きな革の手袋が現れた。手袋と捲くった袖の間に緑色の石で出来た腕輪が覗く。その腕輪を王に見せるように腕を持ち上げた。  それまでの一連の動作は、儀式のように作法に則って行われているように見えた。 「王よ。わたくしは、この世界の者ではございません。この腕輪に導かれて世界を越えて王の元へ赴く旅人なのです」  その声は、謁見の間全体に響き渡った。少し勘の良い者なら、それだけで人前で話し慣れているのを感じただろう。 「なんと!」  これにいち早く反応したのは、この生物の立つ場所から左壁側に避難していた敵国バシュラールの使者だった。  国王に鋭い目を向けられたことで使者は右手で口を抑えて沈黙する。  彼はグレーデン王の足元に緑色の光の球体が生じるという奇怪な現象が起きて、その光の玉から人が現れたところまで立ち会ったので、なんとしても全てを(つぶさ)に記憶して自国の王に報告せねばならなかった。  特にこの怪しい生き物がバシュラール王の元に現れなかったのは、吉なのか凶なのかを使者は気にしていた。もしも大陸内の軍事均衡を変えてしまう存在なら、早急に手を打たなければならない。  自称旅人は声のした方に反応して少しだけ頭を動かしたようだった。  それ以上、話す気配がないと分かると頭の位置を元に戻すような動きを見せながら話を続ける。 「役目を終えると、この身は別の世界の新たな王の元へと旅立つ――。このような旅をこれまで幾度も繰り返して参りました」  グレーデン王が口を挟む前に旅人は言葉を繋いだ。 「そんなわたくしのことを人々はこう呼びます――」  丁度良く間を取るので、グレーデン王を含めた広間に居る全ての人間は、次にどんな言葉が続くのか前のめりになりながら息を呑んで待つ。 「――不審者」  溜めが合ったあとボソリと呟かれたのは、この人物を表すのに過不足のない言葉だった。緊張の後の緩和。くすりと笑いが起こる。  場を冷静に見ていた僅かな者たちは、笑いを取る為にわざと言ったのではと疑った。笑いが起こって、それが収まる寸前を見計らったように自称不審な旅人は流れるように言葉を繋いだからだった。 「または、物知らぬ者、奇異なる者、歌うたい、詩人、あるいは賢者と――」  まるで脚本を読み込んだ演技達者な役者が舞台で台詞を言っているようだった。発声もその抑揚の付け方も。  広間に居る者たちは、自分たちが今、劇場で舞台を観ているのではないかと一瞬、錯覚してしまった程だった。  場慣れした(さま)が油断ならないと感じた者も居たが、それもまた少数だった。 「と、まあ。これは人々が、わたくしを形容した言葉のほんの一部。世に存在するものは人の認識により形を変えるものです。またその役割も。王よ。そうは思われませんか」  腕輪を見せるために押さえてた袖は元に戻された。  ついでに垂れ下がる程の長い両袖は手慣れた手付きで五回に分けて捲られる。  グレーデン王は、この人物を用心深く見ていた者の一人だった。  話を誘導され、自分に話が戻されていることに少し腹立たしい思いをしていた。それでもこの段階ではこの人物がこの国にとって有益なのか無益なのか、または有害なのか無害なのかを判断することは出来ない。暫く手元で観察するしかない。  本当は危険生物として拘束して牢に入れ、学者を呼び寄せて調べ上げたい。拷問して洗いざらい吐かせたら扱いとしては簡単だろう。だが、一度でも理不尽な扱いをしてしまえば、脅しても傷つけても国に益を齎すように行動はしないだろう予感がした。そして、グレーデン王のこの手の予感は大抵当たる。 「ふん。わたしの認識でお前の使い方を決めろと言いたいのか。(さか)しい奴め」  グレーデン王が文句を言うと、フードの中から声無く笑う気配がある。 「恐れ入ります」  不満げに鼻を鳴らしたあと、グレーデン王は、ちらりと宰相に目をやった。  宰相は神妙な顔で何かを促すように頷く。  何を言いたいのかは分かる。  安全のためグレーデン王は、この者から言質を取る必要がどうしてもあった。  グレーデン国は異世界から来た危険生物を囲っていて、その力でもって他国を蹂躙しようと画策している――  なんてことを敵国の使者に吹聴されては幾つもの国が共謀して攻めてくる可能性があるからだった。 「大事なことだから念のために確認するが、お前は我が国グレーデンを含むこの世界を害するつもりはないのだな?」  旅人は肯定するために頭を深く下げた。 「はい。勿論でございます。元よりわたくしにそのような大それた力はございません」  これは口だけではないだろう。今のところ敵対する意思はないとグレーデン王は判断した。兵士たちも恐らくそう思ったのだろうか、少し室内に漂う緊迫感が和らいだように思えた。 「おかしな行動を取ったら、この世界の安全のため、お前の命を奪わねばならん」  旅人は了承のため、頭を深く下げる動作を繰り返す。 「はい。賢き王のご判断に従います」  拍子抜けするほどの従順さだった。逆に不審に思えてくる。  情報が少なすぎて今後痛くもない腹を探られる可能性を考えた。もう少しバシュラールの使者に情報を与えてもいいだろうとグレーデン王は思って異世界からの旅人に訊ねる。 「で、ときにお前は何度旅立ってきたのか」 「今回の旅で五十八回となります。――王よ。わたくしにとって貴方様(あなたさま)は五十八番目の王なのです」  声にならない小さな悲鳴が、またバシュラールの使者の口から聞こえる。  いい加減煩いし、鬱陶しい。グレーデン王の心情的には使者を控室に押し込んでしまいたかったが、もうこうなっては一段落するまで同席させるしかない。  五十八人。  この大陸にある国を統治している王を全て足して三倍にしても余りある数だった。王としての優劣を判じることが可能な数だといえた。  それに気付いたグレーデン王は、旅人の批判を恐れて、もう自分が滅多なことが言えないし出来ないと悟る。  バシュラールの使者が同席している場に現れたのだから存在を隠すことは出来ない。今後は他国からも使者が来て、この生き物の面会の申し込みに来るだろう。せいぜい待遇を良くして、この国と自分の評判を上げるのに一役買って貰わなければと打算的にグレーデン王の思考が動いた。 「そうか長旅ご苦労だったな。まあ、いい。我が国に歓迎しよう。して、あえて名乗らないのには意味があるのか?」  名を問われた旅人はゆっくり頷いた。 「――生憎(あいにく)、わたくしの生まれ育った世界で付けられた本当の名は、どの世界でも正しく聞こえず、発音も出来ないようなのです。こちらから名乗らぬ無礼をお許しくださいませ」 「どう聞こえるのか確認したい。名乗ってみろ」  命令すると、フードの中から何か聞き慣れない音がする。グレーデン王が首を捻ってみせると、もう一度同じ音がフードの中から聞こえた。 「――シャラ?」  グレーデン王は一部拾えた音だけを口に出してみた。 「……やはり正確にお耳には入らないようです。どうぞ、以降はシャラとお呼びいただければと存じます」 「そうか。ではシャラ、フードを取れ」  マント全体の大きさを考えれば不自然ではないが、フードは大きく顔全体を覆っていて不気味すぎた。驚くべき人外の容貌をしている可能性はあるが、グレーデン王は早く正体を見て安心したかったのだ。  シャラと名付けられた旅人は右手でフードを摘んで後ろに落とした。  息を呑む声も大勢だと部屋全体に響くものだが、シャラは慣れていてほんの僅かな動揺も見せなかった。  グレーデン王はマントの中身が人間であることに安堵していたが、完全に想定外だった点を指摘せずにはいられない。 「――お前、女か?」  丈が長すぎる鼠色の男物のマントを身に着けて、体に合わない大きな革のブーツを履いていたのは、肌の白い黒瞳、黒髪の若い女だった。  彼女が王の言葉を肯定するために頭を下げると、長く艶のある真っ直ぐな黒髪が一房するりと前に垂れ下がった。黒く長い睫毛を伏せて心持ち口の端をあげてシャラは答える。 「はい。おっしゃるとおり、わたくしは女です。それでは、お言葉に甘えさせていただき、暫くお世話になります」  シャラはマントの両脇をドレスに見立てて摘み、膝を折って優雅にお辞儀をしてみせた。  彼女の本当の名前は佐和。  異なる世界から望まぬ長い旅を経てここへやって来た。  これは佐和の転移先が終わらない物語。
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