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2
鈴は環に出会い、己の性的指向が何か知る前に男を覚えた。
だが一般的に同性同士の恋愛はマイノリティだとそれなりに理解はしたし、押しつけて困らせるくらいならこの会話を一切なかったことにしてほしかった。
「ただ……できれば午後からも、一緒にお仕事をさせていただけたら嬉しいです。気まずい思いはさせないように気をつけますので」
仕事を失うのは単純に困る、という理由もあるが、何より鈴はイル・ルオーゴで働く毎日が好きだった。
慶は根っから優しい男だ。鈴の気持ちが明らかになったとしても、糾弾したり突然追い出したりはしない。あとは鈴がしっかり距離を保てるかどうかにかかっている。
お願いします、と頭を下げると、向かいから唸り声とため息が聞こえてきた。
「困った人ですね」
「すみません……」
「ほんとですよ。俺、嬉しいって言いましたよ?」
「え?」
「忘れろなんて、ひどいと思いません? っていうか、……」
タイミング悪く、店主が豚玉とモダン焼き、それからシェア予定の焼きそばを二人の間の鉄板へ置きに来る。じゅうっといい音を立てて香ばしいソースの匂いが漂い、食欲をそそられるが、思った以上に豚玉が大きい。小サイズをオーダーしたはずなのだが、そもそもの基準が鈴と店主ではかなり違うようだ。
一旦口を閉じて鉄板を見つめていた鈴は、すっかり困り果てる。
「慶くん……僕、焼きそばはあんまり力になれないかもしれません」
「いーすよ。でも焼きそば好きでしょ。俺が豚玉手伝うんで、焼きそばもモダンも好きに食べちゃってください」
慶がいかに面倒見のいい男かはわかっているが、これでは手のかかる子どもと保護者だ。
鈴が眉を下げると、垂れ目も相まって頼りなさと儚さが増す。
「そこまでご迷惑をおかけするわけにはいきません……」
「んー、じゃあ……」
慶はテコで一口サイズに切ったモダン焼きへ息を吹きかけて冷まし、鈴の口元へ差し出してきた。
「同僚だとだめなことでも、彼氏だったら許されると思いません? どうぞ」
「あ、ええと、いただきます……?」
促されるまま、とりあえず差し出されたモダン焼きをぱくつく。咀嚼しながら、鈴はようやく慶の言葉を理解した。
「……え?」
瞬いて固まった鈴の唇を、慶の親指が拭う。
わずかにソースのついた指をぺろりと舐める仕草まですべて見てしまい、もはや声も出ない。
慶は鈴の反応にご満悦な様子で、切れ長の目元に甘さを漂わせた。
「すーさん、俺と付き合いましょっか」
追い打ちだ。
――付き合う? 僕と慶くんが? 報われないはずの初恋が叶う?
鈴の答えは決まっていた。
「っはい!」
頬を上気させての迷いない返事に、慶は上機嫌で声を上げて笑った。
座っているはずの鈴の身体は、数センチほど軽く浮き上がったような気がする。
だってこんな奇跡、突っぱねるはずがない。嬉しくて、嬉しくて、空腹もソースのいい匂いも、元気いっぱいな店主の声も遠い。
慶への大好き以外が、鈴の中で静まり返っていた。
「あの、あのっ、嬉しいです、ありがとうございます!」
そわそわと落ち着きを失った鈴を、慶は幸せそうに見つめている。
いつだって彼の眼差しは手がけるインテリアと同じくあたたかみにあふれているが、今はその視線に撫でられたところから身体がメープルシロップみたいに溶けていきそうだった。
「俺も嬉しいです。でもすーさん、ひとついいですか」
「なんでしょう?」
「俺と付き合うってことは、一生別れない前提になりますけど、いいです?」
駆け引きもひねりも、鈴は知らない。
慶の言うそれがどんな意味を含んでいるかは、彼のことを好きすぎる鈴にとって、あまりたいした問題ではなかった。
「はい、願ったり叶ったりです」
「冗談だって思ってます?」
「え、冗談なんですか?」
「んなわけないです。本気です」
「ですよね」
胸を押さえ、鈴はほっと息を吐く。
「慶くんはこんな悲しい冗談を言う人ではありませんもんね。不束者ですが、どうぞよろしくお願いします」
頭を下げ、へらりと笑う。
慶が交際を切り出してくれたのだから、彼がそれなりに男の鈴を好意的に捉えてくれているのはたしかだ。鈴はそれを疑わない。
――でも、一生は無理だろうなあ。
彼の今の気持ちは疑わないが、未来は不確定なものだ。
精一杯の努力は惜しまないが、鈴は自分の面白みのなさをよく知っている。その上で、慶の興味関心を一生惹きつけておけるとは到底思えなかった。
だけど、悲しくはない。
「こちらこそ、よろしくすーさん。いっぱいイチャイチャしましょうね」
一般的にいかついと言われる顔立ちに柔和な笑みを咲かせ、優しく頬に触れてくれる彼と恋人として過ごせるなら。
いずれ別れを切り出される日だって、大切な思い出になるだろうから。
*
――デートしましょっか。
慶がそう言いだしたのはお好み焼き店で交際が始まった日の夜、営業時間を終えたあとだった。
明音がレジ締め作業をしているかたわら、慶と鈴でモップがけをしていると何気ない調子で切り出されたのだ。
途端に明音がレジを放って騒ぎはじめ、事務所から下りてきた周防に叱られるまで鈴に頬ずりして祝福してくれたのだが、それはさておき。
(デートって、具体的に何をするんだろう……?)
誘ってもらえた嬉しさと同じくらい困惑した鈴は、それから定休日の今日までひたすら悩んだ。
おそらくそういった事柄に一番敏感になる思春期には、環によって鈴に入ってくる情報は管理されていた。
連絡用の携帯は渡されていたが、ネットの閲覧履歴なんかもこまめにチェックされていたし、情報源の大部分を占めるであろう友人も鈴にはいなかったのだ。
今は携帯も自由に使えるし、テレビや雑誌も見るようになったから、「デート」が「親しい異性と二人で出かけるコミュニケーション」であることは理解している。
だが困ったことに、それはあくまで「親しい異性」の場合で、鈴と慶は当てはまらない。恋人関係は親しい部類に入るだろうが、同性だ。
そこで思い出したのは、ときどき環に連れ出され、ホテルでセックスさせられたことだった。
(待ち合わせは……十時。あと一時間……)
定休日の火曜日、午前九時。鈴は慶と待ち合わせた駅前にいた。タクシー乗り場を見渡せるレンガ風の壁にもたれて、ワクワクと胸を弾ませる。
デートを理解した鈴は、きちんとセックスの準備もすませてきた。
何せ、鈴は痛いのが大嫌いだ。セックス自体は構わないし、環とは憂鬱だったそれも慶とだったら嬉しく思う。しかし長らく誰も受け入れていない身体はすっかり柔軟さを失っており、血を見るのは明らかだった。
念のため数日前から準備を始め、土壇場になって慌てなくすむよう、今はアナルプラグを挿入している。
自分でこういったグッズを買うのは初めてだったが、環に渡されていたものと似た商品なら問題ないだろうと、羞恥を堪えてネットで通販した。以前より苦しく感じるが、経験上すぐ慣れることを知っている。
それから三十分ほどで、慶は現れた。
「待たせてすみません。すーさん早くないです?」
長い脚で小走りに駆けてきた慶は、腕時計を見て眉を寄せる。
だが、鈴も同じことを考えていた。
「慶くんこそ、三十分も早いですよ?」
「すーさん早く来そうって思ったんで……もっと早く来りゃよかったな……」
「いえ、ついさっき来たところなんです。全然待ってませんよ」
自然とそう言ってから、これではなんだか「デートでやってみたいやり取りランキング」という雑誌の特集ページに書いてあったものと同じだ、と気恥ずかしくなる。
慶は鈴の主張を信じたようで、特に追及はされなかった。
「ならいんですけど。これからは待ち合わせやめましょっか」
「え……」
「俺がすーさん迎えに行きます。そしたら、駅なんか経由しなくても早く会えますもんね」
「僕と早く会っても特にいいことはないと思うんですけど……」
「えー、めっちゃありますよ。すーさんは俺に早く会いたいなーって思うこと、ないです?」
「あります! あの、僕は結構、いつも、そう思って……て……」
微笑ましげに見つめられていることに気づき、言葉尻がかすれていく。カッと熱を持った頬を腕で隠すと、男の手にそっと下ろされた。
「ほらね、いいことあった。同じ気持ちだって判明しちゃいましたね」
なんてことを言うのだろう。
まだ待ち合わせ場所で、会って五分と経っていないのに、鈴はすでに胸がいっぱいいっぱいだ。キュンキュンと変な幻聴まで聞こえて、壊れやしないかと不安になる。
うんうんと唸っていると、大きな慶の手が鈴の頭をぽふんと撫でた。
「お休みの日のすーさんも可愛いです」
「お気遣いありがとうございます……慶くんは、すごくかっこいいですね……」
出勤日と同じく私服ではあるが、慶は普段履いていない靴や、本革らしきボディバックを身に着けていたりと、どうやらデート仕様らしかった。
春らしい薄ピンクの丈長カーディガンの中には、シンプルな白のカットソー。ワイドパンツの裾はくしゃっと折られ、くるぶしが見え隠れしている。ともすればだらしなく見えそうな緩いコーディネートなのに、どの角度から見ても鈴にはオシャレで世界一格好よく見えた。
「すーさんと初デートだから、気合い入っちゃったんです。褒めてもらえてめっちゃ嬉しい」
頬から後ろ髪を梳かすように手を差し入れられる。くすぐったい触れ合いに目を細めつつも、鈴はいつもどおりの自分が申し訳なくなった。
見るぶんにはファッションも楽しいが、自分の着たいものを自分で買うという行為にはまだ慣れず、服屋では店員に話しかけられる前に無難なものを手にとってしまいがちだ。
今日も普段と変わらず、淡いブルーのシャツとベージュのチノパンだった。このまま出勤も可能なチョイスに呆れてしまう。
恥ずかしくなってきて、丈夫さ重視のトートバッグを胸に抱き寄せた。
「僕はそういうところに気がまわらなくて……一緒に歩いても恥ずかしくないですか?」
「あんね、俺はお世辞で『可愛い』なんて言わないですよ」
当たり前みたいに言ってのける、彼の誠実さが好きだ。
安堵した鈴がと笑うと、慶は「ちょっと早いけど」と、自然に鈴の手を取った。
「行きますか」
「え、あ、はい!」
男同士で手をつないで歩く鈴たちを、ときおり怪訝そうに見る人はいる。だが慶は一切気にしていないようで、すっぽりと鈴の手を包んだままだった。
有頂天と言っても過言じゃない気分で、ポカポカと暖かい駅前を南に下っていく。
「でね、鮫島さんが『新しくできた友だちと今日は湯飲み作るんだ~』って言うから、周防さんが訊いたんですよ。『今度はどこの紳士を引っかけてきたんだ』って。すーさん、どこの紳士だったと思います?」
「そうですねえ……よく顔を出している自治会の紳士さんでしょうか?」
「元総理大臣の甥っ子で現国会議員のガチ紳士」
「え……」
「紹介で知り合って意気投合したんだって。マジであの人、交友関係謎すぎですよ」
鮫島はとんだ大物とも親しいらしい。鈴はこの三年で鮫島の顔の広さに慣れた気でいたけれど、職種も年齢も違いすぎてさすがに驚く。
苦笑していると、差しかかった曲がり角で慶は「こっち」と、左折を知らせた。
てっきりこのままホテルへ行くのだろうと思っていたが、慶は一時間ほどのんびりと商店街や若者で賑わう通りを冷やかし、やがて一軒のインテリアショップへ連れて行ってくれた。
「ここ、たまーに顔出すんですけど。すーさんぽいなって思ってたから、一緒に来てみたかったんですよ」
店内はオフホワイトの壁紙に囲まれ、シンプルなナチュラル素材の家具が多く展示されている。色味は落ち着いたものが多いが、ウッドテイストがむしろあたたかみを感じさせた。
「僕、こんな感じなんですか?」
「無垢なところとか、控え目なとこがね。ここ、座って座って」
手招いた慶が、おとなしく寄ってきた鈴の腰を抱えるようにしてお試し用ラブソファに座る。白く柔らかい生地は肌触りがよく、鈴は思わず座面を撫でまわした。
「いいですね、ふわっふわです。あ、これカバーが取り外せます。丸洗いできますね」
「ほらやっぱり」
慶は顎に曲げた指の背を添えて、ニヤリと口角を上げる。
絵に描いたような悪人っぽさが漂うが、鈴にはうっとりするほど格好よくしか見えない。恋は盲目なのだそうだ。
「すーさんは変に人工物で飾りたてるより、ナチュラル&シンプルで素材引き立てるほうが似合うんですよ。可愛いです」
「ありがとうございます……?」
なぜ鈴を引き立てるのかはわからないが、慶が満足そうだから不満はない。
上機嫌な慶は鈴と店内を見てまわり、食器や雑貨を手にとっては会話を弾ませた。展示されているファブリックパネルと同柄のランチョンマットはカラーも豊富で、互いの好みを当てるというささやかなゲームも楽しむ。
(楽しい……けど、どうしたんだろう……」
店を出ても慶は鈴と街をぶらつくばかりで、ホテルへ向かう気配がない。
鈴はだんだんと、自分は何か重大な思い違いをしているのではないかと不安になりはじめた。
「――……すーさん?」
「え?」
呼ばれてやっと、うつむいていたことに気づく。昼食のために飲食店の建ち並ぶ通りへ向かう途中だ。
見上げると、大きな身体を丸めた慶が心配そうに顔を覗きこんできた。
「具合悪い? ちょっと顔色よくないです」
「いえ、そんなことはないですよ」
「気分悪いとき無理すんのだめだよ。あっち行きましょっか」
路地に行き交う人を避け、慶がすぐ近くにある公園へと鈴を促す。
大きな手にそっと背中を撫でられると、あえて気にしないようにしていた悪心がごまかせないほど迫ってきた。
「ぅ……」
「ほら。座って、深呼吸できる?」
「ん、う……はい、あの、ごめ」
「謝んねえで。……すーさん?」
ベンチに促されるが、鈴は首を横に振る。座りたいが、座れないのだ。
挿入したままのアナルプラグが、いやに気持ち悪い。それを挿れたままでいることには慣れているはずなのに、今日に限って不快感が消えていかず、時間が経つにつれ尻の中で違和感が育っていく。一度気にしてしまうと、せり上げるような吐き気が抑えられなくなった。
口を押さえて青褪める鈴を見て、ただごとじゃないと察したのだろう。慶は両手で鈴の冷たくなった頬を包み、表情を確認しながら穏やかに問うてくる。
「吐いて楽になるなら、そこの公園のトイレに付き添います。けど、俺としてはあのビルの裏のラブホのほうがいいんじゃねえかなって思ってます。横になって休めるほうがいいかもって思ったんで」
視線が「どっちですか?」とうかがってくれている。
鈴にはこまかいことを悩む余裕なんてなく、とにかく今は後孔の異物を抜いて、吐き気が治まるまで横たわりたかった。
「ホテル、で……」
「了解です」
消え入りそうな返事をしかと聞き、慶は鈴を抱えるようにして支え、ホテルへ行き先を変更してくれた。
受付まで慶に任せきり、チープで用途のわかりやすい一室に足を踏み入れる。
鈴は謝罪もそこそこにバスルームへこもらせてもらい、圧迫感と悪心の原因となっていたプラグを抜いた。部屋に戻るとベッド横のソファに腰かけていた慶によって、横たわるよう指示される。
「ご迷惑をおかけしました……」
言われるままベッドのど真ん中で転がった鈴は、悪心がましになってきて謝罪する。だが心情がありありと滲んだ声は、今にもこと切れそうな生き物の呻きみたいだった。
ぎょっとした慶が、何度も首を振る。
「迷惑なんて思ってないですから。それより、調子どうです? 落ち着いた?」
「ん……はい、もう大丈夫です。ご迷……ご心配を、おかけしました」
言い換えると、彼は少し笑う。
「はい、すっげえ心配しました。――で、俺は心配性な彼氏なんで、一度は訊かせてくださいね」
真面目な顔を作った慶が何を訊いてくるのか、わからないはずがない。
体調不良の鈴を連れまわした自責に駆られる慶に、アナルプラグのせいであって君が悪いわけではないのだと、途切れ途切れに状況を説明したからだ。
「言いたくなかったら、それでもいいです。でもすーさんがなんか無理してんのは嫌だから、できれば話してほしい。……なんでプラグを?」
「それは……」
積極的に話したいことではないが、真摯に鈴を案じてくれる気持ちが不安げな視線から痛いほどに伝わってくる。
どんなときでも優しいんだなあ。
場違いにも和んでしまった鈴は横臥し、慶に向いて口を開いた。
「今日はデートだと慶くんが言ってくれたので、セックスすると思ったから、です」
「せ、……オーケー」
笑顔と困惑の混ざったような複雑な顔をした慶が、わざとらしく咳払いする。ぶつぶつと「破壊力」だの「罪悪感」だのとつぶやいたあとは、平静を取り戻していた。
「そうすね、恋人だから、そういう流れもないとは言いません。でもすーさん、プラグまで挿れることなかったんじゃねえかなって俺は思うんですけど」
「そう……なんでしょうか。すみません、セックスするなら挿れておかないと、ちゃんとできないと思って。僕はあまり痛いのが得意じゃないですし、準備しないとすぐ挿入できないはずなので」
「痛いのは誰だってヤでしょうけど、すぐ?」
「あ、ええと、僕は男なので、女性とするのとは少し違うと思うのですが……」
「それはもちろん知ってますけど。……なんか認識違いが発生してる気がするんですよね。ちょいそっち行っていい?」
「え? ッ」
難しい顔で慶がソファから腰を浮かせたのを見た瞬間、鈴も反射的に起き上がっていた。両手をベッドについて片脚を床へ下ろしたところで、我に返る。
慶は鈴の勢いに目を瞠り、動きを止めていた。
「……すーさん?」
「あ……いえ、なんでも、ないんですけど」
慶は環ではない。頭ではわかっているのに、横たわる自分のそばに人が近づこうとする状況が怖かった。慶は腹を踏んだりしないのに、勝手に怯える身体の反応が忌々しい。
「えっと……すみません、ちょっとびっくりしてしまって」
そろり、そろりと、ぎこちなくベッドの上へ戻る。端のほうに正座すると、慶が穏やかに笑ってくれた。
「そっか、疲れさせちゃったし……俺こそすいません。こっちの端に転んでもいいですか?」
「あ、はい、もちろん……」
「ありがとうございます。まだ時間あるし、すーさんも休んでください。ね?」
慶は鈴から遠いベッドの端へ、おもむろに横たわる。大きな欠伸をこぼすから、ちょっとつられてしまいそうになった。
「実は昨日、寝るの遅かったんですよ。すーさんと初デートだって思ったら緊張して。小学生みたいでしょ、俺」
どうやら不自然な反応は驚いたからだという言い訳を信じてくれたようだ。
鈴は安堵するが、それでもうつ伏せに転んで右膝を折りたたむように腹へ引きつけた。いつでも起き上がれるこの体勢が、最も安心できる。
「……僕もです。今日がとても、楽しみだったから」
ほう、とため息をつき、切ない落胆に浸る。
「本当に楽しかったです。ありがとうございました」
慶はその気がなかったのに、鈴はとんでもない失態だった。いくら彼が大らかな男とはいえ、さすがに呆れただろう。
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