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 セックスしない、と言われたとき、あの痛くて苦しい行為をしなくてすむことに安堵したのはたしかだ。だが他に何かできるわけでもない鈴にとって、セックスは物理的に行える数少ない奉仕だった。  射精が嫌いな男はいないはずだが、挿入には勃起が必要だし、自分ではそういう悦びを贈れないのだと思うと落胆した。これではすぐに飽きられてしまうと思ったからだ。  だけど、勘違いだった。慶は「ずっと一緒だからいつでもできる」と言ってくれる。 (焦ってしなくても、すぐできなくても、一緒にいてくれるんだ)  さらっと与えられた心のゆとりは、鈴をたくさん嬉しくさせる。唇を閉じるのが難しいくらいに笑みが浮かぶ。 「……はい。ずっと一緒がいいです。あの」 「ん?」 「さっきみたいな……キス、もう一度だけ、してもいいでしょうか?」 「ふは、どうぞ。一度と言わず、何千回でも何万回でも」  勇気を出してみてよかった。  鈴は薄い胸を突き破って出てきそうな心臓にせっつかれ、閉じた唇を慶のそこに押しつける。場所を間違えないようにじっと見ているうちに、彼が笑って目を閉じた。  一度、二度、と啄んでみると楽しくて、気持ちよくて、頬を覆ってきた彼の右手にもキスをした。  そのとき、ちょうど中指の先に不自然な硬さを感じて首を傾げる。 「今……え、慶くんここ、怪我してます。痛くなかったですか? すみません……」  見てみると、一センチほどの切り傷が横向きに走っている。まだ新しいそれは塞がっているが、かさぶたもできていなかった。  慶は「ああ」と今思い出したように指先を見つめ、それを鈴の下唇にふにっと押し当てる。 「痛くないですよ。でもよかったら、ここにもいっぱいキスしてくれません? そのあとで……もっと気持ちいいキス、教えてあげますから」  触れただけでこんなに気持ちいいキスに、もっと、なんて本当にあるのだろうか。  鈴は信じられなかったけれど、慶は嘘をつかない。それに――彼とまだキスをしたくて、形のいい中指に口づけた。 *  永い永い夢を見ていただけ――そう告げられても「やっぱり」と納得できるほど、鈴は人生で間違いなく最も幸せな毎日を過ごしている。それもこれも、慶との交際が順調すぎるからだ。  仕事終わりに食事へ行ったり、休みの日にデートへ出かけたり。泊まりはまだないものの、慶は何度も鈴の部屋に遊びに来てくれた。  そのたびに何かしらの土産を持って来ては置いていくから、部屋には少しずつ慶の存在感があるのが当たり前になりつつある。  すると常にあった自室への不足感が徐々に減っていった。やはり慶のコーディネーターの腕前はぴかいちだ。  なんだか普通の恋人同士みたいです、と笑ったら、普通の恋人じゃないでしょ、と言われたのは昨日、日曜の夜のこと。  くたくたになって駅まで帰る道すがら、慶は鈴の発言に眉を寄せた。 「普通の恋人じゃないでしょ。俺らめっちゃラブラブな恋人同士なんですけど」  一瞬だけ「恋人じゃない」発言に胸が痛んだが、慶のくれる甘い主張に鈴は簡単にメロメロになってしまった。  嬉しくて取れそうなほど尻尾を振る犬みたいに、首を縦に振る。 「はい、ら、ラブラブです、すごく」 「んはは、かーわい。だから明日の夜、仕事終わったら……うちに泊まりに来てほしいんですけど」  初めて家に誘われて、しかも夜別れなくていいとくれば、鈴のテンションはうなぎのぼりだ。首を伸ばして慶を見上げ、「僕、お土産持っていきます!」と元気よく返した。  彼がこれまで土産と称して持って来てくれたものは、ランチョンマットに始まり、サンキャッチャー、そろいのマグカップ、肉球型のスリッパ、ウォールシールなど多岐に渡る。  すべて鈴は嬉しかったし、それと同時にもらってばかりが申し訳なかった。  だから今度は鈴が、慶を喜ばせてみたい。 (……それじゃあ、って慶くんは指定してくれたけど、本当にこれでいいのかな。間違ってる気がしてきたよ……)  ――脱衣所にある洗面台の鏡に映った鈴が、困り果てた顔で見つめ返してくる。  身に着けているのは、何着かあるパジャマのうちの一枚だ。襟元がゆったり広い灰色のドルマン風Tシャツと黒い膝下丈ボトムのセットはパジャマ感が少なく、このままコンビニ程度なら外に出ても平気なところが気に入っている。  とはいえ、やはりこれは「土産」にならない。「いつも着てるパジャマ持って来てくださいね」とは慶の指示だが、いくら考えても鈴には彼がこれを選んだ理由がわからなかった。  先に風呂を借りた鈴は悩みながらドライヤーで髪を乾かして廊下へ出る。  外観はなんの変哲もない普通のマンションだったが、慶の部屋は玄関を開けた瞬間からオシャレだった。  鈴の語彙ではその程度の感想しか出てこないのが残念で仕方ない。 (すっきり綺麗なモデルルームも素敵だなって思うけど、個性の光るごちゃっとしたインテリアも好きだなあ。慶くんは後者のほうが得意みたいだし)  慶の部屋は1LDKで、リビングと廊下は扉で隔てられている。  鈴がドアノブに手をかけたところで、リビング側から声が聞こえた。 「そ、結構やべえ感じ。あれは異常。剃刀入りの封筒って……って笑っちゃったけど」  誰かと物騒な話をしているふうだが、リビングにいるのは慶一人だ。電話らしい。 「うん、そうそう。だからどうにか顔つないでほしくて。お願いし……あ、もう? さっすが――……」  鈴は声が聞こえないよう扉から数歩離れ、廊下で待つことにした。  やがて、ガチャッと扉が開かれる。  顔を上げると慶が目を瞠り、焦ったように鈴の手を引いた。 「戻ってこないと思ったら……こんなとこでどしたんですか。まだ夜は冷えるし、湯冷めしちゃうでしょ」 「大丈夫です。さっき出てきたばかりですから」 「とか言って、すーさんのことだから電話の邪魔しないように、とか考えたんじゃないですか?」  図星を突かれて返す言葉に詰まる。  そのわかりやすさに相好を崩した慶は、次いで申し訳なさそうに眉尻を下げた。 「そんなん気にしないでいいのに……って、すーさん来てるのに電話してた俺が悪いね。ほら、おいでおいで」  優しい加減で導かれ、リビングのシンプルな黒い布張りソファに座る。 「あの……ごめんなさい。少しだけ聞こえたんですが、何か困ったことが起きてるんですか? 僕にできることはありますか……?」  扉から離れる前に聞こえてしまった内容が、不安で仕方ない。  恐る恐る切り出すと慶はキョトンとするが、合点がいったようだった。 「ああ、大丈夫ですよ。紛らわしくてすいません……鮫島さんと、漫画の話してただけなんです」 「え。あ、そうだったんですね……!」 「ですです。あとはちょっと、工務店の担当者の話ですから」  鈴は漫画に詳しくないが、慶の部屋の本棚にはぎっしりと少年漫画が並んでいる。  ほっとした鈴は、「なあんだ」と胸を撫で下ろした。 「よかったです。余計なこと言ってごめんなさい」 「んーん。優しいね。俺、すーさんのそういうとこすげえ好きです」  ソファにかけられていた、カラフルな幾何学模様があしらわれたアジアンテイストの膝掛けを、慶が鈴の膝に乗せる。 「あ、ありがとうございます……」 「いえいえ。そのパジャマ似合ってますね。めっちゃ可愛いですよ」 「そうでしょうか……ところで慶くん、僕考えたんですが、やっぱりお土産が普段着てるパジャマって変だと思うんです。改めて今度、再チャレンジさせてほしいです」  勢い勇んで宣言すると、慶が吹きだして笑う。 「そういや、なんでパジャマかって説明してなかったですね」 「……僕が気負わないように気を遣ってくれたんじゃないんですか?」 「んー、どっちかってーと俺が嬉しいもんをガチでリクエストしちゃいましたね」  驚く鈴の隣に座った慶が、薄っぺらい肩を抱く。ほんのり湿った鈴の髪を嗅いで、それからそこに唇を寄せた。  キスだ。好きだな、愛しいなと思って口づけることが本当のキスなのだと、鈴は慶に教えられて初めて知った。  髪へのキスが嬉しいから、鈴も慶の頬に口づけ返す。  好きだな、愛しいな。込めた気持ちがちゃんと伝わると、慶は惜しみなく微笑んでくれた。 「このパジャマ、明日の朝脱いでも持って帰んないでほしいんですよ」 「どうしてですか?」 「俺が洗って、俺のと一緒にしまっておくから。次泊まりに来たとき着れるように」  それだと慶の手間が増え、場所を圧迫するだけじゃないだろうか。  疑問は表情から一目瞭然だったらしく、彼は鈴の柔らかい猫毛を楽しそうにかき混ぜた。 「好きな子のパジャマが家にあるって、めっちゃドキドキするし、嬉しくないです?」 「好きな子……」  慶のパジャマが、鈴の服と一緒にクローゼットに入っていたとする。鈴は想像の中で引き出しを開け、それから「おおお……」と驚愕を声に出した。 「慶くんの言うとおりです。すごくドキドキしました……嬉しいです」 「でしょ。だから次来るときは……お気に入りの枕カバー持って来て。俺はすーさん用の枕買っときますね」  ちゅ、と額にキスを残し、慶が離れていく。 「じゃあ俺も風呂ってきます。もう遅いし、先に寝室行っててください。……すーさんが許してくれるとこまで、今夜は触りたいなって思ってっから」  カッと熱を孕んだ頬に触れた手が、最後に頭をポンと撫でる。  慶はバスルームへ向かい、一人残された鈴は上半身を倒して、ふわふわの膝掛けに顔を埋めた。  甘い。甘すぎる。人体の約八十%は水分だというが、今の鈴を作る八十%は砂糖水に違いない。しかもとろみのある、限界溶解度ぎりぎりの。  膝掛けをたたんでふらりと立ち上がり、寝室へお邪魔する。  リビングのにぎやかな雰囲気とは逆に、そこは色味もインテリアもシックにまとめられていた。カーテンが開いたままになっているから、月明かりで室内の様相がぼんやり浮かんでいる。  ふわ、と彼の匂いが濃くなった気がして、喉が鳴った。 「失礼します……」  誰にともなく声をかけ、ベッドへ近づく。ダブルサイズのそれの足元付近で床に腰を下ろすと、鈴は立てた膝を抱いた。  鈴が許すところまで触りたいと慶は言っていたが、鈴が慶に許さないところはない。だから今夜、彼とセックスするのだろう。  それはいい。ただ、身体の準備がきちんとできていないから、慶が風呂を上がったらしばし時間をもらえないかお願いしてみるつもりだ。さすがに他人様の家で許可なく尻の準備するほど図々しくはなれない。  静かに目を閉じてセックスの手順を思い返していると、唐突に寝室の明かりが灯った。  煌々としたシーリングライトに驚いて薄目で扉を見ると、Tシャツにハーフパンツ姿の慶が眉間にしわを寄せたところだった。 「なーんでそんなとこにいるんすかね……」 「え? あ、すみません、やはりリビングで待っていたほうがよかったですね」 「や、違う違う。ごめんすーさん、俺の言い方が悪かったです。床なんて冷たくて硬いとこにいないで、ベッドに入っててほしかったからさ」 「……?」  意味がわからなくて首を傾げた鈴に近づき、慶は膝を抱く手を取る。そのまま引き上げるようにベッドへ促すと、一旦カーテンを閉めにいき、それから向かい合うように隣へ座った。 「どしたのすーさん、何が不思議?」  言ってみて、と促すように頬へ唇が触れる。  じわっとあたたかいそれにほっとする鈴は、ふにゃついた声になってしまった。 「ええと、今夜はおそらく……セックスするんだろうと、思ったんですが」 「うん」 「なのにどうしてベッドに上がるのかなって、よくわからなくて……」 「そっかそっか。じゃあひとつずついきましょ。なんでセックスするときベッドに上がんないって思うか、教えてほしいです」 「……? シーツが汚れてしまうからです」  女性とは違って、男は長さのある性器がシーツに触れやすい。  いつだったか、鈴がシーツを汚したのは血液によるものだったが、ずいぶん怒られた記憶があった。寝床を汚したのだから当然だ。 「汚さないように気をつけることもできますが、それも絶対じゃないので……ベッドに上がるメリットはないように思えるんですけど、違うんでしょうか? 寝るときに困らないんでしょうか?」  キス然り、鈴の認識が間違っている可能性もある。  恐る恐る聞き返すと、いつしか真顔になっていた慶がにっこり笑ってくれた。 「すーさんは寝るときのこと考えてくれたんですね。あんがと。でも俺はシーツ汚れんの、嫌じゃないんですよね」 「え、どうしてですか?」 「汚れたら換えればいいわけじゃないですか」  終わったあとにシーツを換えるだけの気力があればいいな、と思いつつ、鈴は曖昧にうなずく。慶がそのほうがいいなら、反対する理由はない。 「たしかにそうですね」 「んー、なんか勘違いしてんでしょ」 「勘違い?」 「すーさんにシーツ換えろなんて、死んでも言わないからね、俺」 「……?」  またもや意味がわからなかった。  慶は鈴の腰を抱き寄せて膝に乗せたかと思うと、頭を肩へと伏せさせる。 「すーさんに触らせてもらって、可愛いとこ見せてもらって、それからすーさんに気持ちよく寝てもらうために、俺がシーツも換えるし、身体も拭いてあげるんですよ」 「や、変ですよ、それ……」 「そう? でも俺はそうしたい。すーさんは嫌? 俺のやり方、嫌い?」  慌てて首を横に振る。彼のやり方はまるで鈴にかしずく従者じみているが、それを好きか嫌いか判断する材料が鈴にはない。  ただ、そんなふうに丁寧な扱いをされる自分は想像できなかった。 「嫌い……とかじゃ、ないです」 「よかった。触っていい?」 「ん……はい、大丈夫、ですけど」 「けど?」 「……ッ」  服の裾から入りこんできた手が、すーっと背中を撫で上げる。そんなふうに素肌を撫でられたのは初めてで、鈴はぞわぞわとした不思議な感覚に息を詰めた。  髪やこめかみにキスをされながら、広い肩に手をつく。ぼんやり身を任せていては物事が進まない。 「けど、僕ちょっと準備をしてくるの、で……ッ!?」  服の中でうごめく手が、肩から脇の下へと移動する。さわさわと感触を味わうように胸元を撫でまわされ、くすぐったくて首を竦めた。 「いろいろ言いたいこともあるかもだし、気に入らない部分もあるかもだけど、とりあえず俺に任せてみてくださいよ。すーさんの嫌なことは絶対しないって約束するんで」 「ん、う」 「ね? いい? すーさん?」  こしょこしょと耳に息ごと吹きこまれ、抑えられない震えで身体がぶるりと大きく揺れた。彼の言葉をきちんと理解する余裕もなく、とにかく首を縦に振る。 「い、いいっ、いいですっ」 「やったあ」  ぬめった熱い何かが耳殻をたどる。  濡れたところが息でひやっとしてから、そこを舐められたのだと気づいた。 「ひぅ、……ん、ふぅっ……」 「すーさん、どこもすべすべなんですね。触ってるだけでめっちゃ気持ちいい」  そんなわけないのに、慶はうっとりとつぶやいている。手はやがてTシャツをたくし上げて片腕を抜かせ、鈴の薄っぺらい腹から胸にかけてを晒させた。 「ぁ、あの……っ」 「めっちゃいい……」 「っえ!? わ、あ」  太い腕が尻を掬うように鈴を持ち上げる。  いくら細いとはいえ成人男性を難なく抱えた慶は、あむっと鈴の胸の中心を食むように口を動かした。骨の形が浮き出た部分を舌でひとつひとつ丁寧に舐めたかと思うと、色も大きさも控えめな乳首をちゅうっと吸う。 「――んッ……!」 「ここ、ちっさくて可愛い……色も綺麗ですね。すーさん色白だから、ピンクの乳首がぽつってしてて美味しそうです」 「い、言わないで、お願い……っ」 「ごめんねすーさん。でも俺、ここ育てたいな……」  育てるってなんだろう、と一瞬思ったものの、ちゅくちゅくと音を立てて吸いつかれると思考がぐにゃりと歪んだ。  なんの機能ももたず、存在理由のない突起なのに、尖らせた舌先に突かれると腰におかしな感覚が走っていく。ときどき歯で根本を挟まれると、喉から気持ちの悪い声が迸りそうになった。  左右の乳首を丹念に舐めしゃぶられて朦朧としていると、突然鋭い快楽が鈴を我に返らせた。 「ふ、……っふぅ、ふ、うぅ……っん!?」 「よかった。気持ちいいみたいで」 「待っ……ぁ、だめ、慶くんだめ、だめっ」 すとんと鈴を膝に下ろした慶が、あやしげな手つきで中心を撫でている。 「大丈夫です、怖くないですよ。気持ちいいことするだけだかんね」 「ぃあ、……ぁうっ、う……っ」  ウエストのゴムは楽に手の侵入を許し、ボクサーパンツのふくらみに触れられてしまう。  乳首を口で刺激されてなぜか勃起していた鈴は、そんなところに慶が触れている事実を処理しきれない。 「待ってっ……や、そこ今、変になってて……!」 「どこも変じゃないですよ?」 「や、だってそこ、今勃ってて…っん」 「普通ですよ。ってか、気持ちいいって硬くなってくれんのめっちゃ嬉しいです」  慶が何を言っているのか、よくわからない。乳首しか触っていないのに勃起するのが普通だとでもいうのだろうか。  鈴は太い手首を押しとどめようとするが、力の抜けた抵抗はまるで、ねだり縋っているみたいだった。 「でも、でもき、汚いからっ、だめですっ」 「なんで? さっきお風呂入ったし、それでなくても汚いなんて思わないですよ。今日は我慢するけど、ここ舐めていっぱい気持ちよくさせてあげたいですもん」 「やぁ……っ」  閉じた瞼の裏側に、とんでもない想像が浮かぶ。性器を慶の口に含ませるなんて、震えそうなほどの罪悪感だ。  なのにじわっと生まれた甘い火が、あまりにもはしたない。 「や、だめ、だめ……ん、慶くんっ……」 「あ、すーさん逃げないで。こっち」 「――……!」  ビクッ、と反射的に身体が強張った。腰を抱き寄せ直そうと動いた手が、腰にほど近い脇腹を覆ったからだ。  甘ったるい快感に耽溺していた鈴の思考から、もやが晴れていく。  そのぶん、背筋が凍るような悪寒に息を止めた。 「すーさん?」  とろけていたはずなのに、急に硬直した鈴の顔を覗きこみ、慶は心配そうに両手で頬を包んできた。脇腹から手が離れると、ほっとする。  背中寄りの右脇腹は、環がセックス中、いつも抓る場所だった。皮膚の薄いそこを男の力で抓られると、無我夢中で逃げ出したくなるほど痛い。  そこに人の体温を感じることがすっかりなかったせいで気持ち的には忘れているのに、身体はしっかり憶えていたようだ。  だが慶にそんなことを悟られたくはない。鈴は大きく息を吐く。 「ん……すみません、なんでもないです」 「本当?」 「はい、本当です。……あの、まだ触りますか……?」  肩に引っかかっていたトップスを着直す。淫らな反応を示す中心を彼の視界に入れたくなくて、裾をぐいぐいと下方に引いた。 「もう触られんの嫌ですか?」 「そうじゃ、ないですけど……」 「じゃあもう少し触らして? こんな感じやすいの、可愛くてしゃーないですもん」 「それは……淫らってことですか? 僕、はしたないですか……?」 「違うよ、俺好みってこと。服着ないでよ、すーさん……」 「んっ」  裾を掴む手を捕獲され、大きな身体にゆっくりとベッドへ押し倒される。後頭部に手を添えられていたから衝撃はなくて、そのおかげか、見下ろされても慶のことは怖くなかった。 「すーさん、伸しかかられんの怖くない?」 「慶くんは怖くないです」 「嬉しいこと言ってくれるんですね。止まんなくなりそ……」  そんなことを言うくせに、慶のくれるキスは理性的で常に甘ったるい。  口内のいたるところを舌先で暴かれると、頭から爪先までぬるい湯に浸っているような心地になった。舌を伝って流れこんでくる唾液まで甘いなんて、どうなっているのだろうか。 「ぁ、っは……!」 「ちょっとだけ腰浮かせます?」 「ん……? ん、はい……」  ぼんやりと口づけに酔う鈴は、言われるまま腰を浮かせ、慶の手で下着ごとボトムを脱がされた。
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