1/1
前へ
/12ページ
次へ

 鈴は唇を噛んで嗚咽を堪え、指輪を左手の薬指にとおす。  ここに慶はキスをしてくれた。鈴がそれを堂々と受け止められるようになるまで、いつも愛を囁いてくれた。 (慶くんのいないところなら、日本でも、ワシントンでも、宇宙でも、どこでも僕にとっては無価値なのに)  心の中で何度も彼の名を繰り返す。ピアスを手で覆い、服を噛んで鼻を啜った。  一人になって、指輪を見つめて、冷静になって今更、彼がくれた言葉たちが鈴を責める。  どうしてこんなところについてきた。慶が知ったらどんなに傷つくか、少しは考えたのか、と口々に糾弾する。  ――たくさん甘えてわがまま言うこと。  ――遠慮しないこと。  ――愛されてるって自覚すること。  鈴と慶の二人で交わした、愛しい約束だ。 『俺のそばにいてね。幸せが何か、教えてあげっからね』  慶の声が耳の奥によみがえった。  甘い響きが鼓膜を震わせて脳髄を揺らし、それから鈴の全身に染み入った瞬間をよく憶えている。  鈴は、雪片鈴は、紅本慶と一生別れない前提で恋人になったのだ。 (ここにいちゃ――だめだ。帰ろう。僕の帰るとこは、慶くんのとこだ)  環の脅しを忘れたわけじゃない。慶の仕事を思えば、店のことや上司たちのことを思えば、身動きができなくなりそうだ。だけど鈴は慶に、今、しがみつきたかった。  いつでもいい、困らないと言ってくれた慶を、信じている。  うずくまっていた鈴は立ち上がると、バスルームへ向かう。脱衣所で数枚のタオルを取って、シャワーをバスタブに向けて勢いよく出しっぱなしにした。 「――……」  大きく息を吸い、吐く。ぎゅっと閉じた瞼の裏に大好きな恋人の、鋭い目元をとびっきり優しく細める笑い方を思い描いた。  大丈夫、何も怖くない。慶と離れること以外は。  左肩にタオルをかけ、丸めた端を口内へ押しこんで舌を守る。速乾接着剤のおかげで外れないピアスをしっかり掴み、反対の手で耳全体を押さえつけた。  ずっと昔、ピアスを空けた日、恐怖で身じろいでよかった。手元の狂った環が耳朶の端に穴を開けてくれてよかった。  おかげで――引きちぎるのも容易い。 「ッ、……っ、ふ、……ッ!」  バール型のピアスを思いきり外側に引いた。  ぶちっとおぞましい音がしたあとには想像以上の激痛がやってきて、目頭と目尻からぼろぼろと涙が落ちる。新しいタオルで患部を押さえた鈴は、ゆっくりとその場にしゃがみこんだ。  ほんのわずかに呻いてしまったが、シャワーの音で掻き消えているはずだ。環に不自然な様子が伝わっていなければ、それでいい。  一回の骨折より二十回転ぶほうを選ぶ鈴だが、一生慶に会えない人生より、一度耳朶をちぎるほうがよかった。  噛みしめていた左肩のタオルでピアスを包む。シャワーを止めて脱衣所にそれを置くと、鈴は耳を押さえたまま部屋を出た。  自宅マンションからこのホテルまでは、車で四十分ほどだった。大きな幹線道路沿いにある有名ホテルなため駅からも近く、道がわからなくても線路に沿って歩けば最寄り駅にそのうち着くだろう。とにかく環が戻ってくるまでに、遠くへ行きたかった。  忍び足で廊下を進むが、運悪くエグゼクティブフロアを歩いていた女性スタッフに遭遇してしまった。 「お客様、お怪我が……!」 「あ、いえ、大丈夫です、気にしないで……」 「ですが出血がひどいです。救護室へご案内させてください。もしくはお部屋にて処置いたしますので、ルーム番号をお願いします」  そうこうしている間にも環が帰ってくるかもしれないから、部屋に逆戻りするのは避けたい。  鈴は申し訳なく思いつつも、「ほんとに大丈夫です!」と言い捨て、心配そうな女性スタッフを振り切った。  階段か、エレベーターか。何せ一階へ降りたい。一瞬悩んだが、ここで階段を駆け下りたところで、怪しさが増すだけだ。逸る気持ちを抑え、エレベーターを呼び出す。  しばらくして上がってきた箱が階に到着すると、ゆっくりとシャンパンゴールドの扉が両側へ開いていって――。 「――え?」 「すーさん……っ!」  何がどうなっているのか、鈴の頭は混乱の極地にいた。  見上げると首が痛くなる長身、近寄りがたい三白眼。最近嗅ぎ慣れてきた柔軟剤の香りがする腕の中に引き入れられ、鈴は瞬く。 「慶くん……? どうしてここに……?」 「迎えにきました。遅くなって、ごめん」  長いため息が、抑えていない右耳をかすめた。  力強い腕にエレベーター内へ連れこまれ、背後で扉が閉まる。頬を両手で包んで上向かされると、恋人が今にも泣きそうに顔を歪めていた。 「すーさん、無事? ……じゃ、なさそう。耳どうしたの? あいつに何された? ほっぺもちょっと腫れてんじゃん……ッ」  あちこちに視線を走らせ、繊細な細工の壊れ物でも触るようにそうっと触れられ、鈴はぽかんとする。  いつもは鈴よりずっと冷静で落ち着いた慶が、あたふたしているからかもしれない。 「あ……や、ちょっと叩かれただけで、耳は違うんです、さっきちぎっただけで……」 「ちぎった!?」 「ピアスを……その、音と居場所を把握するためのものらしくて、外せないようになってるので、でもピアスを外さないと逃げれない……えっと僕、その、慶くんのとこに帰りたくて、だから」 「うん。――うん」  ふわ、と包みこまれて、ほっとする。  すると滝みたいに目頭から涙があふれた。鈴は広い背中に腕をまわす。  タオルが落ちて血が肩に垂れたが、そんなことより今は、慶の存在を確かめたかった。 「ぁ、会いたくて、無理でした。逃げたら慶くんや、鮫島さんたちや……お店にも迷惑かかるかもって、思ったんですが、でも僕は、慶くんにしがみつきたくて、会いたくて、離れたくなかったんです……っごめんなさい」 「いいえ、いいえ。……よくできました」  少し前に自宅前で同じことを環に言われたときは絶望感さえ覚えたのに、慶の声で頭を撫でられながら言われたそれは、鈴を瞬く間に幸せな気持ちにした。  背後へ手を伸ばし、慶が一階のボタンを押す。 「詳しいことはあとで話します。とにかく……帰ろ、すーさん」 「――はい」  鈴を囲うように抱いた慶は、そのまま自身の自宅へ鈴を連れ帰った。  耳朶の応急処置は慶がしてくれて、手渡された茶を飲む。ほっと息をついた鈴は、そこでようやく、この部屋にあるはずのないものに気がついた。 「え、僕の荷物……?」  二人掛けのダイニングテーブルの上に、環が捨てた鈴のトートバッグが置いてある。  慶はそれを取ってきて、鈴に渡してくれた。 「拾っておきました。たぶん全部だとは思うんですが……もし足りなかったら、また一緒に買いに行きましょ」  丈夫で使い勝手のいいバッグに始まり、中身の無事な財布、折れたキャッシュカード……この部屋の合い鍵がついたキーケースもある。だが、なぜ?  鈴が困惑していると、部屋にはインターフォンの音が鳴り響いた。 「……!」  反射的にギクリと背筋が寒くなる。時刻はすでに二十三時をまわっている。こんな時間に慶の友人や、それこそ宅配便なんてものも来るはずがない。 「慶くん……」 「大丈夫。俺のこと、信じて」  慶は平然と携帯を操作していたが、それをローテーブルへ置くと、鈴の頭にキスをしてから玄関へ向かう。  戻ってきたとき、嫌な予感のとおり、彼の背後にいたのは環だった。  黙って微笑んでいる限りはそこらの俳優より整った顔立ちをしているのに、鈴を睨みつける視線は鬼の面よりずっと恐ろしく、醜悪だ。 「た、環……さん」 「……無駄なことをするのが好きだね、お前は」 「ちょっと、すーさん威嚇すんのやめてもらえます?」  鈴を背に隠すように環へ向き直った慶は、リビングの扉付近に客を残したままソファの肘置きに腰掛ける。鈴の視界はほとんどが、広く逞しい背中に覆われてしまった。 「で。こんなところまでご足労くださった理由は?」 「わかりきったことを訊かないでほしいんだけどね。それを引き取りにきただけだよ」  それ、を示された鈴は身を竦ませる。物のように扱われるのは慣れているが、嬉しいわけじゃない。惨めなところを慶に見られるのも居たたまれず、せめて立ち向かおうと口を開きかけたときだった。 「は? 無理」  ――あまりにも軽く、端的な拒絶。  鈴はぽかんと大きな背を見つめ、環からは怪訝そうな声が聞こえた。  前後の二人に注視されている慶は「で?」と面倒そうに続ける。 「すーさんは貸せないし、あんたのじゃねえし、帰るとこはここだし。はい却下。ってことで話終わったから、アメリカでもどこにでも、さっさと帰ってもらえます?」 「お前……自分の立場がわかっていないのかな?」 「わかってますよ。イル・ルオーゴ勤務のインテリアコーディネーターで、すーさんの彼氏で旦那の、紅本慶ですけど」  荒々しくため息を吐いたのは環だった。こっそり覗いてみると、無理に上げた口角は引きつり、苛立ちがありありと滲んでいる。 「なるほどね。いいよ、紅本慶。取引をしようか」 「取引?」 「お前の父親が勤めてる山吹フードシステムズには、俺の知人がいる。人事だ。それから……弟が就活生だったね。そこそこの大学には行ってるようだけど、このご時世じゃいいところに就職できる保証はないだろう? でも成績や内申もなかなかのものだし、俺が推薦してやれる企業は多い。どちらも、お前の態度次第だけど、どうしようか?」  甘い誘いの裏には、断れば慶の親兄弟の未来を悪戯にいじることができるという強迫がわかりやすくねじこまれている。  鈴は息をのんだ。環がまさか慶の親族にまで調査の手を伸ばしているとは、さすがに思っていなかったのだ。  だが、慶は「ふうん」首を傾げただけだった。 「それだけ?」 「……は?」 「俺からすーさん奪うなら、その程度じゃわりに合わねえんですよ」  鈴は慶の背後で口を押さえ、息を止めていた。  環が虚を突かれたように目を見張る。 「その程度? それのために、父親と弟が路頭に迷ってもいいって……?」 「俺の優先順位は変わんねえの。あと、さっきは見逃したけど、それって言うな。この人は俺の大事な人なんだよ。次言ったら地獄見せんぞ」  背中しか見えないにもかかわらず、鈴は声色の冷たさにぶるりと肩を震わせた。環は顔を強張らせている。  慶が後ろにいる鈴を手探りで撫でた。  大丈夫ですよ、と言われているみたいだ。きゅっと手を握ると、名残り惜しげに離れていったそれはソファの足元へ向かう。 「じゃ、交渉決裂ってことで。次は俺からの用件ですけど」  置いてあった自身のバッグから、慶は何やら分厚い茶封筒を取り出した。  中身は数冊の冊子や書類らしく、いくつか選んで黙読する。 「えーと……うわ、俺もこれまだ確認してなかったけど、あんたえぐいことしてんな。利益供与に横領、収賄……へえ、反社とこんなとこで密会しちゃだめだろ。ぼくら仲良しでーすって宣伝してるようなもんだ」 「何を言って……」 「見る? あんたを社会的に殺せる証拠の記録と、写真その他もろもろ」  慶は呆れたように、茶封筒ごと環に差し出す。  さっきまでの強気な様子が一転、恐る恐る近づいてきた環は慶から冊子を受け取り、さっと目をとおして青褪めた。 「どうして、お前が、これを……」 「俺っていうか……こっちの人がね」  こっち、と言いながら手を伸ばした慶が、携帯の画面をオンにする。  するとそれは通話画面になっていて――スピーカーモードをタップすると、クスクスと温和そうな声が聞こえてきた。 『すごいな、本当に気づいてなかったのか、環は』  キョトンとしたのは鈴だけだった。  環の顔色がみるみるうちに白くなっていく。  慶は首を左右に傾けてゴキゴキと骨を鳴らすと、まるで一仕事終えたあとのようにリラックスした様子で、鈴の隣に座り直した。よしよしと頭を撫でながら肩を抱かれる。 「慶くん、あの人は……」 「どうして、兄さん、どうして……」  環の震える声を聞き、驚愕する。  環がひたすらに敵意を燃やし、幼いころから希薄な関係だったという腹違いの兄が、なぜ慶とつながっているのだろう。 『どうも、はじめまして雪片くん。環の兄です。別に名乗らなくていいな?』  うろたえる環を放置したまま、環の兄が話を振ってくる。鈴は慌てて言葉を返した。 「っあ、はい……構わない、です」 『その節は悪かったなあ。環が君を囲い者にしてるのは知ってたんだが……近くに呼び寄せるための地盤を固めんのに、思ったより時間を食っちまってな。君は勝手に逃げてくれたから手間が減ったと思ってたんだが……まーたうちの可愛い弟が日本に行くって言うから、これは君に接触するだろうと思って、先手を打たせてもらったよ。おとなしくしてたら、ずっと俺のそばで可愛がってやんのに……』  最初の挨拶と同じく温和なはずなのに、彼の語り口調が刺々しくてゾッとする。  鈴でさえそう感じるのだから、環はもっと怖いのだろう。叫びこそしないものの、硬直したまま携帯を見つめる目はぎょろりと警戒しきって見開かれていた。 『紅本くんも、協力感謝する。俺が日本に行けたら環の首に縄でもつけて引きずって帰るんだが、そういうわけにもいかないし……環の周辺を君が探ってくれてたおかげで、俺はいい駒……いやいや、友人を得ることができた』 「ごまかす気のない言い直しはいいですよ」 『そうか? 話は早いし、あっさりしてるし、助かる。精々そこの雪片くんと仲良く暮らしてくれ。間違ってもその子が環に捕まらないようにな。可哀相な子だけど、俺にとってはちょいと邪魔なんだ』 「言われなくても」 『じゃあ――環』  環の肩が跳ね上がる。  見えているわけではないのに、環の兄の声が嬉しそうな色を帯びた。 『お前のやってることは、全部把握してる。ああ、咎めるつもりはないから安心しろ。可愛い弟のやることだ、俺がどうにでもしてやる。だから、早く帰っておいで。――もちろん一人で』  鳥肌の立つ腕を慶にさすられながら、鈴はごくりと喉を鳴らす。  張り詰めたような緊張感は、彼が向こうから通話を切り、電子音がツー、ツー、と流れて画面がオフになるまで続いた。 「――ってことですから、早く帰ったほうがいいと思いますよ。じゃなきゃあんたのサイコパス兄貴、嬉々としてあんたを社会的に抹殺した挙句に監禁しそうでしょ」  無情な台詞を、鈴は否定できなかった。  それは環も同じだったようで、白い顔色のまま鈴を見つめる。 「……一緒に、いるって、言ったのは……お前なのに」  縋るような視線が、公園にいた幼い環と、ようやっと重なった。  夕暮れの寂れた公園には他の子どももいなくて、血が滲んだ膝が痛そうで、それから、ひどくさみしそうだった。鈴にはあの日の環が、自分に重なって見えたのだ。  きっと環も同じことを思っただろう。  でも、もう終わりだ。  無意味な寄り添いも、暴力も、忍耐も、環と鈴を救わない。 「ごめんなさい。一緒にいてあげられなくて、嘘つきで――ごめんなさい」  頭を下げる鈴の背に触れかけた慶は、その手を黙ってひっこめた。  じりじりと痛いほどの沈黙が三人の間に漂う。  環は表情を失ったまま鈴を見つめていたが、やがて取り上げていた鈴の私物をテーブルに置くと踵を返した。 「嘘つきなお前はいらない。……勝手にするといい」 「……っ」  顔を上げた鈴は声を飲みこむ。突き放した鈴には、何も言う資格がない。  パタンとリビングの扉の向こうへ、プライドが高くて折れ方を知らない背中が消えていく。玄関の開閉音が聞こえてから、鈴は少しだけ泣いた。  救いたいなどと、たいそれたことを思っていたわけではない。それこそ環に恋をしたこともない。  ただ、彼を特別だと思っていたのは、本当だった。  言い訳も想いも飲みこんだ鈴の隣に、慶は黙ってずっといてくれた。 *  騒動の精神的な疲労もあってか、慶に寄り添われた鈴はすぐに彼のベッドで眠りについた。  翌日は定休日だったため、朝一番で病院へ行き、ちぎれた耳朶の処置もすませてもらうと昼前にはすっかり落ち着いていた。  慶から詳しい話を聞く態勢を取ったのは、鮫島たちがそろって様子を見にやって来て、一時間ほど賑やかして帰ったあとだった。  ソファに座らされ、膝には手触りのいいブランケットがかけられる。 「女の子扱いでしょうか」  小さくつぶやいたのを聞き咎めた慶が、しれっと「俺の大事な鈴さん扱いです」と言ってのけるから、真面目な話の前なのに頬が火照ってしまった。  隣に腰かけた慶が、少し考えて口を開く。 「すーさんと付き合い始めて、ちょっと経ったころだったかな……うちに変な郵便物が届くようになったんですよ」 「……変な?」  首を傾げた鈴だったが、初めてこの部屋へ泊まりにきた夜、慶が誰かと電話でしていた会話を思い出す。 「剃刀封筒……?」  ぼんやり口にすると、慶が苦笑した。 「憶えてたんですか」 「え、あ……もしかして、それって」 「環さんからの警告? だったんだと思います。雪片鈴と別れろって、ご丁寧にメッセージカードも入ってましたし」 「……っすみません、怪我させてしまってたなんて……!」  中指の先にあった切り傷を思い出し、鈴は顔色を悪くする。自分のせいで慶が怪我をする羽目になっていたのに、のほほんと過ごしていたことが信じられない。  だが慶は中指を目の前へ差し出し、いつもどおりにニッと笑う。 「あんなちっさい傷なのに、すーさんが心配してキスしてくれたから、俺としては万々歳でしたけどね」 「……ごめんなさい」 「謝んないで。俺はそれ受け取って、指切ってから、すーさん家に遊び行ったんです。腹くくってますから、どうってことなかった」 「ん……」  あの日と同じように、中指にキスをする。もう怪我はないが、謝罪を込めた。  嬉しそうに笑った慶に頭を撫でてもらうと、罪悪感が薄れて幸せな気分になってしまう現金な鈴だ。 「んでね、すーさんの履歴書から卒業校探して、明音さんが話訊きに行ってくれたんですよ」 「明音さんが……?」 「俺が行くつもりだったんだけど、ほら……この見た目だから。すーさんの知り合いって言っても信じてもらえなかったら困るし、そんなら明音さんが、自分ほどの適任はいないって張り切って」 「そう……だったんですね……」 「おかげで早い段階で環さんのことはわかってたんです。そっからは周防さんの得意分野だから任せたけど」 「周防さん? 得意分野って、なんですか?」 「情報収集能力はんぱねえの。絶対に詳しいことは教えてくれないから、俺も突っこまないようにしてんですけどね」  すーさんも首突っこんじゃだめだよ、と笑った慶に、かろうじてうなずき返す。興味はあるが、知らないほうがいいこともあるのだろう。 「最終的に環さんの兄貴が弟にぞっこんだってわかったから、どうにかコネつないでくれって鮫島さんに頼んだんです。すーさんが心配してくれたときの電話が、これな」 「鮫島さんまで……」  先ほどこの部屋に来てくれた三人からは、暗躍してくれていたことなど一切言われなかった。ただ心配し、無事でよかったと喜んで、山ほどケーキと果物を差し入れてくれただけだ。呆れ顔の周防からは塩気も必要だろう、とスルメイカをもらったが。 「僕、何も知らなくて……なんてお礼を言えばいいか……」 「いつもどおりでいいんだって。あの人ら、身内のことは何があっても大事にするって考え方だから。俺のことも、すーさんのことも、守ってくれるよ」 「僕も……?」 「そう。あの人らに何かあったときは、俺らで守ってあげような」  そうやって持ちつ持たれつ助け合うのが家族みたいで気に入っているのだと、慶は笑う。
/12ページ

最初のコメントを投稿しよう!

2904人が本棚に入れています
本棚に追加