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一.
市の中心部のはずれ、商店街と住宅街のはざまの辺りの角を曲がると、初夏の午前の涼やかな風の中に、金属を打ち鳴らす音が断続的に耳に届き始めた。
プロはその音だけでも職人の腕がわかると言うが、十八まで毎日それを聞き続けたというのに、俺には相変わらずさっぱりで、しかし強弱の付け方やリズムなどから、音を発生させている主が誰なのかははっきりとわかった。
やがてその音源へと辿り着き、シャッターも開けっ放しの工房を覗くと、
「ただいま、親父」
高温になり黄金色の強い輝きを放っている鉄を淡々と殴り付け、激しい火花を散らせている小柄な初老に声を掛けた。
「あぁ?武雄か?なんだ、連絡もせずいきなり帰って来て」
それほど広くも無い工房内にごちゃごちゃと機械設備や道具が散らかっている奥から、親父が一瞬顔を上げて大声で答えた。
しかし鍛錬の最中に手を止めるわけにはいかないため、親父は変わらず鉄を打ち続け、俺もそれは重々承知しており、
「とりあえず母ちゃんに線香あげとくわ」
と告げ工房と隣り合って繋がっている平屋の古い家へと入った。
家の中は工房と違って物も少なく、一人暮らしにしてはかなり片付いているのだが、台所の勝手口前に置かれた大きなゴミ袋の中に大量に投げ込まれたカップ麺の空き容器に、
「相変わらずだな」
と、仕方無いような、もう少し健康にも気遣って欲しいような、微妙な気分で苦笑交じりにつぶやいた。
母親が亡くなったのは、俺が十八で都会に出て中華の老舗で修行し始めた二年後のことだった。
急性脳梗塞だとかで、倒れてすぐに親父から連絡が来て、それを料理長に伝えると
「今すぐ帰れ!親不孝もんにまともなメシなんか作れやしねぇからな!おふくろさんが元気になるまで戻って来んな!」
と乱雑に旅費をポケットに押し込まれ、ろくに荷物も持たぬまま追い出されるように帰省したのだが、着いた時には既に母は他界していた。
以来、親父は一人毎日鉄を打ちながら、今までずっと母が作ってきた昼食の代わりにカップ麺を食べ続けている。
最初のうちは帰省する度に、
「もうちょっと何かあるだろ、栄養とか考えてさぁ」
などと説得を試みもしたが、
「ちょっと都会の料理の世界をかじってきたぐらいで知ったような口を叩くな、ひよっこが。それに最近はこれも色々種類があってなかなか楽しいぞ」
台所の戸棚を開き、種々様々、大量のカップ麺のストックを見せてにやりと笑っている親父に、本人の好きなようにするのがいちばんか、といつの間にかそこには触れなくなっていた。
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